日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(35)

この南ルート上のホモ・サピエンスの人骨が発見された遺跡を見てみよう。

 

次のような遺跡が、その書では、説明されている。

 

ホモ・サピエンスの人骨化石遺跡としては、

 

1) セイロン島のファヒエンレナ岩陰の人骨片 37000年前

 

2) セイロン島のバタドンバレナ岩陰の人骨  34500年前

 

3) ボルネオ島のニア大洞窟の「ディープスカル」 4万年前

 

4) 同上遺跡の更に下の地層から石器が出土 48500年前頃より始まる

 

5) ラオスのタンパリン遺跡の頭骨化石 46000年前

 

6) オーストラリアの47000年前の人類遺跡

 

 

このほかには、

 

タイのモキユー遺跡、マレーシアのペラ遺跡、ベトナムのハンチョー遺跡、ジャワのワジャク遺跡などからも人骨化石が発掘されているが、おおよそ46000年前から1万年前となっているという。

 

それらの遺跡からは原人や旧人の骨は見つかっていないので、古代型人類は、ホモ・サピエンスの到来と共に姿を消していったものと思われる。

 

この南ルートのホモ・サピエンスは、47000年前までにオーストラリアやニューギニアへ到達していた訳だが、彼らは今の先住民のアボリジニに似ていたという。

 

アボリジニは、この南ルートのホモ・サピエンスの子孫とみなして、間違いないであろう。

だから「オーストラロ・メラネシア」と総称されている。

 

だが「タイから西インドネシアにかけての地域に暮らす人々は、オーストラロ・メラネシアンとは、体系も、肌の色も、ずいぶん異なっている。つまり現代人の地理分布をみる限り、オーストラロ・メラネシアンはオーストラリアとニューギニア辺域に孤立しているようにみえるので、太古の南ルートの存在と言うのは想像しづらい。」と記述されている(P61)。

 

ただタイやマレーシア、ベトナムなどの遺跡から発見されている人骨化石は、現代の東南アジアのそれよりも、オーストラロ・メラネシアンに似ていたのである。

 

このことは日本の札幌医科大学松村博文氏の一連の研究により、明らかにされた。このことは1万年前~5000年前の数多く発見される人骨の研究からも、それらは「オーストラロ・メラネシア」に似ていることが指摘されたのである。だから「オーストラロ・メラネシアン」は、かつて東南アジア大陸部の広い範囲に分布していたのであった。

 

しかし中国(河姆渡遺跡?)起源の稲作農耕文化が東南アジアへ広がるにつれて、それと共に人の集団も移動し、先住のオーストラロ・メラネシアン系の人々は次第に押しやられたか吸収されて、現在のような状況へと変わっていったらしい、とその書のP63には記述されている。

 

つまり48000年前の最初の大移動の痕跡は、後の移住によってかき消され、現在の東南アジアにはほとんど残されていない、という事のようだ、と同じく記述されている。

(続く)