女々しいぞハリル、代表監督不適格(19)

 

ベンチ前に立つハリルホジッチ ©長束恭行

ベンチ前に立つハリルホジッチ ©長束恭行

――ディナモでの彼のモットーは「ワーク、ルール、ディシプリン」だったことを覚えている。それらの象徴ともいうべき日本でこんな結末を迎えようとは、君も予想できただろうか?

「ワールドカップ開幕2カ月前に代表監督が去ることなど予想するのは難しいが、サッカー界では何でも起こり得るからね。ヴァハは日本サッカー界に多くを期待していたし、もっと選手のクオリティが高いこと、日本のサッカーが進歩していることを期待していたような印象を私は抱いていた。

 しかし、彼が目にしたものはそうではなかった。そのことを日本でも頻繁に彼が公言していたことは知っている。日本はもっとサッカーに投資すべきだ、もっと新しくて若い選手を手に入れるべきだ、とね。今から2カ月前に『ワールドカップ後は間違いなく日本を去る』(注2と彼は私に告げていた。だが、それよりも前に去ることになるとは誰も予想していなかった」

(注2彼は日本の風土や感じ方・考え方に馴染もうとはしなかったし、彼の性格から到底なじめなかったのではないのかな。だから日本では、監督不適格なのである。早く去って当たり前だったのでしょう、遅いくらいだ。

解任後も「誰とでもフェアな関係を結んでいる」

――ディナモでは8カ月の短命政権に終わったが、彼はクラブにどんな跡を残していったのだろうか?

「ズドラヴコ・マミッチ会長と喧嘩してチームを去るという、嵐のような日々が過ぎたあとでも、彼は多くのディナモ関係者と良好な関係を残していった。クラブで働く人々とも連絡を取り合い、とりわけ会長の弟でスポーツディレクター兼監督だったゾラン(現アル・アイン監督)とは密接な関係だった。例えば、ディナモ5年間在籍し、現在はリーグ最高の選手というべきスーダニは、ヴァハがディナモ移籍を薦めたFWだ。ヴァハはアルジェリア代表でスーダニを指導したこともあり、ディナモはスーダニにとってふさわしいクラブだと選手本人に伝え、スーダニはディナモにとってふさわしい選手だとディナモ側に伝えた。ヴァハがクロアチアを訪れた際には、ディナモの試合を観戦することも知られている。誰とでもフェアな関係を結んでいるのさ」

ヨーロッパリーグ2010-2011、ビジャレアル戦の試合後会見。選手達を労い、舐めてかかった敵将に対して「まだ若いが、学ぶ時間は残されている」と発言した。 ©長束恭行

ヨーロッパリーグ2010-2011ビジャレアル戦の試合後会見。選手達を労い、舐めてかかった敵将に対して「まだ若いが、学ぶ時間は残されている」と発言した。 ©長束恭行

――最後に、これまでハリルホジッチと何度も話してきた仲だけど、電話口での彼の状態を君はどう感じ取った? インタビューで掲載されたこと以外のことも話したのかい? 

「解任のテーマ以外はほとんど話さなかったよ。さほど話したがる雰囲気ではなかったわけだし。彼は解任されたことに失望していたし、ショックを受けていた。そのことは常に繰り返していた。(注3本当に衝撃的だったことは彼の声から聞き取れたね」

(注3彼が本当に衝撃的だったと感じているとしたら、誠に彼は鈍感であった、と言う事ではないのかな。それとも唯我独尊が彼の信条だった、と言う事か。自分に関するニュースなどはすべて翻訳させて読んでいたという割には、自分への評価がどんなものであったか、と言う事には無頓着であったようだ。これでは(日本での代表監督としては)、全く進歩がないことになってしまう。解任されて当然であった。

http://bunshun.jp/articles/-/7056?page=2


「日本人の歩みは遅い」 ハリルホジッチクロアチア紙に語った本音〈全訳〉

クロアチア紙インタビューを全文掲載

トモ・ニチョタ 2018/04/18 genre : エンタメ, メディア, スポーツ, 芸能

 突然、日本代表監督を解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ。解任会見を開くこともなく、いまだ沈黙を保っている。しかし、クロアチアのメディアには本音を語っていた。インタビューしたのは、クロアチアのスポーツ紙『Sportske Novosti』(スポルツケ・ノヴォスティ)のトモ・ニチョタ記者。ハリルホジッチ2010年夏から10カ月ほどディナモ・ザグレブの監督を務めた当時は、番記者として批判する立場にあったが、今では良好な関係を続けている。そんなニチョタ記者が解任されたばかりの日本代表監督に直撃し、独占インタビューに成功。414日付の同紙に掲載されたインタビュー全訳を掲載する。そこにはハリルホジッチの驚きと失望が見え隠れしていた――。

 

◆◆◆

クロアチア紙の見出し〉

《酷い別れのあとで心を砕かれ、失望しているディナモ元監督》
「本当にショックを受けた。(注4そんなことが起こる兆候は何もなかった。何と言えばいいのか分からない」現地語のため読めないが、 https://sportske.jutarnji.hr/nogomet/bivsi-trener-dinama-shrvan-i-razocaran-nakon-ruznog-rastanka-bas-su-me-sokirali-nista-nije-ukazivalo-da-ce-se-to-dogoditi-ne-znam-sto-bih-rekao/7241955/
(注4)”そんなことが起こる兆候は何もなかった。”これこそが彼が盲目であったか、独善的であった証ではないのかな。これでは監督として、選手の気持ちがわからない。解らないと言う事は監督不適格と言う事。

 

〈記事本文〉

 ここ数日、ヴァイッド・ハリルホジッチは電話に出てくれなかった。ワールドカップ開幕までわずか2カ月、日本代表監督を解任されたことは彼に影響を及ぼしたのだ。ようやく昨日(注・413日)になって連絡が取れたが、疲れた声で話す彼は失望を隠すことが難しいようだ。

「ショックを受けたよ。本当にショックだ」

「多くを話したくはないね。数日後には東京に行く。問題を解決して、そのあとに自分の心の中にある事柄について話すつもりだ」

 ヴァハ(旧ユーゴスラビア諸国でのハリルホジッチの愛称)はそのように語ったが、失望の一部分を我われにも明かしてくれた。

ディナモ・ザグレブ監督時代のハリルホジッチ。2010年11月のオシエク戦にて。国内リーグでは20勝3分1敗という圧倒的な戦績を残したが後に解任された。 ©長束 恭行

ディナモ・ザグレブ監督時代のハリルホジッチ201011月のオシエク戦にて。国内リーグでは2031敗という圧倒的な戦績を残したが後に解任された©長束 恭行

「ショックを受けたよ。本当にショックだ。(注4を参照のことそんなこと(解任)が起こる前触れは本当に何もなかった。何もだ。すべてはスムーズに進んでいたし、我われはワールドカップに向けて準備をしていた。開幕までのスケジュールについても計画していた。それなのに『もうあなたは代表監督じゃない』と(日本サッカー協会は)言ってきたんだ。何と言えばいいのか分からない」


――日本サッカー協会で発表された、いわゆる公式な説明によると「ドレッシングルーム内における代表監督と選手たちの関係、コミュニケーションに障害があり、これ(解任)は緊急介入であった」ということになってます。代表監督と選手たちの間はそこまで悪化していたのですか?

「分からない。まったく。選手が何か不満を持っているとは感じていなかった。もしかしたら、起用されなかった選手は不満だったのかもしれないが、誰が知るというのかね? 今の状況を解決しない限り、すべてについて話したくない。もしかしたら、近いうちに起きたことすべてに関して何かしら新たな知見を得るかもしれない。話せる時が来たら、詳細について私は話すつもりだ」

(続く)