日本のご皇室と英国王室(20)

ましてや、『佳代さん(51元婚約者との間に、400万円を超す金銭トラブルがある』と言うことは、しかも解決したものでなく現在ももめていると言うことは、かなりの汚点であろう。しかも簡単に解決できるもの(?)と思われるものであるが、小室家サイドからは、解決しようとする真摯な意思が感じられないのだ、特に小室圭氏からは。

 

 

小室圭氏が2021.4.8に発表したA4,28枚の文書を中心に、そこら辺の事情を時系列的に並べてみる。

 

 

 

200235日、小室敏勝氏(圭氏の父、佳代さんの夫)、焼身自殺。圭氏小学4年生。

2002312日、敏勝氏の父・圭氏の祖父も首を吊って自殺。また祖母も自殺していた。

20109月に小室佳代さんは60代男性と婚約。男性に生活費・学費の援助求める。

201092日、小室圭氏、国際基督教大学ICUに入学する。

2012913日、60代男性(=元婚約者・B)は佳代さんにに婚約解消を申し入れる。

2012913B氏は「返してもらうつもりはなかった」と言った。(録音あり)

    貸付金か贈与に関係なく返済義務ガ免除されたと理解。以後この日付が頻出する。

20138xx日、B氏より「返済してほしい」旨の手紙を貰う。

201386日、贈与なので返済しない旨を、口頭と手紙で返事を出す。

2017516日、眞子さまとの報道がNHKより出る。

201793日、秋篠宮眞子さまと小室圭氏、ご婚約内定の記者会見

20171212日、最初の金銭トラブルの報道が出る。

201826日、秋篠宮眞子さまと小室圭氏の結婚関係儀式の延期発表

2019122、小室圭氏、H31年(2019年)の文書公表(贈与なので返さない)。

元婚約者・Bとの食い違いは解消したい。

20195xx日、B氏との話し合いが始まる。

201988日、小室家代理人弁護士がB氏と面談、3点のお願い。1.貸付明細、2.両者の

         認識の違い、3.解決まで非公表

20191113日、B氏の記者から、「もはや金銭の請求はしない、話し合いも不要で止め

         たい。」との意向。後日「決して解決したとは思っていない。」と回答。

20201113日、眞子さまが文書を公表(結婚に対する思いは変わらない)。

20201130日、秋篠宮皇嗣殿下の記者会見。「多くの人が喜んでくれる状況にない。見

         える形になることが必要。」

202148日、小室圭氏、28頁の「金銭トラブル」文書公表。

 

 

これは 202148日、小室圭氏が公表した28頁の「金銭トラブル」文書を中心に拾ったものであるが、この文書で一貫しているものは、「元婚約者からの金銭は返済義務が無い」ので返済はしない、と言うものであった。

 

元婚約者も「返してもらうつもりはなかった」と言っているし(録音あり)、「金銭は贈与なので返さなくてもよい」と、一貫して主張していたのである。

 

そこには、小室家が苦しかった時に元婚約者に大いに助けられたことに対する感謝の念が、微塵にも感じられないものであった。

 

きっと小室家には、感謝の情とか人情とか言った人間の人間たる所以の気持ち・感情は、存在していないようにも思えるのである。

 

元婚約者が「婚約を解消」せざるを得なかった事情もそこら辺にあるのではないのかな。

 

だから父も祖父母も、ともに自分で命を絶っていたのではないのかな。生き残っているのは圭氏の母の佳代さんだけである。

 

 

 

小室圭さんの父と祖父の自死 母・佳代さんには嫁姑問題も

2020.12.17 07:00  女性セブン

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 秋篠宮家の長女・眞子さま29才)の婚約内定者・小室圭さん(29才)の家族を巡る状況に新展開だ。これまで、タブーのように詳細が語られてこなかった、小室圭さんの父・敏勝さんの自死。今回、その詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。

 窓際のダイニングテーブルに射し込む陽光が、机上に広げられた東京・国立市周辺の地図を照らしている。小室さんの母・佳代さんと祖父が、神妙な面持ちで向かい合って座っている。

 小室さんの父・敏勝さんが、前日の未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。

 重苦しい空気を意外な形で切り裂いたのは佳代さんだ。突然、仁王立ちになって大声で義父に向かって怒鳴り散らし始めたのだ。

「小室は自殺している! それは全部あなたたちのせいだ!」

 反論せず、じっと床を見つめて耐えている祖父の頭上に、更なる怒鳴り声が突き刺さる。

「あなたたちの愛情が足りないから彼は自殺したんだ!!

 小さな祖父の背中は、佳代さんの大声に反応する機械のように、罵声を浴びるたび、どんどん丸く小さくなる。その怒号がやんだのは、見かねた親族が割って入ってからだった。

 翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。佳代さんの発言通り、敏勝さんは自殺を選んだのだ。そしてその1週間後、後を追うように、面罵された祖父も首を吊って自殺した──。

 小室家の関係者は、佳代さんの電話越しの声が耳から離れないという。

《あのね、義父が死んだの! (敏勝さんの)弟は言葉を濁しているんだけど、どうも首を吊ったみたい!》

 これは今回初めて明らかになった、いまから19年前の3小室さんが小学4年生のときの出来事である。小室家の関係者が語る。

「敏勝さんは、穏やかな人でしたよ。全然怒らない人で、おとなしくて。佳代さんが言うことを否定しない人で、何を言われても、“そうだね”と静かにうなずいて、なるべく彼女が自由にできるようにしていました。

 仕事も一生懸命でね。小室さんの国立音楽大学附属小学校の進学に合わせて東京・国立市に引っ越してからは、勤務先の横浜市役所まで通勤するため、朝は小室さんが寝ている6時には家を出て、小室さんが寝てから帰ってくるような生活だったようです」

 子煩悩で、佳代さんの意思にも従順な敏勝さん。何かをがまんするなら、常に自分自身だったのだろう。関係者が続ける。

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2001年、国立音楽大学附属小学校時代の小室さんと父・敏勝さん(小室さん提供)



「そうした生活の影響もあって、2001年の)夏頃に体調を崩したようです。部署異動によって希望の仕事もできず、上司との折り合いもつかなかったことについても悩んでいました。見るからにやつれて、目にも生気が宿ってなくて。明らかに心の病だと思って、佳代さんに心療内科に通わせた方がいいんじゃないかと言ったんです。そしたら、“いやよ、病院に行かないのは本人の勝手だから”と。随分と冷たい人だなと思いました」

 別の小室家の関係者は、嫁姑問題を指摘する。

「同じ頃、佳代さんは敏勝さんのお母さんとこじれていましてね。敏勝さんがマイホームを建てようとしていたんです。建築学科を出ている敏勝さんはマイホームを建てるのが夢でしたから。

 敏勝さんのご両親がいろいろと支援をしてくれたそうなんですが、それに乗じて、佳代さんが家具とか内装にお金を掛けようとして予算が大幅にオーバーしちゃったみたいなんです。それで、お義母さんと佳代さんが大げんか。間に入った敏勝さんはほとほと困っていましたね」

 家族、職場、実家──どこにも居場所がなくなった敏勝さんが、得意ではないお酒に手を出したのはこの頃だ。そして、敏勝さんが自ら命を絶つことになる2002年。正月早々、小室家をよく知る知人のところに、佳代さんから電話があったという。

「佳代さんと小室さんは、2人で実家のある横浜方面に帰るので、体調が悪いのにひとりで国立市に残る敏勝さんの様子を見ていてほしいと言うんです。心配なら一緒にいればいいのに“夫の食事、なんとかしてもらえます?”って。仕方がないから敏勝さんに電話をしたら、彼は遠慮したのか“もうよくなったから気にしないでください。寝てますから大丈夫ですよ”と答えました。

 ただ、後から佳代さんに聞いた話では、そのときに敏勝さんは行方不明騒動を起こしていたんです。半日ほど多摩川の河川敷で過ごし、音信不通になっていたそうです」(小室家をよく知る知人)

 多摩川。敏勝さんがここで自ら命を絶つのは、この2か月後のことだ。年が明けて間もない寒空の下の河川敷で、敏勝さんは何を見て、何を思っていたのだろうか──。

 

女性セブン20211714日号

(続く)