東京五輪2021、成功するか?(20)

当初は、演出の総合統括には「狂言師野村萬斎」が選ばれていたという。しかし大会が延期となってしまい、そのチームは解散してしまい、新たに三流か四流の演出家が選ばれてしまったようだ。それでも一流の演出家を選ぶことが出来た筈なので、組織委員会が低能であった、と言うことになる。

 

開会式の演技内容も、MIKIKO氏と言う人物の案がIOCにも絶賛されていたという。それが一年延期となったことから、電通出身のCMディレクターの佐々木宏氏に変わり、この案がご破算とされてしまい、つまらない内容のものとなってしまったようだ。

 

この佐々木宏も、オリンピックの演出で芸能人の渡辺直美を「豚」に見立てた演出案を考えていたようで、「空から降り立ったオリンピッグ」という案を構想していた。この内々の案(LINEの情報)をチクったのが、IOCに褒められた演出案を出したMIKIKO氏だと言われている。

 

この「ブタ」騒動で佐々木宏は、2021.3月に辞任している。

 

 

つらつら振り返ってみると、この東京五輪には最初からいろいろなごたごたがあったことが思い出される。

 

先ずは「新国立競技場」のデザインコンペでの、建築家のザハ・ハディドのデザインを選んだことだ。結局は、奇抜すぎて建築できないデザインと言うことで、却下された。

 

次は、公式エンブレムのコンペでの佐野研二郎盗作疑惑であった。結局これは、盗作として却下された。

 

次は2021.02.03に、東京オリ・パラ大会組織委員会森喜朗会長のJOCでの「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」という発言が問題視され、翌日の4日の記者会見で謝罪している。

しかしことはこれで収まらず、212日に辞任することになってしまった。

 

そして2020.12月には開・閉会式の野村萬斎氏の演出企画チームは、解散してしまった。

 

それを受け継いだのが、「ブタ」騒動の佐々木宏であったが、彼も2021.3月に辞任している。

 

 

ゴタゴタはまだ続く。東京五輪開会式での楽曲制作を担当するミュージシャンの小山田圭吾が、2021.7.19に辞任した。彼は、小学生、中学生であった時に同級生や障害のある生徒をからかったり、マットにくるんだり、跳び箱の中に閉じ込めたりした虐待をしていたのだ。

 

しかもそれを雑誌のインタビューで(反省してか自慢気にかは知らないが)、過去に告白していたのだ。

 

そのため2021.7.16に、そのことに対する謝罪の文章をツイッターなどに掲載したが、ネット上では「致命的な人選ミス」などと強い批判の声が上がっていることから、オリンピック開催の4日前の719日に辞任してしまった。

 

話はこれで終わった訳ではなかった。

 

東京オリ・パラの開・閉会式のシヨーディレクターを務める小林賢太郎が、過去に「ユダヤ人虐殺」をギャグに使った発言が問題視され、2021.7.22の午前中に解任されている。将に五輪開幕直前のことである。

 

この情報は、自民党現役・防衛副大臣中山泰秀が、サイモン・ウィーセンタール・センター(SWC)に、チクったものであった。現役の議員であれば、もう少し違った手もあったものと思う。

 

SWCに連絡などせずに、直接小林氏にそのことを申し付けて、解任ではなくて自ら反省の弁を述べて辞任させる手もあった筈だ。

 

この現役・防衛副大臣中山泰秀とは一体全体、どんな馬鹿な人物なのか

 

そんなことを言うのであれば、日本人はユダヤ人に原爆を落とされて大量虐殺されている。このことをなんと言い開きするのだ、と言いたい。

 

原爆の父と言われているジュリアス・ロバート・オッペンハイマーは、ユダヤ系の商人の父と、同じくユダヤ系の画家であった母との間で生まれた生粋のユダヤであった。

 

また日本に原爆投下を指令したアメリカ合衆国第33代大統領のハリー・S・トルーマンは、ユダヤとは、とても仲が良かった。

 

だからと言う訳でもないが、日露戦争の戦費調達のための外債発行を手助けしてくれたユダヤ人のジェイコブ(ヤコブ)・シフには、助けられたわけではあるがシフにもそれなりの理由があって慈善事業で日本を助けてくれたわけではない。シフにもそれなりのメリットがあったのである。

 

それはロシアのユダヤ人を助けるためのものであった。世界各地で迫害されていた大量のユダヤ人は、新天地のアメリカに渡っていった。その数は膨大で、今やアメリカの社会・経済の大半を牛耳っているのは、ユダヤ系のアメリカ人である、と言っても過言ではない。オッペンハイマーしかりである。

 

新聞・テレビなどはほとんどがユダヤ系だと見ても間違いがなかろう。と言う訳で、日本はユダヤ人に酷い目にあわされた、と言っても過言ではない。

 

 

まあこれほどがたついた「呪われた」五輪ではあったが、何とか無事終わってよかったと思っている。まあある面で「危機管理」がおろそかにされていた、と言うこと

(続く)