大西隆は、「日本学術会議」の会長を次の2期・6年間も務めていた訳だ。
第22期 2011/10~2014/9 (H23/10~H26/9)
第23期 2014/10~2017/9 (H26/10~H29/9)
2015年は、日本学術会議の第23期目であり、大西隆にとっては2期目の会長職の地位にあった。
2015年5月には、中国は「Made in Chaina2025」、いわゆる「中国製造2025」を、習近平が発表している。
そしてそれに呼応するかにのように、「日本学術会議」は2015年9月7日に、中国科学技術協会と「協力覚書」を結んでいたのである。
習近平としては、「中国製造2025」に日本の科学技術がどうしても必要だと、考えたうえでの覚書の締結だったのであろう。
中国のしかるべき組織から、大西隆は、相当のアプローチを受けたことでしょう。
何らかの弱みを握られて強要されたのか、又は、相当の金品の提供を受けて籠絡されたのかはわからないが、何れにしても中国からのアプローチに飲み込まれたものと思われる。
なんとしても、日本の技術が「中国製造2025」には必要だった、と言うことでしょう。金に糸目は付けなかった筈だ。
中国科学技術協会は、辿り辿ってゆくと、中国人民解放軍にたどり着く組織なのだ。
次の遠藤誉氏の論考によると、中国科学技術協会は中国人民解放軍傘下の軍事科学院に繋がる組織となっている、と言う。
日本学術会議は、知らぬうちに、中国人民解放軍(習近平)と繋がることになっていたのである。とはいうものの、そんな中国の事情を、大西隆が知らぬはずはないのだ。
「日本学術会議と中国科学技術協会」協力の陰に中国ハイテク国家戦略「中国製造2025」
遠藤誉 | 中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
(https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/)
2020/10/9(金) 19:01
日本学術会議(写真:西村尚己/アフロ)
日本学術会議の新会員候補6人の任命拒否が問題となっている。本稿ではその可否よりも、日本学術会議が覚書を結んでいる中国科学技術協会の正体を明確にし、習近平の狙いが潜んでいることに関して注意を喚起したい。
◆2015年、日本学術会議は中国科学技術協会と覚書を交わした
日本学術会議のHPをご覧になると、そこに国際活動というバナーがあり、それをクリックし、さらに「その他の二国間交流」を辿っていくと、「中国科学技術協会との協力覚書署名式」というのがある。そこには
――平成27年9月7日、中国科学技術協会(中国・北京)において、大西隆日本学術会議会長と韓啓徳中国科学技術協会会長との間で、両機関における協力の促進を図ることを目的とした覚書が締結されました。
と書いてある。
平成27年は西暦で2015年だ。
この2015年に中国で何が起きたのかを見てみよう。
◆2015年、中国ハイテク国家戦略「中国製造2025」発布
2015年は中国のハイテク国家戦略「中国製造2025」が発布された年だ。
習近平は2012年11月に第18回党大会で中共中央総書記に選ばれると、すぐさま「中国のハイテク産業を緊急に促進させよ!」という号令を出して、その年の年末から2013年の年明けにかけて、中国工程院の院士たちを中心に諮問委員会を立ち上げた。
中国工程院というのは国務院(中国政府)直属のアカデミーの一つで、中国科学院から分離独立したものである。中国にはほかに中国社会科学院や中国医学院、中国農学院など、多くのアカデミーがある。「院士」というのは「学士、修士、博士」などの教育機関におけるアカデミックな称号とは別系列の、中国の学問界で最高の学術的権威のある称号である。
2013年、中国工程院の院士たちを中心に最高レベルの頭脳が集まり、「中国製造2025」の基本枠を構築した。2013年末にその答申を受けて中国政府の関係者が実行可能性や予算などを検討し、互いに討議を繰り返した末に、2015年5月、李克強国務院総理が発表したのがハイテク国家戦略「中国製造2025」である。
それまでの組み立てプラットフォーム国家から抜け出して、半導体製造や宇宙開発あるいは5GやAIによる軍事技術も含めた「スマート化」を図ることなどが目的だ。
米中覇権競争時代がやってくるのは目に見えていたので、アメリカに追いつき追い越さなければ中国が滅びる。だから「中華民族の偉大なる復興」を目指し、国家運命を賭けて漕ぎ出したのが「中国製造2025」だった(詳細は拙著『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』)。
もちろん「中国製造2025」では「軍民融合」も謳われており、そのためには国家直轄でない民間の科学技術団体も統合していく必要があった。
◆2013年、中国工程院と中国科学技術協会が提携
習近平が国家主席に選ばれた2013年3月15日、中国工程院は中国科学技術協会と戦略的提携枠組み合意書の調印式を開いた。中国科学技術協会は430万人ほどの会員を擁する科学技術者の民間組織だ。
(http://www.cae.cn/cae/html/main/col1/2013-03/16/20130316102206231685239_1.html)
自分が国家主席に選ばれた日に「中国工程院と中国科学技術協会の提携」を発表するというのは、習近平の「中国製造2025」完遂への決意のほどを窺(うかが)わせる。
逆に言えば、この提携は中国のハイテク国家戦略「中国製造2025」を完遂するための一環であったということが言える。
アメリカと対立する可能性が大きければ、国家戦略的に先ず惹きつけておかなければならないのは日本だ。日本経済は減衰しても、日本にはまだ高い技術力がある。十分に利用できると中国は考えていた。
こうして、2015年9月に日本学術会議と協力するための覚書を結んだのである。
実にきれいな時系列が出来上がっているではないか。
中国の国家戦略の流れの中に、「日本学術会議と中国科学技術協会の覚書」がピッタリはまり込んでいるのが鮮明に見えてきたものと思う。
◆中国工程院と軍事科学院との人的交流と情報交換
2017年9月、中国人民解放軍・軍事科学院はその傘下に国防工程研究院を新設した。軍事科学院は中央軍事委員会及び中国人民解放軍の管理下にあるアカデミーである。
(https://baike.baidu.com/item/中国人民解放军军事科学院国防工程研究院/22117080?fr=aladdin)
問題は、中国工程院と軍事科学院国防工程研究院の主要な研究員(教授)(中には院士)は、互いに人的交流が盛んで、中には兼任している者もいることだ。その結果、研究成果に関する情報交換も盛んとなっている。
ということは、日本学術会議が中国科学技術協会と連携しているなら、それは中国工程院と連携していることになり、最終的には軍事科学院・国防工程研究院と提携していることにつながるということである。
日本の一部のメディア(あるいは国会議員)は、中国工程院が国防部の管轄下にあるなどと書いていたり発言したりしているのを散見するが、それは間違いだ。
国防部というのは国務院の中の中央行政の一つに過ぎず、ほとんど力を持っていない。そんな末端の管轄下にあるのではなくて、中国工程院は国務院直轄だし、軍事科学院は中央軍事委員会の直轄下にある。そのトップにいるのは習近平・中央軍事委員会主席である。
(続く)