日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(4)

ご承知の様に、日本語は、印欧語と異なり、『主語+動詞+目的語』と言う語順ではなくて、『主語+目的語+動詞』と言う語順になっている。

 

「私は・持っている・本を」ではなくて、「私は・本を・持っている」と言う語順である。この語順は、アルタイ語系のツングース語と同じである、と書かれている。だからツングース語が日本語の起源となるものである、と言い得るかもしれない。だが日本語に豊富な語彙や接辞法は、ツングース語には全く見られない、と言う。

 

この語彙や接辞法は、マダガスカルからスンダランド、フィリピン、台湾と言ったオーストロネシア語との共通点が非常に多いのである、と「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」には書かれている(P277~P279)。

 

16,000年前の土器(縄文)が青森で発掘されていることから、既にこの頃から日本列島へは、北と南から人々がやって来ていたのではないのかな。

 

即ち北からはツングース系の人々がやって来て、南からはオーストロネシア系の人々がやって来て、日本列島には住み着いていたのであろう。彼ら、彼女らは日本列島の中央付近で落ち合い、混血を繰り返し縄文人の基となっていったのではないのかな。だから話は、旧石器時代に及ぶことになろう。(後期)旧石器時代の遺跡は、日本列島に万と存在していると言う。

 

そうして日本語の基が成立していったものと思われる。だから日本列島の真ん中で邂逅した人々は混血し、ATLキャリアも薄まっていったものと思われる。そして両者の言葉も混じり合って行ったのであろう。これをピジン化と、そこでは説明している。ピジン化とは言語的混合であると、注釈がされている。

 

縄文時代には、既に、日本列島にはこのように日本語を話す縄文人(日本人)が沢山存在していた、と言う事である。だから縄文時代と言うのであるが、渡来人が来たとしても少数であれ多数であれ、厳然として存在していた日本語には、何の影響も与えなかった、と言うことである。

 

と言うよりも、縄文日本人が使っていた日本語の中に、朝鮮や中国系の単語が一つもないことから、「渡来人は来ても少数であった」と言うよりも、「渡来人はやって来なかった」と言う方が正しい考え方であろう。

 

長浜浩明氏は、そのことを「日本人の起源の謎」(日本文芸社)を引用して説明している(P285)。即ち、

 

日本語と比較的近いと思われる言語を撰んで言語年代学によって計算してみても、10%を超える言語は見当たらないことから、松本氏は、日本語が弥生時代の初めにどこかの言語から分かれて出来たという可能性はほとんどなく、おそらく日本語の起源は縄文時代以前に遡るであろう、としている。

 

ここに出ている松本氏とは、言語学者の松本克己氏のことである。

 

このように日本語は、どこかに祖語があってそこから分岐していった、と言う事ではなくて、そのような言語学が扱う範囲の6千~7千年よりも前に遡る古い言語であることがわかったのである。

 

最古の縄文土器青森の16,000年前の地層から発見されているので、後期旧石器時代から縄文草創期への時代は、今から16千年から17千年前のことと見てよかろう。この旧石器時代に(から縄文時代に掛けて)、日本語は確立していったものと思われる。日本民族はこの古い時代から日本列島に存在していた訳である。

 

そして今に至るまで、営々と日本人と日本語が永続していると言う事は、外部から言語の交代を強いるような支配者集団が渡来したことがなかったことの証左ともなるものである。

 

だから、少数の渡来人がやって来て稲作を伝え、爆発的に人口を増やし、日本人の七~八割を占めることになったなどと言う事は、全くの絵空事なのである。これは虚偽であると断言できる

 

日本語から見ても、稲作を伝える渡来人などの来訪はなかったのである。即ち日本人のルーツは数万年前から日本列島に住んでいた旧石器時代からの人々(縄文人達)だったのであり、縄文人が自ら米作りにも勤しんだのである、と言う事が言えるのであろう。

 

ここで青森の16千年前の土器について触れてみよう。

(続く)