邪馬台国とはなんぞや?(47)

さて、製鉄に関係してると言われている姫蹈鞴五十鈴媛に話に戻ろう。

 

 

姫蹈鞴五十鈴媛命は、蹈鞴(たたら)とあるように蹈鞴製法で鉄を作っていた豪族の娘なのであろう。この家は代々製鉄に関わっている家系である。五十鈴媛命の母方は、三島の溝橛(みぞくい)の娘の勢夜陀多良比売であり、ここにもタタラのと言う字が含まれているので、代々製鉄を生業としていたものと思われる。

 

更には溝橛(みぞくい)は、溝杭であり水を流すとそれを作るためのを表しており、大規模な砂鉄の水流しを司っていた豪族を意味するものであろう。その豪族が蹈鞴製法をやっていたのか、蹈鞴製法をやっている豪族の娘が嫁いできたのかは詳らかではないが何はともあれ、製鉄と大いに関係していたことは確かな事実としてよいであろう。

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 http://tokyox.matrix.jp/wordpress/
三輪氏、大神神社、大物主/

 

 

古事記には次のように記されている、と言う。(Wikipediaより)

 

勢夜陀多良比売との出逢い[編集]

古事記によると、三嶋湟咋(みしまのみぞくい)の娘の勢夜陀多良比売という美人を気に入った美和の大物主神は、赤い丹塗り矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女は驚き走り回ったあと、すぐにその矢を自分の部屋の床に置くと麗しい男の姿に戻った。こうして二人は結ばれて、生まれた子が富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ-)であり、後に「ほと」を嫌い比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と名を変え、神武天皇の后となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/大物主

 

ちなみに「いすすき」とは、「驚き走り回った」「慌てふためいた」と言った意味だと言う。

 

五十鈴媛の名前(富登多多良伊須須岐比売命)の「ホト」は、金属鍛冶用の火窪(ほど)に通じ蹈鞴は「ふいご」であり、まさしく製鉄を意味している。五十鈴も、葦の根から採れる鈴なりの褐鉄鉱を連想させ、神武天皇の正妃は鉄との関係をほうふつさせる少女だった、と先の書には書かれている(155~6頁)。

 

また、「昔からヤマトは鉄の産地であることが知られており、神武一行は鉄を求めてやってきたことを暗示する一文が、日本書紀に遺されている。

 

『昔、伊弉諾尊がこの国を名づけて<ヤマトは心安らぐ国、良い武器が沢山ある国、勝れていてよく整った国>といわれた。また大己貴大神は名づけて<美しい垣のような山に囲まれた国>と言われた』 

 

「良い武器」とは鉄を意味する。神武天皇はそれが沢山ある国を手にし、しかも「鍛冶や鉄器」集団の長、神の子と言われた少女を正妃に迎えたことになる。」と、その書は155頁で続けている。

 

 

このように「記紀」には鉄にまつわる話が数多く載せられており、鉄を抜きに古代史を理解することはほとんど不可能、とも記している。

 

神武天皇の即位はBC70年であり、その前年のBC71年に姫蹈鞴五十鈴媛命を正妃に迎えているので、この蹈鞴製法を司り鍛冶・鉄器を作る豪族の娘を身内に迎えたことになる。

 

と言う事は、相当古くから日本では鉄が当たり前に作られていた、と言う事であろう。

 

しかも姫蹈鞴五十鈴媛命は、事代主神勢夜陀多良比売(三島の溝橛(みぞくい)の娘)との間に出来た娘であり、事代主神天照大御神の弟の須佐之男の直系の子孫となっている。

 

須佐之男命--大己貴神大国主命)≒大物主神--事代主神となっていることは、先にも述べているが、このように五十鈴媛命は直系の天孫族の血を引いており、しかもヤマトの鍛冶・鉄器を一手に治めている豪族の出であった。

 

このことは神武天皇の幸先の良い先行きを決定する一大要因であった。

(続く)