邪馬台国とはなんぞや?(49)

また天照大御神がお隠れになったと言う『天の岩戸』の話にも、鉄の話が出てきています。

 

 

真の国益を実現するブログ

【古事記】第十六回 天の岩屋戸

2014-12-26 18:17:27
テーマ:古事記

是を以ちて八百万(やおよろず)の神、天安(あめのやす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて、高御産巣日神の子、思金(おもひかね)神に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、天安河(あめのやすのかは)の河上の天(あめ)の堅石(かたしは)を取り、天の金山(かなやま)の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売(いしこりどめの)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖(たまのおやの)命に科せて、八尺(やさか)の勾たまの五百津(いほつ)の御須麻流(みすまる)の珠を作らしめて、天児屋(あめのこやねの)命、布刀玉(ふとだまの)命を召して、天(あめ)の香山(かぐやま)の真男鹿(まをしか)の肩を内(うつ)抜きに抜きて、天の香山の天の波波迦(ははか)を取りて、占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなは)しめて、天の香山の五百津真賢木(まさかき)を根許士爾許士(ねこじにこじ)て上枝(ほつえ)に八尺の勾たまの五百津の御須麻流の玉を取り著け、中枝(なかつえ)に八尺鏡(やあたかがみ)を取り繋(か)け、下枝(しずえ)に白丹寸手(しらにきて)、青丹寸手(あをにきて)を取り垂(し)でて、此の種種(くさぐさ)の物は、布刀玉命、布刀御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天児屋命、布刀詔戸言(ふとのりとごと)祷(ほ)き白(まを)して、天手力男(あめのたぢからをの)神、戸の掖(わき)に隠り立ちて、天宇受売(あめのうずめの)命、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繋けて、天の真拆(まさき)をかづらと為(し)て、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸にう気(け)伏せて蹈(ふ)み登抒呂許志(とどろこし)、神懸(かむがか)り為て、胸乳(むなち)を掛き出で裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。爾に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。

 

(現代語訳)

八百万の神は困りに困り、天安の河原に集まり、高御産巣日神の子、思金神の思慮をつくさせ対策を練った。
 まず常世国の長鳴鳥を集められ、一斉に鳴かせました。鶏が鳴くと太陽が昇ることから

 天安河の河上の天の堅石と天の金山の鉄を取ってきて、鍛冶屋を探して、伊斯許理度売命に鏡を作るように言い、玉祖命に八尺の勾たまを作るように言いました。この時作られた鏡と玉が、後に天孫降臨によって高天原から地上にもたらされ「三種の神器」の二つになる。

 そして、天児屋命、布刀玉命をお召しになって、天の香山の牡鹿の肩の骨を丸抜きし、天の香山の朱桜を取ってきて、占いをして神意をはかり、天の香山の枝葉の繁った栄木(さかき、榊とは別)を根ごと掘りとり、その上枝に八尺の勾たまを取りつけ、中枝に八尺鏡(やあたかがみ)を取りかけ、下枝に綿と麻の布を取り垂らし、これらの物を布刀玉命が神に献る品物として取り持ち、天児屋命祝詞を述べて、天手力男神が戸の脇に隠れて立って、戸が緩むのを待ちました。

 神楽が始まりました。天宇受売命が天の香山のさがりごけを手次(たすき)に掛けして、つるまさきをかづらにして、天の香山の小竹葉を手に持つ程度に束ねて、天の石屋戸に空笥を覆せて置いた。そして大地を踏み轟かし、神懸った状態になると、胸もあらわに、裳の紐も陰部まで押し下げて垂らした。これに高天の原は揺れ、八百万の神々は共に笑った。

https://ameblo.jp/datoushinzoabe/entry-11969354047.html

 

 

天の金山(かなやま)の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて』の後はすぐに「伊斯許理度売(いしこりどめの)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ、」と飛んでしまっているが、

 

 

鍛冶師を探してどうしたかが、どうも抜けているようにも感ずる。

 

「鍛冶師を探して、いしこりどめの命に鏡を作らせた」では、話の通じかすこぶる悪いように感ずる。

 

「鍛冶師を探して・・・・・して、更にダレダレに鏡も作らせた」と言う事ではないか、と先の書の171には書かれているのである。

 

それが807年(大同二年)に斎部広成平城天皇へ撰上した「古語拾遺」に収められていると言う。

 

その一文がこれだ。

 

天の目一筒神アメノマヒトツノカミをして雑クサグサの刀タチ・斧及鉄クロガネの鐸サナギをつくらしむ

 

文字通り目一つになってしまった神とは、タタラの温度を見るために火窪(ほど)を見つめ、長い間に片目となってしまった鉱山師のことであり、「古語拾遺」の補注には、彼らのことを「異形の人」として神と崇めた、と書かれている、としている。

 

更には天宇受売命アメノウズメノミコトの舞う様子も、次のように記している。

 

手に鐸サナギ着けたる矛を持ちて、・・・巧みに俳優ワザオキを成し、相ともに歌い舞わしむ

 

そして鐸をサナギと読み、「大鈴なり」と説明している、という。銅鐸や鉄鐸は鈴として使われていたと言う事か。

 

 

確かに、「記紀」には鉄にまつわる話が数多く載せられており、鉄を抜きに古代史を理解することはほとんど不可能と言う事は、本当の話のようである、”ようである”ではなくて”本当の話”だったのである。

 

天照大御神の時代から鉄の話が存在していると言う事は、相当昔から日本列島では製鉄が行われていたと言う事で、日本は当時の先進地域であったのではないのかな。

 

 

そしてこの鉄の話が、次のテーマの銅剣・銅矛・銅鐸が埋められていった話とつながってゆくのである。

 

日本列島には、早くからこのように鉄を作れたことから、銅剣・銅矛・銅鐸はそれほど必要なかったと言う事なのである。

(続く)