第三十二回オリンピック競技大会(及び第十六回パラリンビック競技大会)、というのが、「東京オリンピック」の公式名の様だが、
通称「東京2020ニーゼロニーゼロ」・東京2020オリンピック競技大会は、
2021年(令和3年)7月23日から8月8日までの17日間、東京都で開催されるオリンピックである。今筆をとっている6月2日からは、あと52日しかない、切羽詰まっているわけだ。
このオリンピック大会は、「東京2020ニーゼロニーゼロ」とあるように、 当初は
2020年7月24日から8月9日までの17日間で開催される予定であった。
しかし、中国武漢・新型コロナウイルスの世界的流行を受けて、一年延期となったものである。
「東京2020」という名称ははそのまま使われて、本当のところは、一年延期しても安心安全に東京五輪が開催されるかどうかの保証は無かったものであろう。
まあ、一種の気休めである、1年延期したんだから開催してもよいでしょう、とはIOCの狡(こす)い魂胆なのでしょう。
丁度1年前にも、いや1年前だからこそ、東京五輪「中止」について考えよ、との論考が発表されている。
東京五輪「中止」に向けて、本気で考え始めるべき理由
小林信也:作家・スポーツライター ライフ・社会 ニュース3面鏡
2020.7.29 5:20
写真:つのだよしお/アフロ
人類はまだ新型コロナウイルスに打ち勝っていない
予定通りなら、東京オリンピック2020が開幕している時期になった。新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、いまごろはどんなお祭り騒ぎになっていただろうか。
1年後には改めて開幕が予定されている。しかし、新型コロナウイルスの感染が広がる中、開催の可否は混沌としている。
IOC(国際オリンピック委員会)と東京2020組織委員会、日本政府、東京都は開催への強い意志を示し続けているが、物議を醸した『Go To キャンペーン』同様、「自粛と推進の矛盾」は否めない。
安倍首相は改めて「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして必ずや成功させたい」と語ったが、新型コロナウイルスの感染拡大は続いている。ワクチンや治療薬などの開発が成功したともいえない。安倍首相はただ希望的な決意を語っているにすぎない。
日本人の命より、米テレビ局との契約の方が重い
つい先ごろ、東京2020組織委員会の森喜朗会長が「IOCの意向で、開会式の簡素化はできないことになった」と発言し、波紋を呼んだ。
「アメリカのテレビ局が放送時間枠をすでに用意している。オリンピックの最大のスポンサーであるアメリカのテレビ局の意向にIOCは背くことができない」
森会長はこう説明した。これまで「オリンピック最大のスポンサーはアメリカのテレビ局だ」とテレビのワイドショーなどで繰り返し刷り込まれている国民は自動的に、「それじゃあ仕方がない」という気持ちにさせられていないだろうか。
ちょっと待ってほしい。IOCの意向、そして森会長の発言は、言い換えれば、
「アメリアのテレビ局と日本国民の命をてんびんにかけたら、テレビ局の方が重い」
と言っているのに等しい。
東京2020の簡素化は、危険な状況下でもなんとか東京オリンピックを実現したいと願う場合の「必要最低限な施策」だ。それに「NO!」を言うのは、日本人の健康を軽視しているという意味になる。
もしIOCがそのような姿勢なら、日本の総理大臣、東京都知事、組織委員会会長は憤慨し、一も二もなく「東京ではやれない」「国民を危険にさらせない!」と、オリンピックの返上を通告するのがリーダーとして当たり前の感覚ではないだろうか。
危険にさらされ、アメリカのテレビ局のビジネスに加担する必要など、このコロナ禍の状況で認められるはずがない。国民の命を人質にしてまで、オリンピックを強行する意義とは何だろう?
注ぎ込んだ大金が「もったいないから」やる?
日本中が、コロナ禍で通常の生活を失っている。行動の自粛を要請され、あるべき日常が失われた。仕事ができず、外出ができず、スポーツどころではない。再び感染者数が増える状況で、東京オリンピックをなぜ強行しようとするのか? 通常のスポーツ活動はほぼ全面的に停止したのに、オリンピックだけは絶対にやる、という意味や根拠は何なのか?
実はその明確な意義や理由を、首相も都知事も組織委員会会長もほとんど語っていない。
「選手がかわいそうだ」「みんなが待ち望んでいる」「せっかく準備をしてきたのだから」
そんな言葉でしか、強行の理由は示されていない。
森会長は、「中止したら倍も3倍も費用がかかる。誰が賠償するのか」と発言した。批判を浴びた後、「倍も3倍も」は言葉のあやだと言い訳をした。
日本国民の健康を守るためであれば、これまで投じた費用がたとえ無駄になっても、また多額の賠償や補償が仮に生じたとしても、「中止」の決断はあって当然だ。
もし日本国内の安全が確保されたとしても、海外からの選手、コーチ、関係者、メディア、応援者ら多数の入国を許したら、どんな災禍が待ち受けているか予断を許さない。その場合の甚大な被害、取り返しようもなくコロナ禍が広がった場合の悲惨さは言うまでもない。
それでも強行を本線に準備し続けるのは、掛け値なしにオリンピック・ムーブメントの遂行に情熱を注いでいるのか、あるいは、お祭り騒ぎをやらなければ、裏側で行われていたよからぬ利権構造が明らかになり、隠したい悪事が露呈するのを恐れているのかと思いをめぐらせてしまう。
(続く)