日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(70)

そして小生と同じ疑問にも言及しているので、それを紹介しよう。

 

 

 

3万年前の航海」、残る舟の謎 本当に丸木舟? 国内最古は7500年前

 

20190811日    http://blog.livedoor.jp/wkmt/archives/51561577.html

3万年前の航海」、残る舟の謎 本当に丸木舟? 国内最古は7500年前

1日の朝日に、『3万年前の航海」、残る舟の謎 本当に丸木舟? 
 国内最古は7500年前』、という記事が載っていました。
 (→ こちら をご覧下さい。以下、全文をそのまま掲載します)

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日本列島に人はどうやって渡ってきたのか

その謎の解明を目指した国立科学博物館による、「3万年前の航海 
徹底再現プロジェクトが先月台湾から与那国島へ丸木舟で
渡ることに成功した。
(これについては→ 先月10日のブログ で取り上げました。
 今回の記事はこれ迄に取り上げたの記事の総括です)

台湾から与那国島を目指す丸木舟黒潮が流れる海を横断できた

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ただ、旧石器時代のこの地域に丸木舟があったのか木の伐採や
加工に使った石斧が存在したのかといった確証はまだない

当時の航海をはっきりと描き出すには、更なる研究が欠かせない。

200㌔離れた台湾の東海岸を出航してから約45時間
全長7.5㍍の丸木舟、「スギメ79黒潮を越えて
与那国島の砂浜に到着した。

舟を漕いだのは、シーカヤックのガイドら男女5

3
万年前の航海を再現するため、夜間航海に必要な航行灯等を
除いてコンパスや地図を持たず太陽や星で方角を探りながら
舟を進めた

方角を完全に失ったり、波が高くて海水をかき出し続けないと
いけなかったりする時間もあった。2日目の夜は全員が休息
したが、与那国島へ向かっていた潮の流れに助けられた

プロジェクトを率いた国立科学博物館海部陽介・人類史研究
グループ長は、遂に海を渡ったことに、「優秀な漕ぎ手と丸木舟が
あれば黒潮に流されずに海を渡れることが分かった」、と語った。

日本列島に人が暮らし始めた約38千年前

アフリカを出た現生人類はアジア大陸から北海道と対馬
沖縄の三つのルートで日本に渡ったらしい。

この内、沖縄ルートに当たる琉球列島の島々には3万年前頃の
旧石器時代の遺跡が点在しており、黒潮の流れる海を越える技を
身に付けた人々がやって来た、と考えられている。

どんな方法で海を渡ったのか

現地で調達できる材料で舟を造ったと想定し、2016年に
造ったのがヒメガマを使った草束(くさたば)だった。

初めにつくった2隻の草束舟

 

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安定した形にできたものの重くて速度が出ず与那国島から
西表島への実験航海で流され出発から約8時間後に断念した。

次につくったのは竹筏(たけいかだ)台湾に育つ大きな
マチクを材料にした

マチクでつくられた竹筏舟

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製作技術が伝わる地元のアミ族の人達に協力してもらい
2017
年に台湾で実験航海したが、これも船体が重く速度が
出なかった。軽くした2隻目もうまくいかなかった。
海部さんは、「草と竹は舟でなく漂流物だった」、と振り返る。

最後に残ったのが丸木舟だった。しかし、国内の丸木舟は
縄文時代の約7,500年前が最古とされ、3万年前とは隔たりがある。

ただ、旧石器時代に遠距離の航海技術があったのは確からしい。

伊豆半島の約40㌔沖に浮かぶ神津島の黒耀石が切れ味の
良いナイフや矢尻等の材料として38千年前以降の各地の
遺跡から多数出土しているからだ。

池谷信之・明治大黒耀石研究センター員は、「旧石器時代の舟は
世界的にも見付かっていないが何らかの舟で往復し黒耀石を
運んだとしか考えられない」、と話す。

石斧、復元や作業難航

丸木舟の製作も難題続きだった。縄文時代の舟を超えない性能と
規模で造ることになったが5人が乗るには直径1㍍程の大木が必要

台湾では適当な木が見付からず、結局、石川県のスギを伐採する
ことになった。

伐採は、国内で3万~38千年前頃の遺跡から出る刃部磨製石斧
(じんぶませいせきふ)でされたと想定した。

 

 

木の伐採に使った石斧の例

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刃の部分を砥石で研いだ石斧だが、考えた装着方法では木の柄が
緩み易く、早いと100回、もっても5千回で換えないといけなかった。

木をくり抜いて舟にする作業も難航。航海実験に間に合わなく
なると心配されたため、作業し易い工夫を施した。

首都大学東京の山田昌久特任教授は、「旧石器時代の石斧や
作業を復元できておらず丸木舟をどう造ったのかの解明は
途上だ」、と話す。

そもそも旧石器時代そうした石斧が伐採や木の加工に
使われたのかはっきりしない台湾や琉球列島の大半では
出土例もない

早稲田大の長崎潤一教授は、「国内の確実な南限は鹿児島県の
種子島徳之島より南では石器自体が殆ど出ていない」、と語る。

だが、石斧も舟も、どれか一つでも新たな証拠が見つかれば
状況は変わる。

東京大の佐藤宏之教授は、「丸木舟が使われた直接の証拠はないが
状況証拠はかなり揃っている大事なのは考古学的データの蓄積で、
新しい旧石器時代遺跡をどれだけ見付けられるかが課題だ」、と話した。

 

http://blog.livedoor.jp/wkmt/archives/51561577.html

 

 

と言ったところであるが、この論考でも「刃部磨製石斧」が実際に存在していたのかは、定かではないと言っている。

(続く)