日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(3)

このことは、日本語の成り立ちや分布をみても、証明され得るものである。

 

 

長浜浩明氏は、「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(展転社)の第十章の『言語学から辿る日本人のルーツ』の冒頭で次のような例を挙げている。

 

 

法隆寺の中門と金堂を支える円柱は中程が少し膨らんでいる。そしてこの柱の様式は古代ギリシャから伝わったとされるが、本当にそうなら、伝達の中継地であるガンダーラやシナ大陸や朝鮮半島に見られても良いのに、そのような柱は発見されていない。

かつて筆者も、和辻哲郎の『古寺巡礼』を読み、ギリシャの建築様式が日本にまで影響を及ぼしたのか、と信じたが、そうではなく、日本独自で作り上げた③だった。何しろ、エンタシスと呼ばれるこの柱は、下部より上部が細くなっており、日本の様式とは異なる。しかも古代ギリシャ語が、日本の建築用語のなかに取り入れられていることなどないからだ。

 

 

と記している。その前に同じ様式の土器が離れた異なる地域で発見された場合の例を示しておられる。

 

➀その民族が移動した。

➁土器製作技法を習得した他民族が製作した。

③創意工夫し、独自に造り出した。

 

 

日本寺院の円柱は、②ではなくて③だと言っているのである。

 

 

そして通説としては、日本の縄文時代から弥生時代への変化は、➀だと言う考え方が支配的だった、即ち大挙して渡来人がやって来た、という説が定説となっていた。

 

即ち縄文人が支配していた日本列島へ、稲作技術などの先進技術を身に着けた民族が大陸からやってきて、やがては混血しながら縄文人を駆逐して日本人となっていった、と言うものである。

 

この考えでは、大陸から来た弥生人(?)が日本人のルーツとなり、彼らの話す言語が我々が使っている日本語となった可能性が非常に高いことになる。

 

この論理であれば、即ち今の日本語は、渡来人の故郷の大陸の言語から発生したものと考えることなる、ものである。

 

すると日本語と大陸や半島の言語と何らかの関係があってしかるべきである、と長浜浩明氏は、「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」で記述している。

 

そして次の様に疑問を呈しておられるのである(P270~271)。

 

 

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従って、一万年以上にわたり日本列島を「俺たちの版図だ」と言わんばかりに活躍し、縄文語を話していた縄文社会に、今から高々二千数百年前に大陸から大勢の人々がやって来て、或いは彼らがこの地で人口を増やし、大多数を占めるに至ったのなら、私たちの国語・日本語と近縁な言語が東アジアの何処かで見つかっても良いはずである。

 

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だが私たちの経験からは、日本語と中国語(北京語、広東語、上海語など)や朝鮮語との共通性を感じることはない。何しろ一切通じないのだ。そればかりか彼らの言語に親近感を感じることはなく、単に騒がしく、耳障りな上、響きが不快ですらある。

 

 

ごもっとも、朝鮮語や中国語は「単に騒がしく、耳障りな上、響きが不快ですらある」。将に雑音、騒音の類である。日本語とは、なんの関係もないものである。

 

繰り返すが、仮に弥生時代に大挙してやってきた渡来人の集団が、日本人の大多数を占めていたと言うのであれば、その後出来上がった日本語と大挙してやってきた民族の言語、例えば朝鮮語とか中国語との間に、何らかの系統関係があってしかるべきであろう。

 

しかしながら、いくら探してもそのような日本語と系統関係のある言語は見つかってはいないのである。

 

長浜氏は、「例えば2000年前の弥生時代に、大陸からやって来た人たちによって日本語が形成されたとすれば、彼らの言語と比較することによって系統関係が判る筈なのに、そうならないと言う事は、これまで述べてきたように日本語の成立年代がもっと古いことを示していることになります。

 

と国立民族博物館・崎山理氏の論理を紹介して、日本語の成立年代の古さを述べている(p280)。

 

渡来人がやってくる前に、既に日本語は成立しており、もし仮に渡来人がやって来たとしても日本語にさしたる影響を与えなかった、と長浜氏は、続けて述べている。

 

と言うよりも、渡来人はやってこなかったか来たとしてもとても少数であったのではないのか、と言う推論が成り立つ。

 

日本語を系統言語学の立場から分析しても、日本語の中には外来系の単語は存在せずに、ATLウイルスの分布から見た「渡来人は来なかった」論に、賛成せざるを得ないのである。

 

日本語は、従って、縄文時代には既にしっかりと成立していた言語であった、そして仮に大陸などから人々の渡来があったとしても(実際には渡来などはなかったのであるが)、そのため、既に成立していた日本語には何の影響も与えなかった訳である。

 

では、どのようにして日本語が成立していったかは、興味ある問題であろう。

(続く)