だからその書・長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(展転社)の冒頭の「初めに」で、次のようなものが紹介されているのであろう。その内容に対して、一寸面食らった次第です。
「日本民族はどこから来たのでしようね
・・・・・・・・・・
日本人の血液の六割以上は朝鮮半島をつたって来たのではないのか
・・・・・・・・・・
1971年のことである様なので、司馬の英国講演の更に前のことであるので、当然板付遺跡や菜畑遺跡はまだ発見されていない。
(ケンブリッジ大学での)
司馬遼太郎・英国講演 1987年(S62) 英国日本学研究会主催のシンポジウム
街道をゆく!湖西のみち 1971年(S46) 日本民族はどこから来たのでしょうね
板付遺跡の水田遺構の発見 1978年(S53) 講演の9年前に判明
菜畑遺跡の水田遺構の発見 1980年(S55) 講演の7年前に判明
大平山元I遺跡出土の土器 1998年(h20) 世界最古の土器発掘、16,500年前のもの
あとは次のブログを参照願う。
人間道場
荒木塾
司馬遼太郎先生と街道をゆく 8 琵琶湖西岸を司馬先生とゆく
2020-01-18 13:42:32
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この稿では「日本人はどこから来たのであろうか・・・・・・・・・
と 自問自答する先生」
第1巻 甲州街道 長州路
1章 湖西のみち
楽浪の滋賀 さざなみの滋賀 8
日本民族はどこから来たのであろう
という想像は
我が身のことだからいかにも楽しいが
しかし空しくもある。
考古学と文化人類学がいかに進もうとも
それが数学的回答のように明快になるということはまずない。
が
まだ学問としては若いと言える日本語中心の比較言語学の世界になると
今後英才が出てきて
大きなカギヲ探り当てるかもしれない。
ただしいまは
まだ茫漠たる段階である。
なにしろどの大学にも国語学者がいるが
たとえば隣接地の言葉である朝鮮語を同時にやっているという当然の方法さえ
いまはほとんどおこなわれていない段階なのである。
この稿の読者の中で
一念発起してそれを生涯のテーマとしてやってみようという青年がいればありがたいのだが。
(続く)