日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(44)

旧人と新人のこの違いは、音を発する喉の構造にわずかな違いがあり、ネアンデルタール人は複雑な言葉を発することが出来なかった、と言われている。これに対して、ホモ・サピエンス

上記にもあるように複雑な言語を発することが出来たのであり、そのことは即ち物事を順序立てて考えることが出来る脳の機能に直結している、と言うことに繋がっているのである。

 

そのためホモ・サピエンス達は、集団で意志の疎通がうまくできたことにより、共同作業が行われ食料の確保もうまく行えたものと思われるし、衣服などの寒冷地対応も工夫していったのであろう。

 

上記の論考では、ヤナRHS遺跡は3万2000年前の遺跡であると書かれているが、一説には3万1000年前であるとする記述もあるが、ここでは、海部陽介の「日本人はどこから来たのか?」(文芸春秋社)に従い、3万3000年前の遺跡としておこう。

 

 

 

人類の起源と人類の拡散

【人類の移動】~「歯」から推測する北東アジア人の起源 ~北上説VS横断説

 

麻丘東出  (  55  兵庫  ) /03/28 AM02

 

人類(ホモ・サピエンス)は、ユーラシア北東部(バイカル湖周辺)に移動・定着し北方適応したが、その起源には「北上説」と「横断説」がある。
北上説」は、(現在多くの研究者が考えている)最初にアフリカを出たのち、レバント(西アジア)地域からインドを経て、ユーラシア大陸を南回りで移動してきた東南アジアの集団が北上したとする説。
北上したバイカル湖周辺で北方適応し(→北方モンゴロイド)、そこからシベリアにまで移動適応したのち、アメリカ大陸へ移住したと想定している。
横断説」は、北上説では遺伝性と保存性が高い「歯」からの推測と不整合があることから、レバント(西アジア)から、ヒマラヤ山脈の北側のステップ地帯やシベリアを横断したとする説

北方適応したのは、遺跡から推測すると2.8万年前ごろ
氷期の寒さが厳しさを増しつつあった2.8万年前ごろバイカル湖周辺の北緯5060度の地域で、人々が活発な活動を繰り広げていた証拠が多くある。「2.3万年前のマリタ遺跡(リンク)やウスチ・コヴァー遺跡など」から知られているその文化は、大量の動物を狩る技術が発達し、豊かな動物資源を利用して、質の高い機能的な住居や防寒衣が作られるようになったことを下地に発展したと考えられている。
そのため、ユーラシア北東部に移動し北方適応を果たした時期は、2.8万年前頃と考えられる。

一方、シベリアの北極海に近いヤナ河流域に「3.1万年前のヤナRHS遺跡リンク)」が発見されている。ウラル北部でも4.2万年前ごろに人の居住がはじまっているらしい。ただしこれらの遺跡の証拠をもって、人々が4万~3万年前ごろから極地域へ定着したと結論することはできない。この時期は最終氷期の最終冷期へ至る前のやや温暖な時期に相当し、ヤナRHS周辺でも動物相が豊かであったが、これ以降この地域の居住条件は悪化し、やがて極地砂漠のような状態へと変化していったことが知られている。こうした条件下では、人々は南シベリア方面への避難を余儀なくされたと予測される。そして、極地域でヤナRHS遺跡に次いで古い遺跡は、氷期終結に向かい気温が上昇してきた「1.6万年前のベレリョフ遺跡」になる。
このことから、4万~3万年のシベリア居住は、やや温暖期の一時的定住で、極地シベリア適応するのは1.6万年前頃と考えられる。

上記から推測すると
・[4万~3万年前頃]やや温暖期に、ユーラシア北東部、北極海に近いシベリアにまで移動。
・[2.8万年前頃]寒冷化にともない南下し、バイカル湖周辺で北方適応。
・[1.6万年前頃」最終氷期(ウルム氷期)最寒冷期のあと温暖期に北上し、シベリアに移動し定着。
・[1.6万年前頃以降シベリアからアメリカ大陸へ

歯がヒトの進化や系統を解明する手段として有効な根拠
遺跡に残る遺体は骨や歯などの硬組織に限られる。最近では骨や歯に残るコラーゲンからDNAが分析されることが多くなっているが、よほど良質の状態でないと抽出は困難である。それに比べ、
歯は身体のなかで最も硬い組織で、遺体が長い年月にわたって地中に埋没し骨が溶失しても、歯だけは残っているケースが多い。
歯の歯冠と呼ばれるエナメル質の部分は、遺伝性が強くさまざまな形の特徴を有する。人類の歯の形態の変異は、現在知られているだけでも数十形質にも及び、歯には多様な遺伝情報があるとみなされている。
歯冠のエナメル質の部分は、幼児期の早いうちに早々に顎骨の中で形成され、成長期の早い段階で完成するため、以降の成長期の栄養状態や生活様式の影響を受ける骨に比べ、その形成において環境に左右されにくい。
これらの理由により、進化や系統について多くの情報を引き出すことが可能と、ヒトの進化や系統を解明する手段の一つとして、古くから盛んに行われてきた。

北上説VS横断説
歯の形態からは、東南アジア北東アジアの南北の集団の間には大きなギャップがあり、両者が祖先と子孫の関係にあったとはいいにくい。
日本からはるかかなたに位置するペルーの人々は、とりまく環境が大きく異なるうえ、両者は1万年以上前に分岐した可能性があるにもかかわらず、互いの歯の特徴は極めて似ており、現在に至っても同じ歯の特徴を有している。
一方、東南アジアは日本や中国からは地理的にもずっと近いにもかかわらず、この地域の中石器時代の人々の歯の形質が大きく異なっており、オーストラリアメラネシアなどの人々と緊密な関係にあることがわかっている。このグループはアンダマンの人々とも近いことから、アフリカから南回りでやってきた現生人類に由来するという見方は妥当。
遺伝性の強いはずの歯の形態が大きく異なっている北東アジア人の由来は、東南アジアから北上した可能性だけでなく、西アジアからヒマラヤ山脈の北側のステップ地帯やシベリアを横断した「横断説」の可能性がある。

★★
歯の形態から想定した人類の移動
・[12万~8万年前頃]:アフリカ→レバント(西アジア
1ユーラシア大陸南回りルート
・[8万年前]レバント(西アジア)→スンダランドへ
・[?年前 ]スンダランド→東南アジアへ
・[5万年前]スンダランド→サフルランドへ(オーストラリアなど)
2ユーラシア大陸横断ルート(ヒマラヤ山脈北側ステップ地帯やシベリア横断
・[4万~3万年前頃]レバント(西アジア)→シベリアへ(やや温暖)。
・[2.8万年前頃]シベリア→バイカル湖周辺で北方適応(寒冷で南下)。
・[1.6万年前頃」バイカル湖→シベリア(最終氷期あと温暖化で北上)。
1.6万年前頃以降]シベリア→北アメリカ大陸
1万年前頃?バイカル湖(→北東アジア)→東アジアへ
3ユーラシア大陸西ルート
4万年前]レバント(西アジア)→ヨーロッパへ

歯から推測する横断説に立てば、東南アジア人と東アジア人は、その起源が全く異なることになる。
また、北方モンゴロイドと南方モンゴロイドの関係はどう説明するか?
また、アメリカ大陸へは横断ルート、日本へは南回りルートが基層とすると、日本とペルーの歯の特徴が極めて似ているのはなぜか


参照文献:「人類の移動誌」

 

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=313592

 

 

この論考での結論は、概略次のようなものであろう。


(続く)