邪馬台国とはなんぞや?(48)

ここでは「タタラ製法」について、勉強してみよう。

 

Wikipediaによれば、次の通りである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/たたら製鉄

 

1.古代では、自然風によって木炭の燃焼が行われたため、炉は斜面に作られていた。

 

2.風上に炉口、炉の床は木炭粉と石英で作られ、木炭と砂鉄が交互に層をなして並べられる。

 

3.炉口から火をつけ、燃え尽きて火が消えて冷えれば、還元鉄が得られる。

 

4.フイゴ式よりも低温であったために、純度の高い鉄が得られた。

 

5.ただし、非常に長い時間を要し、生産量は少なかった。

 

6.砂鉄は主に四酸化三鉄(Fe3O4)又はFe3O3。炉の中を降下してゆく過程で、COと反応して、

 酸化第一鉄(FeO)となり、高温領域ではFeOCOと反応して鉄(Fe)が取り出された。

 

 3Fe2O3 + CO →2Fe3O4 + CO2Fe3O4 + CO → 3FeO + CO2FeO + CO → Fe + CO2

 

7.下部の高温域では、砂鉄と木炭との間でじかに還元反応が起こる。(直接還元↑黒字部分)

 

8.燃料として大量の木炭を用いるため、一山が禿山となってしまう程で、計画伐採と植林が必要

 となった。

 

9.砂鉄を採掘・選別することを「鉄穴(かんな)流し」と言い、丘陵が掘り崩されたりしたため棚田や

 段々畑として利用するように工夫された。

 

 

日立金属株式会社のホームページ(?)の「Materials Magic」より借用して、「タタラとは」を次に載せるので、ご一読願う。

 

 

たたらとは

ケラ押し法

次に実際のたたら操業をケラ押し法の場合で見てみましょう。

ケラ押し法は、真砂砂鉄の採れる中国山地の北側で主に稼働した方法で、操業開始から終了まで三昼夜、約70時間かかるので三日押しともいいます。

まず低融点で還元性のよい籠り砂鉄を投入し、次に木炭を投入して燃焼させ、ノロ(鉄滓)を作ります。その際、発熱反応によって炉内の保温が良くなります(籠もり期)。

さらに炉温を上げると、ノロだけでなくズク(銑鉄)もできてきます(籠り次ぎ期)。

次第に真砂砂鉄の配合を増していくと、ケラ種ができ、炉況は活発になり、炎は山吹色に高く輝きます。そして、炉が次第に侵食される一方、ケラが成長します(上り期)。

さらに真砂砂鉄の装入を増して、ケラを大きく成長させますが、このころになると炉壁は痩せ細り、これ以上の操業に耐えられなくなり、たたらの操業を終了します(下り期)。

以上が一操業で、一代(ひとよ)と言います。

一例を挙げますと、一代に装入する砂鉄13トン、木炭約13トンに対し、できるケラは2.8トン、ズクは0.8トン。したがって、鉄の装入砂鉄に対する歩留りは28%と、現在から見れば非常に悪い値でした。
このケラの中から選別された良い部分は玉鋼(たまはがね)といい、日本刀など高級刃物の原料にされましたが、2.8トンのケラからとれる玉鋼は1トン以下という僅かなものだったのです。したがって、玉鋼がいかに貴重なものだったか分かると思います。

たたらの操業

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0104.htm

村下(むらげ)

たたら作業の技術責任者を村下(むらげ)と言います。村下は連日連夜たたらの炎と、たたらの側壁下部に設けられた「ほど穴」から炉内の状況を観察しながら、砂鉄や木炭の装入や鞴を踏む速度を細かく指示し、炉況の安定を図ります。

堀江村下(故人)は、『初日の籠もり期には朝日の昇る色に吹き、二日目(中日)は太陽の日中の色に吹き、最後の日の下り期には日が西山に没する色に吹けと父の村下から教わった』と言っています。

長年にわたって高温の炉内を直視するため、村下の眼は強い光によって衰えを早め、ついには全く視力を失うに至るとのこと。村下はまさに火との壮絶な闘いによって鉄を作ったのです。

 

たたらを操業中の木原村下。(文部科学大臣認定の玉鋼製造「たたら吹き」の選定保存技術保持者)

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0105.htm

 

ここにも、ほど穴」、火窪(ほど)への言及がありますね。古代でもタタラ製鉄で目を潰してしまった人のことを異形の人として、それなりに尊敬されていたと言う。

(続く)