さて、そろそろ北ルートのホモ・サピエンスたちの集団の話に移ろう。
北ルートとは、2020.09.10のNO.33で掲載した世界地図での北ブロックをめぐるルートである。
モンゴルの西の端・アルタイ山脈の北の麓を、バイカル湖方面に向かって進むルートであろう。
当時のホモサピエンス達は、現在の地図で言うと、カザフスタンからアルタイ山脈の北の麓のロシア領に入り、バイカル湖方面に向かって歩いていったものであろう。
海部陽介氏の「日本人はどこから来たのか?」(文芸春秋社)のP85には、そこの中心遺跡である「カラ・ボム」遺跡のことが書かれている。北ルートにおける最古のホモ・サピエンスの遺跡と目されるものである。
この近くには、旧人であるデニソワ人と言う古代型人類の骨が発見されたデニソワ洞窟も、その近くにある。このデニソワ人は、ネアンデルタール人と同系列の旧人のようだ。
「カラ・ボム」遺跡を海部陽介氏が訪れたときは7月だったと言うが、とても寒かったと書かれている。そこは、北緯50度に位置している。樺太の中央部分が、丁度北緯50度たから、寒い筈だ。
「カラ・ボム」遺跡がある場所は、4つの国の国境が接する地点のすぐ北側だ。
即ち、西のカザフスタンと東のモンゴルが一点で国境を接し、そこへ南にはチベットがその一点に接しており、北側はロシア領だ。一点で4カ国が国境を接している地点である。そのロシア領にカラ・ボムはある。
下図によると、”7”がカラ・ボム遺跡で、”4”がデニソワ遺跡である。
オビ川の上流のカトゥニ川の上流に位置している。この地域は、ゴルノアルタイ地方と言うそうだ。
見にくければ拡大してみてほしい。
この地域からは、中期旧石器時代と後期旧石器時代の各種の石器が出土するそうで、どうも一大遺跡地帯のようである。かなり専門的になるが、この地図は次のものから借用しているので、一度訪れてほしい。(4がデニソワ遺跡、7がカラ・ボム遺跡)
それによると(生噛りであるが)この遺跡は、62000年前から40000年前頃のものらしい。
(続く)