邪馬台国とはなんぞや?(20)

24312月 倭王は使大夫伊声耆(イセイギ)・掖邪狗(ヤヤコ)等八人を遣わしているが、

247年には 倭王・難升米に、詔書・黄幢を拝仮した結果、卑弥呼が死んでいる

そのため、男王・難升米を立てたが、内戦状態となり、難升米は失脚する。   そして、

247年に 卑弥呼の宗女壱与(又は臺=台与)十三才を王とすると、国中が定まる。 そして

247年頃 壱与は、大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わしている。伊声耆はいない。

 

 

こうしてみると、内戦状態の当事者は「倭王・難升米、使大夫伊声耆(イセイギ)・掖邪狗(ヤヤコ)等八人」ではないのかな。

 

この結果、難升米や大夫伊声耆は、敗死か逃亡、または、負け組となり、掖邪狗(ヤヤコ)がこの権力闘争の勝利者となったのではないのかな。おそらく新女王壱与の後見人だろう、とこの同書は解説している。壱与のお父さんかも知れない、とも言っている。

 

まあこんなところではないのかな、。難升米も余分なことを仕出かさずに、女王・卑弥呼の下で倭王としての権力をふるっていれば、長生き出来たかもしれないのに。

 

少し重複してしまったが、この魏志倭人伝の「姉・卑弥呼」と「弟・難升米」の話は、古事記日本書紀の「姉・天照大神」と「弟・須佐之男」の話と、全く重っていることに気付くはずだ。

 

同書では「古事記」と「倭人伝」の事柄を対比して、そのことを説明している(316~317頁)。

 

 

しかし、今まで見たように、姉が女王卑弥呼で、弟は「男弟」で伊都国王の難升米なずめとすれば、「倭人伝」も「古事記」と同じく姉と弟の戦い、となる。

 

古事記)、アマテラスは神をまつる独身の女性で、鏡が好きで、弟がいる。

倭人伝)、卑弥呼は鬼道につかえる独身の女性で、鏡が好きで、弟がいる。

 

古事記)、アマテラスは高天原を治め、弟は海原を治める。

倭人伝)、卑弥呼は共立された女王で、弟が佐すけて国を治め、海外交渉する。

 

古事記)、弟は強力な男神で、山川が鳴り騒ぎ、国土が振動する。

倭人伝)、難升米は諸国を検察し畏憚させる。

 

古事記)、弟は根の堅洲国行きを願うが、アマテラスは弟が国を奪うと疑い、武装して戦い敗れる。

倭人伝)、難升米に魏の詔書と黄幢がおくられる。

 

古事記)、弟の乱暴により、アマテラスは機織り場で死に、岩戸に隠れる。

倭人伝)、魏の詔書と黄幢がおくられると、「卑弥呼以死」に。弟が王になる。

 

古事記)、世界は闇となり、多くの神々の騒ぐ声は夏の蠅のようで、あらゆる災いが起こる。

倭人伝)、「国中不服」であり「相誅殺」しあい、当時、千余人が殺された。

 

古事記)、神々が相談し、岩戸からアマテラスを呼び戻す。

倭人伝)、卑弥呼の宗女の十三歳の壱与を立てたら、「国中」は遂に定まった。

 

古事記)、弟は神々から罰を与えられ、追放される。

倭人伝)、壱与は掖邪狗等二十人を遣わし、魏の都に朝貢させる。

 

卑弥呼・あまてらす難升米・すさのおが、姉と弟であれば、「古事記」と「倭人伝」は、綺麗にピッタリと重なる。もちろん、偶然ではない。

 

・・・・・

 

すると、アマテラスの名は卑弥呼であり、スサノオの名は難升米ナズメ、岩戸から出た新アマテラスの名は、壱与いよ、十三歳だ。

 

 

そして「古事記」では壱与・新アマテラスは、常に高御産巣日神タカミムスビノカミと一緒に登場すると、同書には書かれており、きっと掖邪狗(ヤヤコ)がこの高御産巣日神タカミムスビノカミと同一人物ではないか、と言っている。

 

 

そして最後に「古事記」の次の言葉を載せている。これは武田祐吉氏(角川文庫版)の訳である、と書かれている。

 

 

かれここに天の日子番ひこほの邇邇芸ににぎの命、天の岩位いわくらを離れ、天の八重多那雲を押し分けて、稜威いつの道き道別きて、天の浮橋に、浮きじまり、そりたたして竺紫つくしの日向ひむかの高千穂の霊じふる峰たけに天降あもりましき

・・・・・・・・

ここに詔たまわく、「此地ここは韓国に向ひ笠沙の御前みさきにま来通りて、朝日の直ただ刺す国、夕日の日照ひてる国なり。かれ此地ここぞいと吉き地ところ」と詔りたまいて、底つ岩根に宮柱太しり、高天の原に氷椽ひぎ高しりてましましき。

 

つまり高天原天孫降臨の物語である。そして、その地理的条件は、

筑紫にあり、

韓国に向かい、

海と岬が見えて、

朝日と夕日がどちらも強く直射たださ

高い山、

である。福岡県の話だが、もし仮に、この高祖山たかすやまと考えて、指を一本ずつおると、五本の指がみんな折れるのだ。➀から➄を満たす山は、福岡県(筑紫)には他にない。これはトンデモナイことだ。読者も、一本ずつ、指をおっていただきたい。

 

 

高千穂とは宮崎県の高千穂峰であろう、と大方想像されることと思われるが、宮崎県の霧島連山高千穂峰では、上記の五つの条件の一つとして合わないのではないのかな。

 

ここはやはり福岡県に天孫は降臨されたのではないのかな。即ち天照大神卑弥呼の宮殿があったところと言えば、先にも高祖山であろうと言及した通り、筑紫であり霧島ではないことになる。

 

グーグルアースの地図で、そこに、クシフルダケと書かれていたことを、おぼろげながら思い出す。

 

地元では「クシフルタケ」と呼ばれている山があります。次を参照願う。

 

 

(2)筑紫の日向について
 古事記日本書紀にも、この「筑紫の日向」という言葉が出てきます。神代(しんだい)の巻の中心となる「天孫降臨」の段です。

 筑紫(ちくし)の日向(ひなた)の高千穂(たかちほ)の久士布流多気(くしふるたけ)に天降(あまくだ)りましき。(古事記 上巻)

のようです。ニニギノミコトが、祖母のアマテラスオオミカミ(もとの名は、アマテルオオカミ。)の命令によって、この地「筑紫の日向」にやってきた、というのです。
 ここでも、指す地帯は同じです。筑紫は、今の福岡県。そのなかに「日向(ひなた)」という地帯があります。その地帯の高祖(たかす)山の「たかす」とは、"高いところにある人間のすまい" という意味。考古学でいう「高知性集落」という意味に似ています。
 福岡県の久留米の近くに鳥栖(とす)という駅がありますが、この「す」も同じです。今では鳥の巣などにしか使いませんが、昔は人間にも使ったことは、「住む」「住み家(すみか)」といった言葉を見ても、分かります。「高」は、もしかしたら「鷹」かもしれません。〃鷹の住むような場所〃という意味です。一方の「高千穂」の「千穂」は〃連峰〃〃山並み〃という意味ですから、「高祖(たかす)」と「高千穂」と言葉は、同じ場所を、別の言い方で呼んだものだと思います。
 肝心の一語。それは[クシフルタケ」です。この福岡県の高祖山連峰の中では、「クシフルタケ」という山があるのです。土地のお百姓さんたちの日用梧として使われています。
「クシフルの山から猪が出てくるんじゃ。」 といった風に。

 筑紫(=竺紫)は、現地の人々は「チクシ」と言い、他の地方の人々は「ツクシ」と言います。
 「チクシ」の「チ」は「千(せん)」。ほめ言葉です。
 「ツクシ」の「ツ」は「津」。〃港のある「クシ」の地〃という意味です。外部の人々は、舟でこの地を訪れました。すばらしい港(博多湾)に恵まれた、この地を「津クシ」と呼ぶようになったのでしょう。
 この「チクシ」と「ツクシ」、この二つの呼ぴ方に共通しているのは、「クシ」という地名です。「コシ(越)」(新潟県

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nihon/jsub002.html

(第一部終わり、第二部へ続く