日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(40)

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国立民族学博物館学術情報リポジトリ National Museum of Ethnology Repository

東アジアにおける中期~後期旧石器初頭石器群の変

遷過程



折茂 克哉

国立民族学博物館調査報告

2002-12-20

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35カラ・ボム遺跡における中期~後期旧石器石器群の変遷

従来,中期~後期旧石器の過渡的段階として位置付けられてきたカラ・ボム遺跡は,ここで紹介したように,一・つの石器群として捉えられるものではない。中期,後期旧石器合わせて8文化層が確認され,その変遷過程はおよそ3段階に分けられることが明らかにされた。特に注目すべきは,今まで漠然と考えられていた中期~後期旧石器の過渡的な石器群というものが,実は過渡的というような曖昧なものではなく,中期の石器群と後期の石器群とに明確に分けられたことであろう。

 

出土している石核の形態だけ見れば,ムステリアン文化層にも後期旧石器56文化層にも,ルヴァロワ型石核と石刃石核そしてその両者の中間形態のようなものがある。しかし,剥離されている剥片と石刃の割合や,石器の素材として用いられている石刃の割合は,大きな違いを見せているのである。つまり,石器群の変遷を考える上で重要なのは,ルヴァロワ技法から石刃技法が出現するという過程ではなく,作られる石器とその素材の変化によって表される石器製作技術全体の変化であることを示唆している。石器の素材となる剥片形態の変化が,結果としてルヴァロワ型石核と石刃石核の割合に反映しているのである。

 

ムステリアン文化層では剥片素材だった彫器や掻器が,後期旧石器56層では石刃素材になっていることは,両文化層の問に石器製作技術上の違いがあることを示している。ルヴァロワ尖頭器ではなく,石刃を素材として先端部に二次加工を施す尖頭器が出現することも注目される。また,石刃石核については,ルヴァロワ技法による石刃剥離だけでなく,以前には見られなかったような,盤状の石核の小口面から石刃を剥離するものが,後期旧石器56層で多くみられるようになり,この時期の特徴的な石核になっている。

 

このようなカラ・ボム遺跡の後期旧石器56層に代表される石器群を,デレビヤンコらの報告者は「カラボムスキー・ブラスト(Kapa60McKnacT)」2)とよび,その分布範囲は,図6に示すように,シベリアのみならず,中央アジア西アジアまで広がりを見せているとしている(πepeBKoneTpHHPb16照, qeBa∬KoB l 998;几epeBKoneTpHPb16HH 2000o



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この地図を拡大して見ても、4のデニソワと7のカラ・ボムとの間はそれほどの距離はないように見えるが、海部陽介はデニソワ洞窟の発掘キャンプでの国際会議に参加していた時に、デニソワからカラ・ボムに車で訪問したのであるが、行けども行けども草原が続きなかなかカラ・ボムには着かなかったと言っている。

 

まあ地図の縮尺などを参考にすれば距離感覚は掴めるのではあるが、この地図で見てもデニソワとカラ・ボムは近くに見える。しかし相当な距離なのであろう。

 

しかもこの北緯50度の地帯は相当寒い。現在でも冬季は、マイナス15~20℃になると言うので、ホモサピエンス達がここを歩いた氷期の時期はもっと寒かったはずだ。

 

祖先たちは、何故そんな場所へ行ったのであろうか、という疑問が湧いたと氏は述べている。

 

ここの地層では、「中期旧石器文化の地層の上に、後期旧石器文化の地層があるので、おそらくここで古代型人類(ネアンデルタール人だろう)からホモ・サピエンスへの交代が起こったにちがいない」と記されている(P85~86)。

 

そして後期旧石器文化の最下層の年代は、何と4万6500年前だと言う。これも発掘した箇所の炉跡から取り出した炭のサンプルの、放射性炭素年代測定値だと言う。かなり正確なものであろう。

 

これは驚くべきことで、かなり早い段階から人類は、この寒冷な南シベリアへ進出していたことになる、と記している。

 

 

ホモ・サピエンスの到達年代

 

(1) 4万6500年前 南シベリアへの進出

(2) 4万8000年前 アジア南部への進出

(3) 4万5000~4万3000年前 ヨーロッパへの進出

 

 

このように温暖なアフリカ大陸から広がっていったホモ・サピエンスたちは、寒さの厳しいシベリアへの進出は相当遅れてもよさそうなものを、このようにヨーロッパへ進出するよりも早く、アジアへ進出する時期とそれほど遅れてはいない、と記されている(P86)。

(続く)