その理由は、次の2つであった。(先の書のP51)
(1)
アメリカ軍は、この大東亜戦争で日本の優秀な技術による兵器により、大変苦しい戦いを強いられたために、自前で優れた兵器の開発などが出来ない体制を日本に作りたかった。
そのために、日本の科学技術の発展を閉じ込めておく必要があると考えた。
(2)
日本の統治機関であるGHQ内部には、米国共産党員の分派が存在していた。
先に紹介したハル・ノートを作成したハリー・デクスター・ホワイトも、ソ連のスパイでれっきとした共産党員であった。当然GHQ内部にも共産党員が、多く存在していた。
彼らは頻繁に日本側共産主義者と連絡を取り合い、日本学術会議に共産主義者を入り込ませていったものであった。更には、文部行政「民主化」の審議委員には、日本共産党書記長で最高指導者として君臨した宮本顕治の夫人である作家の宮本百合子が任命されるなど、GHQは日本共産党を全く容認していたのである。
あの「神道指令」も、彼らが作成したものであった。小生のブログ「靖国神社に参拝しよう」(2008.09.01)からそれを引用しておく。
『
これが1945年(S20年)12月15日に発せられた覚書「神道指令」(国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件)である。
*GHQとは(Wikipediaによると)、”General Headquarters/Supreme Commander for the Allied Powers”、直訳すると「総司令部/連合国軍最高司令官」となり、連合国(軍)総司令部などと略称する。GHQは、軍事部門(参謀部)と専門部局(幕僚部)からなり、この神道指令には幕僚部の民間情報教育局(CIE)が大きく関与している。
幕僚部の組織 1.民生局(GS:Govermment Section 政治行政)
2.経済科学局(ESS:Economic & Scientific Section 財閥解体など)
3.民間情報教育局(CIE:Civil Information & Educational Section教育
改革など)
4.天然資源局(NRS:Natural Resources Section農地改革など)
参謀部の組織 1.第1部(G1人事担当)
2.第2部(G2情報担当、諜報・保安・検閲を任務とし大きな発言権
を持っていた。)
3.第3部(G3作戦担当)
4.第4部(G4広報担当) 』
このような共産主義勢力が、学術会議をつくっていったのであるからして、日本学術会議は「共産党の支部」的存在であった、と言っても過言ではない。
このような状況下で、
1948.7月に「日本学術会議法」が公布され、1949.1月に「日本学術会議」が設立されたのである。
そんな情勢下で、1950.6月に「朝鮮戦争」が勃発したのであるからして、これによりいっぺんに共産主義者たちに対する取り締まりが強化されることとなったが、日本学術会議はこの取り締まりを妨げ、共産主義者を助ける働きをしたのである。
「先の書」に基づき、それらに関する年表を次の掲載しておく。
この年表には、
「正論202012」月号の『共産党の「権威団体」』(元日本共産党国会議員団秘書・篠原常一郎氏)
(P48~)ともう一つ次の論考のものも含まれている。
「正論202012」月号の『現行憲法並みに有害無益』(ジャーナリスト・櫻井よしこ氏)(P27~)
もともとGHQ内の共産主義者が肩入れした「日本学術会議」である。先にも述べたように、設立当初から日本共産党の支部的性格を有した組織となった訳である。
米国のトルーマン大統領の間違った中国政策のため国民党が劣勢となり、
1949.10月に中国に、共産党政権の中華人民共和国が設立されている。その9か月前に日本学術会議は設立されている。
1950.4月にそんな状況下で、日本学術会議は「戦争目的の研究は絶対にしない」と”絶対に”との表現の声明を出したのである。
その直後の1950.6月にソ連の支援を受けた金日成が突如として、南朝鮮に攻め入ったのである。朝鮮戦争の勃発である。共産主義勢力による朝鮮半島の侵略であった。
(続く)