日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(36)

さて人骨が伴わないホモ・サピエンスの遺跡も沢山見つかっている。それと言うのも、ホモ・サピエンスのみが使った道具類が発掘されておれば、その遺跡はホモ・サピエンスの遺跡と見て間違いがないであろう。

 

海部陽介はそれらを、装飾品細石器骨角器の3つである、としている(P64)。

 

イスラエルの初期のホモ・サピエンスの遺跡の13万~7万年前の地層からは貝殻に穴をあけてビーズ状にしたものが出土している。

 

ダチョウの卵の殻を加工して作るビーズは、今でもアフリカでは盛んにつくられているが、4万数千年も前から行われていたようだ。南アフリカのブロンボス洞窟やディープクルーフ岩陰からは11万年前以降の地層から、それらが発掘されている、という(P64)。

 

細石器とは、岩宿遺跡で説明した黒曜石の槍先形をした石器のようなもので、それ自体を単独で使用したものではなくて、木や骨、角などを加工してそれにはめ込んだりして使用したものであろう。異なる素材を組み合わせて道具を作ると言う事は、新しい発想のものである。

ネアンデルタール人などの旧人にはない行動様式であった。アフリカのピナクル・ポイントと言う遺跡では、7万1千年頃の細石器が報告されている、という。

 

骨角器は、骨や角は石と違い加工が容易であるので、細くけずったり曲げたり穴をあけることによって作られた道具である。というような工夫をホモサピエンスは、実行して必要とした道具を作ったのである。釣り針や銛、更には縫い針まで発明していたのである。

 

人骨が見つからなくてもこのような道具が発掘されていれば、その遺跡はホモ・サピエンスの遺跡なのである。

 

先に紹介したスリランカのバタドンバレナ岩陰遺跡では、人骨が見つかったと同じ地層から、貝のビーズ、細石器、骨角器が発掘されている。ここからは彼らが食したと思われる動物の骨が沢山見つかっているが、それらはほとんどが猿の骨だった、と書かれている(P67)。

 

と言うことは、この地は熱帯雨林で、高い樹上で生活する猿を捕まえる技術を、彼らホモ・サピエンスが持っていたことの証である。その技術はどんなものか興味のあるところであるが、熱帯雨林ではゾウやシカなどの大型動物は生息してはいない。だから小型の哺乳類、しかも夜行性の、を工夫して捕獲していたことになる。罠、弓矢、吹き矢などを使っていたのかも知れないが、これらの道具は木材などの植物素材で作られているので、遺跡物としては残ることはない。確認できないのが誠に残念である、と記している。

 

だから海部陽介は、「そのようにチャレンジングな環境であるからこそ、旧石器時代の祖先たちが、どれだけ熱帯雨林に適応できていたのかは、たいへん興味深い。」と記している(P64)。

 

インドからはその土質の関係から人骨化石は発掘されてはいないが、このようなホモ・サピエンスが使ったと思われる装飾品と細石器と骨角器は出土している、と記している。

 

3万9千年前チャンドラサール遺跡3万年前頃パトネ遺跡では、線刻模様を施したダチョウの卵殻の破片が見つかっている。2万年前の地層となるが、ジュワラプーラム遺跡からはダチョウの卵殻のビーズも発掘されているという。今は、ダチョウはアフリカにしかいないが、当時はインドを含むアジアの広い地域に生息していた、と記している(P68)。

 

ジュワラプーラム遺跡からは細石刃が出土しているが、これは3万4千年前のものと言う。メタケリ遺跡では4万5千年前のものが出土していると報告されているという。

 

チャンドラサール、メタケリ、パトネはインド中央部、ジュワラプーラムはインド半島の南より1/3ほど北上した当たりの中央よりやや東よりの場所である。

 

パキスタン北部のリワート55という遺跡では、4万5千年前の石刃が出土している。これはホモ・サピエンスのものとされている。

 

このように、南ルート(南アジア)では、3万9千年前、場合によっては4万5千年前までさかのぼって、ホモサピエンスの痕跡が見られると言うことが遺跡によって証明されたことになる。

 

と言うことは、海岸移住説に対しては明確なアンチテーゼとなる。その証拠にボルネオ島ニア大洞窟の調査結果である。

 

この超巨大洞窟で、イギリス人のトム・ハリソンとバーバラ・ハリソン夫妻によって、19582.5mの深さから頭蓋骨が発見された。そのため、「ディープ・スカル」と呼ばれるこの頭蓋骨は、マレーシアの女性考古学者のズライナ・マジッドによる再発掘と2000年にはケンブリッジ大学の考古学者グレイグム・バーカーらによる再調査により、約4万2千年前20歳前後の女性のものと特定された、と次の論考には記載されている。

 

しかし海部陽介の「日本人はどこから来たのか?」(文芸春秋社)のP58には、この「ディープ・スカル」は地表面下2.7mの地点から見つかった青年の頭骨化石だと記されている。

 

この青年の頭骨か20歳前後女性の頭骨化は、大きな違いである。どちらが正しいのであろうか。小生は海部陽介氏の記述を信じたい。

(続く)