その内容は、次の通りで。
(1) この歌は久米の子が歌ったものてはなくて、天皇自らが歌ったものである。日本書紀には「天皇すめらみこと、御歌読みして曰のたまはく」とある。古事記は「歌いたまはく」。
(2) 日本書紀(一)(岩波文庫)には、「鷹等くぢら障り」となっている。更には古事記の原文には久治良くちらで、クチは鷹の古語であると次田真幸氏や宇治谷猛氏は解釈している。
(3) この歌の意味は、「鴫網を張ったら、思いもかけず大物の鷹や他の鳥が穫れた」と言う意味になる。
(4) しかも古事記には「直ちに日向から出発して筑紫国においでになった。豊国の宇佐からお移りになって筑紫の岡田宮に一年滞在された」と記されているので、素直に読めば日向となる。
(5) 古田氏は筑紫の岡田宮は邪馬壱国だとし、そこが出発地であれば、神武天皇は倭人に属していることになり、黥面文身していることになるが、神武一行は黥面文身していたと話は出てこない。
と言う事で、古田武彦氏の「神武東征の出発地は北九州である」説は、完全に破たんしているとしている。
ただし「そりたたして竺紫つくしの日向ひむかの高千穂の霊くじふる峰たけに天降あもりましき」と、邇邇芸命が降臨なされた「竺紫つくしの日向ひむか」の「竺紫つくし」の意味は、不勉強につき小生には説明出来ない。きっと筑紫の意味ではなくて違う意味があるのであろう。
さて、アメリカによってつくられた間違った日本国の歴史が、広く教えられていった様子が幾分でもお分かりになったことと思うが、亡霊となっている「古代史検閲基準」に拘束されている歴史学者や文化人は、いまだに生存しているのです。その代表例があの池上彰なる人物で、彼は神武天皇を否定しているのです。
先に紹介したものと幾分ダブル箇所もありますが、ご一読ください。
親子チョコ♥(親子で、ちょこっと。。。)
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池上彰が知らない「神武東征」 ~ 教科書と「古事記」や「日本書紀」のどっちが
正しいのでしょう? ~
2016-07-20
神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市)
神武東征(じんむとうせい)は、日本神話において、初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
(続く)