続・うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(123)

と言う訳でもないが、少し古い記事にはなるが、 大阪府の吉村洋文知事が大村秀章・愛知県知事は辞職に相当するとして、問題提起している。至極当然の意見である。

 

 

吉村・大阪知事「愛知知事は責任を」 企画展支援を問題視

2019.8.7 18:35 産経WEST できごと

吉村洋文大阪府知事 大阪府の吉村洋文知事=6月12日、大阪市中央区大阪府庁(寺口純平撮影)

 

 愛知県などが支援する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が公開中止となった問題に絡み大阪府の吉村洋文知事は7日、同芸術祭の実行委員会会長を務める大村秀章・愛知県知事について「知事として不適格。責任を取らないといけない」と述べ、辞職すべきだとの考えを示した。府庁で開かれた定例会見で答えた。

 

 この中で吉村氏は、同企画展で展示された「慰安婦像」として知られる少女像や、昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像について「反日プロパガンダ」と指摘。民間イベントなら表現の自由として保障されるべきだとしながら「芸術祭は愛知県が主体となっている事業。税金を使い、公務員を使って、公権力の行使として今回の表現行為が行われている」と、開催そのものに疑問を呈した。

 

 そのうえで「普通の行政プロセスなら、どこかの段階でだれかが問題視し、知事にも報告があるはず。(大村氏は)知っていて許容してやっていると思う」と述べ、そうであるなら辞職に相当する問題だとした。

 

https://www.sankei.com/west/news/190807/wst1908070037-n1.html

 

 

さてそろそろ、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」について文章を書くことに嫌気がさしてきた。次のことを紹介して、これを終えようと思う。

 

 

 

これも先に紹介した「正論」・2019.10月号の、文芸評論家「小川栄太郎」の『私の「表現」圧殺した勢力よ 「不自由」を作るのは君らだ』に出ていたものだ。

 

 

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 しかし、繰り返すが、特定の人物像を焼き灰を踏み躙る、特定の人物の寄せ書きや遺書を揶揄として使用して見せる事は「表現」ではない。

 

 試みに私は芸術監督・津田大介氏、或いは今回の試みを容認した大村愛知県知事、擁護派諸氏に、次の企画を実現するよう要求する。

 

 世界中でその国に宗教、ある国、民族、宗教の象徴や元首、教祖像をガスバーナーで焼き、最後に踏み躙る「作品」を作成し、それぞれの国で展覧会を開催し、主催者・擁護者らも開催期間中その都市にとどまって、何が自分の身に起こるかを検証するワ―ルドアートツアーを展開せよ。

 

 金日成の肖像写真をガスバーナーで焼き、灰をふみつける「作品」を平壌で展示して見せよ。

北京で毛沢東の写真を、中東、イスラム諸国でホメイニ師を、さらにはマホメットの肖像を、ローマにおいて、ヨハネ・パウロ二世の写真を、イエス・キリストやマリアの画像を、イギリスにおいてエリザベス女王の写真をガスバーナーで焼き、灰を踏み躙り、これが「表現」だと称して見せてみよ。幸いにも辿り着ければの話だが、ツアーの最後にはモスクワでプーチンの写真を焼き払って「芸術の旅」を完了させてみたまえ。

 

 私は昭和天皇の写真を焼き、特攻隊員の遺書を愚弄する製作・企画をなし、擁護した全員には、このワールドツアーを開催する責務が同時に生じていると信じる。真に表現の自由を探求するのならば、ぜひ、これからが「表現」か否かを世界で突き付けてきてほしい。

 

 この事を私は真顔で言うのである。なぜなら、彼らは、現実に、イスラム圏でホメイニの写真を焼き、カトリック圏でヨハネ・パウロの写真を焼くのとまったく等価の振る舞いを日本で「作品」と称して、「真顔」で発表した人達だからである。

 

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津田氏、大村知事を始め、擁護者たちの父母或いは祖父母の日記を紡(つむ)ぎ合わせて、「馬鹿な○○人の墓」-という作品を制作せよ。それを以て「これこそ表現の自由を守るための戦いなのだ」と触れ回ってみせたまえ。

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 要するに、これら展示物は「表現」でも「作品」でもないのである。

 

 先程の世界ツアーを実行すれば、企画者たちは一人も生きて日本に戻れまい。また、それを日本国の公金を投入した企画として実行したならば、我が国はその瞬間から、テロの対象となり、在外邦人の殺害が相次ぎ、場合によっては戦争さへ起きかねまい。日本は世界中を敵に回し、中東の石油は止まり、国の存続はただちに困難になろう。

 

 私が誰かを殴って、これは痛みを知ると言う「作品」であり、「表現」だと言って通用しないように、これらは「作品」でも「表現」でもなく、端的に「暴力」なのである。にもかかわらず、今に至っても、擁護する人たちはこれを表現の自由を守るために開催を続行せよと言う。

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このツアーには是非とも「焼かれるべき絵」作者である嶋田美子も、首に縄を付けてでも連れてゆくべきである。願わくは、大村秀章津田大介、そして先に掲げた者達全員も。

(終わり)