日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(19)

中国の南京市から東北東に直線距離でおよそ70kmほど(?)行ったところに、現在は江蘇省の揚州市がある。ここで清朝軍が明国の残党と戦った時に、揚州で大規模な殺戮を行っている。1645年の揚州虐殺(揚州十日)と言われている「屠城」が行われている。80万人が虐殺されたと言われている。

 

 

 

再生日本21

 

中国4000年のおそろしさ――不気味な隣人の素顔

 

http://www.saisei21.jp/report/2012/report-1

 

中国4000年の“抗争と断絶”の歴史

 よく「中国4000年の歴史」という。しかしこの4000年の歴史は、実は繰り返される断絶の歴史、もっと言えば血で血を洗う抗争の歴史といってもよいくらいだ。
 それを象徴する言葉が「易姓革命」である。易姓革命とは、天下を治める者は、その時代に最も徳がある人物がふさわしい。天が徳を失った王朝に見切りをつけた時、革命が起きるという中国の伝統的な政治思想である。天や徳といった言葉が使われているが、実のところは新王朝が史書編纂などで歴代王朝の正統な後継であることを強調する一方で、新王朝の正当性を強調するために前王朝と末代皇帝の不徳と悪逆を強調する。それを正当化する理論として機能していたのが易姓革命の思想なのだ。そのため中国の歴史は、決して誇張ではなく血で血を洗う抗争に次ぐ抗争であり、4000年の歴史と言っても私たち日本人がイメージしているような悠久の歴史では全くない。江戸時代の儒学者であり、軍学者であった山鹿素行はその著『中朝事実』においてその点を指摘し、「中国では易姓革命によって家臣が君主を弑することがしょっちゅう起こっている。中国は中華の名に値しない。建国以来万世一系の日本こそ中朝(中華)である」と主張した。素行も説いた中国の抗争と断絶の歴史をさかのぼりながら見ていこう。

 

 

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征服王朝のすさまじさ

 

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 次は最後の征服王朝・清だ。1644年に都を北京に移した清は、中国南部に残っている明朝の残党狩りのために征服戦争に打って出る。これがすさまじい。「屠城(とじょう)」と言って、「城内の全ての人間を屠殺する」のである。こう言うと、「日本でも珍しくないではないか」と思うかもしれないが、まるで違うのである。日本では籠城するのは武士であり、城下町はその外にある。だから、仮に城内の人間がすべて殺されたとしても、それは籠城している武士だけである。しかし、中国の場合、街全体が城壁で囲まれており、屠城とは街中の市民全員を殺すことなのである。清の征服軍が行なった屠城で有名なものの一つは1644年の「揚州屠城」であるが、当時揚州は既に人口100万人の大都市であった。その都市で大虐殺が実行された。かろうじて生き残った王秀楚という人物が、『揚州十日記』という記録を残している。「数十名の女たちは牛か羊のように駆り立てられて、少しでも進まぬとただちに殴られ、あるいはその場で斬殺された。道路のあちこちに幼児が捨てられていた。子供たちの小さな体が馬の蹄に蹴飛ばされ、人の足に踏まれて、内臓は泥に塗れていた。途中の溝や池には屍骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた」。この記録によれば、屍骸の数は帳簿に記載されている分だけでも八十万人以上に達したという。

 

 

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http://www.saisei21.jp/report/2012/report-1

 

 

 

また近年でも中国共産党軍は、1948年に「長春大屠殺」(チャーズ事件)という「屠城」をやっている。国民党軍に守られていた長春は、共産党軍による5ヵ月に及ぶ包囲戦のため餓死者が続出した。脱出しようとした一般人は、敢えて市内へと送り帰されている。当時7歳であった遠藤誉は、この飢餓極限状態を本にして出版している。「チャーズ中国建国の残火」である、とWikipediaには記述されている。

 

当時長春には日本人も大勢居たので、相当数の日本人を含む30万人が中国共産党軍に殺されている。

 

まあ、毛沢東1958年に「大躍進政策」を発動し、人海戦術によるでたらめな農工業の増産計画を推進したが、大失敗して発動から数年間で2千万人とも5千万人ともいわれる餓死者を出している。この失敗により毛沢東は失脚している。

 

更に毛沢東復権を狙って、1966年から”資本主義を批判し新社会主義文化を創生する”という「文化大革命」という権力闘争を引き起こした。紅衛兵などの学生運動を扇動して、政敵を蹴落としていった。これらの暴動闘争ののために各地で内乱や殺戮が行われ、社会経済は完全に麻痺した。2千万人以上が殺されたと言われている。

 

これらは毛沢東による新「屠城」と言ってもよいモノではないのかな。

 

今の習近平も、20133月に国家主席に就くと、共産党規律検査委員会の主任に据えた王岐山と共に、「腐敗撲滅運動」を展開して政敵をことごとく摘発・抹殺していった。

 

これも習近平現代版屠城」ではないのかな。習近平は、今は香港に対して「屠城」を始めている。

 

 

こんなことから、もしも縄文時代末期に、大陸から大量の渡来人が日本列島にやって来たとしたら、きっと日本列島の縄文人は軒並み虐殺されていたのではないか、という推定も成り立つものと思われる。

(続く)