東京五輪・開催か中止か?(2)

すでに当事者たちは中止に向けたシナリオを進めている?

 これまでの経緯を振り返っても、IOCと組織委員会は、巧妙に2つの選択肢を同時に準備してきた。公には「実施」をうたいながら、水面下では「延期」や「中止」を周到に準備し、機が熟すと急きょ「延期」や「中止」に転じたのではないか。

「五輪延期」の決定も突然だった。国民は「突然」の衝撃に動揺し、メディアも後追い報道だけに終始しているから気づかれていないが、延期の発表をするからには、相応の協議や事前の準備があったと考えるのが妥当ではないか。

 聖火リレーの「中止」も同様だ。3月に入り、すでに新型コロナウイルス感染が広がって世間の空気は聖火リレーどころではなかったにもかかわらず、319日にギリシャアテネで採火式を強行し、日本に聖火を運んだ。そして326日に予定していた『聖火リレー出発式』も縮小こそ発表したが、直前まで実施の姿勢を崩さなかった。会場設営もほぼ完了した324日、IOCと安倍首相らの電話会議によって、オリンピックの延期が決定されてようやく、26日の聖火リレー出発式も中止が決まった。

 このタイミングでの延期決定には諸説あるが、聖火リレーとの関連でいえば、東京五輪実施に関する業務契約に関して、聖火リレーの開始をもって実施」とみなす。つまり「受託業者への支払いが発効する」との取り決めがあったため、どうしても聖火リレーに着手する必要があったという証言がある。それで、国内ではコロナ禍が広がっていたにもかかわらず、アテネでの採火式が強行された。それが事実なら、お金のやりとりの事情のために、現地での冷たい視線の中、笑顔でアテネを走らされた野口みずきさんや、ギリシャから聖火を携え空路帰国した吉田沙保里さんの立場は非常に複雑だ。「オリンピックのために」という、オリンピアンにとっては最もあらがいにくい方便を使い、金メダリストたちを利用したとすれば、冒涜以外の何物でもない。

 このように、3月にも、あれだけ「予定通り実施」と強く主張し続けながら、急転直下「延期」を決め、しかもわずか1日で「ちょうど1年後」と時期まで決定した当事者たちである。

 中止の合理的な理由が構築され、中止による経済的な手当てのめどが立てば、IOCだってリスクを冒したくないのが本音ではないだろうか。

ラソンの札幌移転についても、「日本側には突然もたらされた通告だ」という印象が強い。だからこそ、「IOCは強引だ」などの批判が大勢を占め、東京や陸連は「被害者」のように思われている。また都知事も陸連もそのように振る舞っている。だが、取材をしてみると、決して突然ではなく、札幌移転を強く求められる予兆はなかったわけではない。それを日本側は積極的に公表しないため、「突然」のイメージだけが定着した可能性もある。

 これまでも、理事たちの大胆な発言が世間を騒がせた後、何が起こったか。それを思えば、森会長発言やその他理事の発言などは、中止に向けた観測気球もしくは布石かもしれない。

 私がこの原稿で、目くじらを立てて「1年後も中止すべきだ」などと強く主張しないのは、そんなことは誰より日本政府、東京都、組織委員会、さらには広告代理店が百も承知に決まっているからだ。

 持続化給付金事業に関連して、電通パソナに多額の利益がもたらされたという。この面々は、まさに東京五輪開催の舞台裏に関わる企業と同じだ。

 オリンピックの開催費用は3兆円にも膨れ上がったといわれるが、コロナ関連の事業支出は特別定額給付金だけでも事業予算128802億余円だから、これを大きく上回っている。オリンピック・ビジネスの損失分は、すでに十分補填されたとの指摘もある。こうしたやりくりが完了すれば、無理にリスクを冒してオリンピックを実施したくないのは政府や東京都も同じではないだろうか。

開催か中止かを首相や政治家が決める傲慢を許さない

 最後にひとつ、単純明快な指摘を加えたい。

「実施か中止か、その選択と決定権を首相や政治家が握っている状況は健全とはいえない」

 ということだ。

 そもそもオリンピックは都市がホストだから、本来は東京都知事が中心的な役割を担う。

 小池百合子東京都知事は、政府と組織委員会が簡素化を検討しているとの報道が出た6月初旬、記者団の取材に対して、

「開催には都民、国民の皆様の共感とご理解が必要。そのためにも合理化すべきところ、簡素化すべきところを進めていく」

 と明言した。それはまったく歓迎すべきところだが、都知事選で圧勝して以後、そのような動きは一切見られない。

 中止にしろ、開催にしろ、都民、国民は、メディアの世論調査の対象になる程度で、実質的に発言し、議論に参加する場をまったく与えられていない。

 通常のオリンピック開催と違い、これだけのコロナ禍を共有したいまの状況では、「それでも東京オリンピックを開催すべきか」「開催するなら、何のために?」「開催するにはどんな前提が必要か」「改めて、スポーツの意義は何だろう?」、そういった国民的議論こそがとても重要だ。

 もちろん、すでに代表に選ばれている選手たち、スポーツの当事者たちの考えを存分に聞く機会も必要だ。彼らもまた、そうした経験を通して学び、考えを深める機会になれば有意義だ。

 中止か実施か、その決断に、都民、国民、スポーツ選手たちが一切参加できず、ただ発表を待つだけの状況は異常だ。アスリートもスポーツ界も不在で、政治的、経済的判断だけで決められるのでなく、都民、国民こぞって、東京オリンピックの開催を議論し、併せてスポーツの意義について活発な意見を交わし合い、スポーツ観を共有できたらいいと願ってやまない。

(作家・スポーツライター 小林信也)

【お詫びと訂正】
記事初出時に、5p4段落「特別定額給付金事業に関連して、」とありましたが、「持続化給付金事業に関連して、」の誤りでした。お詫びするとともに、訂正させていただきます。(202072918:13 ダイヤモンド編集部)

https://diamond.jp/articles/-/244305?page=1



 

 

オリンピックの最大のスポンサーは、アメリカのテレビ局である。

 

アメリカのテレビ局が放送時間枠をすでに用意している。オリンピックの最大のスポンサーであるアメリカのテレビ局の意向にIOCは背くことができない」と、当時のJOC森喜朗会長が言ったという。

 

だから、いくら新型コロナウイルスが蔓延しようが、東京五輪は開催されなければならない、という事のようだ。だから、IOCは、日本人が新型コロナウイルスに罹ろうが罹るまいが、オリンピックを開催してアメリカのNBCテレビからの放送権料を確保したいわけだ。その点日本人がコロナの罹ろうが、知ったことでは無い、と言うことだ。

 

日本の夏にオリンピックが開かれるのも、アメリカのスポーツ界の中休みの時期に当たり、アメリカ国民がオリンピックをテレビで見てくれるから、というのがその理由のようだ。

 

日本としては、夏ではなくて秋に開くのが最も五輪にふさわしいのであるが、IOCに押し切られたと言うことだ。

 

 

東京2020はなぜ中止にならないか?五輪生存をかけたIOCの「信念」

春日良一:スポーツコンサルタント

経済・政治 日本と世界の重要論点2021

2021.1.1 5:05    https://diamond.jp/articles/-/257564?page=1

 

 

も参考にされるとよい。


(続く)