――神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?
そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています。
――あ、そうですか!学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?
神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います。
――神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法にしなければいけない?
はい、そうですね。」
扇201605101651032c3
(0:55頃から)
「 では日本はどのようにして建国されたのか。
その頃の日本とシナの関係を書いた『後漢書』倭伝には次のようにあるのみです。
「倭は韓の東南海にあり、山島に依りて居をなす。およそ百余国あり。武帝、朝鮮を滅ぼしてより、使訳、漢に通ずる者、三十許(ばか)りの国なり」
漢が「衛氏朝鮮」を滅ぼす前108年以前、新羅、高句麗、百済が建国される百年以上前から、シナ人は日本に百余国あったことを知っていました。…
しかし
「天皇は何処から来たか、日本がどのようにして建国されたか」
については何も書かれていません。『旧唐書』日本 に「日本国は倭国の別種也」とあるだけです。弥生時代に彼らが日本にやって来たなら、そこに何かが書いてあるはずです。
これは
「外部から言語の交替を強いるような支配者集団が渡来したことがなかった」
とした言語学者の見解やY染色体分析と一致しています。…」
昨日も書かせて頂きましたが、当ブログでのスタンスは、「倭≠日本」で「邪馬台国≠日本」なのですが、ここにみられる「日本国は倭国の別種也」という記述にあるように、『旧唐書』東夷伝の中には、私たちの日本について、「倭国伝」と「日本国伝」の二つを並立して書いていて、「日本が倭国を併合した」って、ちゃんと書いています。
また、卑弥呼の邪馬台国が、支那の「魏」に援軍を求めたのは247年で、ここからも分かるとおり、邪馬台国とは朝鮮南部と北部九州に跨る21カ国の属国を従えた、「3世紀」に北部九州に存在していた国です。
神籠石20160717085410e50
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆邪馬台国があった場所 (http://oyakochoco.jp/blog-entry-1171.html)
(続く)