東京五輪2021、成功するか?(33)

日本に水をあけられた韓国

 競争社会の韓国では、これまでもオリンピックとなれば「メダル競争で何位に入るか」、「日本より上位にあるかどうか」に関心が集まっていた。それが国威発揚になったし、韓国の成長の原動力ともなっていた。

 

 勢い、オリンピックでメダルを獲得することに重点が置かれ、競技団体への政府補助金はメダル、特に金メダル獲得の可能性のある種目に重点的に配分されてきた。またお金に関して言えば、財閥企業も政府指導の下、競技団体のスポンサーとなり選手の育成強化に協力してきた。こうして、国中が一丸となって競技力向上に力を尽くしてきた。

 

 一方、日本の東京五輪でのメダル獲得数は、27、銀14、銅17の計58、メダル獲得数の総合順位は3位であった。金メダルの数で韓国の4.5倍、メダル総数で韓国の約3倍、順位でも日本は韓国より13番上にいる。 6、銀4、銅10の計20

 

 日本の人口は韓国の2倍以上である。だが、韓国は1988年のソウル五輪以降、夏季大会・冬季大会を通して、メダル獲得数で日本を下回ったことは数えるほどしかない。日本がメダル数で韓国を上回ったのは88年の長野、2004年のアテネ、そして2016年のリオデジャネイロ大会だけだ。これは、韓国が日本に対する対抗意識を燃やして、競技力向上に心血を注いできた結果だろう

 

 ところが今回の東京五輪では日本に大きく水を明けられる結果となった。これは韓国人の競技力が衰退したというよりも、韓国社会の変化、そしてオリンピックでさえ国内政治の一環と見る文在寅政権の姿勢の変化が影響しているように思う。

 731日、バレーボール女子で日本との接戦を制して歓喜する韓国代表チーム。韓国チームは3位決定戦まで進むが、セルビアに敗れ、メダル獲得は果たせなかった(写真:ロイター/アフロ) 

 

脱「金メダル至上主義」は成熟化の証?

 

「若者がメダルの色にこだわるよりも、挑戦そのものに意義を見出して大会を楽しむ雰囲気に変わりつつある」(中央日報

 

「今回のオリンピックでは『私たちが望んでいた色のメダルではない』と述べた番組キャスターが批判を浴び、ネット上でも国威より選手一人ひとりのストーリーとスポーツマンシップの方に注目している」(朝鮮日報

 

 韓国の主要メディアは、国民のオリンピックを見る目が変わってきたとして前向きに評価している。韓国社会全体が精神面で成熟し、「金メダル至上主義」から脱したということだ。

 

 確かにそうしたポジティブな精神的変化もあるのかも知れない。だが、韓国の野球チームが日本に敗れ、敗者復活戦に回ると、選手に対して一部のネットユーザーから「反民族行為者」などといった過剰な非難コメントが投げつけられた。こうした実態を見れば、韓国人の一部には勝負への強いこだわりがあるし、特に日本への対抗意識は今も韓国人の精神に色濃く染みついていると言わざるを得ないだろう。

 

 であるならば、韓国の若者たちのメダルへのこだわりが薄くなったように見える現象はどこに原因があるのか。それは、彼らの置かれた社会的立場を反映した結果と見るべきではないだろうか。

 

 韓国社会は激しい競争社会だ。その社会の中で若者は、「競争に勝つこと」「1位になること」だけを追求するよう強いられてきた。だが、そのような競争社会では勝者よりも敗者のほうが圧倒的に多い。必然的に、挫折感を味わっている人が社会の多数を占める。そうした人々は、勝者に対して尊敬を抱くと同時に、勝ち組に残れなかった人に対して共感を抱く。だから今回も、メダル獲得に至らなかったアスリートに優しい眼差しを向けることが出来たのだろう。

 

 また現代の韓国の若者には、「社会が公正ではなくなった」という潜在的な不満がある。だから若者たちは選手が不当な扱いを受けると、自分のことのように激怒し、励ました。728日、大韓アーチェリー協会のホームページに「(髪形などを理由にフェミニスト批判された)韓国代表・安山(アン・サン)選手を守ってほしい」という意見が5000件寄せられたという。これもその一例だろう。

 

 韓国社会は、上昇志向の強い社会であった。それが国力引き上げにプラスに働いた時代が続いたが、現在は過剰な競争社会で勝ち残れなかった人々が抱く挫折感と社会に対する不公正感が、オリンピックを見る目に変化をもたらしているのではないだろうか。

 

大会期間中もアラ探しに忙しかった韓国メディア

 それでも日本への対抗心は旺盛だ。しかし肝心の競技成績では日本に大きく見劣りした。その韓国人の不満は、「2020東京オリンピックは失敗であった」という評価に一斉に向かった。

 

中央日報」は、3日付けの日刊ゲンダイDIGITALの記事を引用して、「日本が連日メダルラッシュに沸く一方で、SNS上では海外から辛辣なコメントが噴出している」と報じた。

 

東京五輪に世界中から『ワースト』の不名誉・・・コロナ禍で強行し米NBC視聴率ボロボロ」というタイトルの記事は日本ポータルニュース「YahooJAPAN」でしばらくアクセスランキング1位に入って話題を集めた。

 

 同メディアが最も注目した部分はテレビ視聴率に関連した米国経済専門メディア「ブルームバーグ」の指摘だ。

 

 ブルームバーグによると、米国放送局NBCの視聴者数が2016年リオ大会と比較して42%減少した。先月27日までの集計結果だ。これに伴い、NBCは五輪後半戦に期待をかけながら広告主には追加の広告など補償策を提示している>(中央日報84日付)

 

 中央日報は別の記事でも、英国の競歩選手が「札幌での生活は刑務所のように感じる」「食事もめちゃくちゃ」とSNSに批判のコメントを投稿したことや、イスラエルの選手が段ボールベッドを壊す様子を写真付きで報じるなど、接遇面での選手の不満をクローズアップしてきた。

 

 そもそも、今回の東京オリンピックに関して韓国側に当初から多くの“不満”を抱いていた。

 

 東京五輪パラリンピック組織委員会のホームページに掲載した聖火リレーの日本地図に「竹島を表記したことは受け入れ得られない」との韓国の抗議に対し、IOCは「日本が政治宣伝を目的としたものではない」とこの抗議を却下。国民の反日機運に火を付けた韓国は、これ以降、地図問題での不満を声高に叫べなくなった。

 

 また晴海の選手村の韓国選手団居住区に、李舜臣将軍が日本と戦う前に国王に報告した言葉をもじって韓国選手団の応援メッセージを書き記した横断幕を出したところ、これもIOCによって不適切と指摘され、撤去を求められた。

 

 福島産の食材を避けるため、選手村に韓国産食材を持ち込むことは日本側に拒否された。それではとばかりに、大韓体育会が選手村付近に韓国食材を用いる給食センターを設置したところ、日本政府は韓国外交部に「風評被害を助長しているとして適切な対応を求めた」という。

 

 おそらく多くの韓国人にとって、今回の東京五輪は開幕前から「違和感あり」と映っていたのではないだろうか。ましてや開幕してみれば、期待したほどの成績を韓国人選手たちが残してくれなかった。選手をあからさまに責めることはなかったが、不満のはけ口を日本批判に求めることになったのだろう。

 

オリンピックを政治宣伝に使おうとする文在寅政権

 そうした国民の感情とは違って、文在寅政権にとってはオリンピックも政治宣伝の場でしかないようである。オリンピックは平和の祭典であり、世界の人々がスポーツを通じて交流し、友好を深める場である。オリンピックはフェアプレイの精神、スポーツマンシップを重視する。

 

 しかし、2020東京大会に接する文在寅氏と与党民主党の姿勢には、オリンピックをスポーツの祭典、平和を目的とする世界の人々の交流の場としてみる考えよりも、国内世論を意識した政治活動の一環との観点が先に立っていたようである。

 

 何が何でも自分たちの利益だけを守ろうとする文在寅政権にはスポーツマンシップは存在せず、オリンピック精神、多様な価値観を尊重し、オリンピックの場を通じた国際交流を進めようという意識は存在しない。自分たちだけが正しいという意識だけである。

 

64東京五輪を強烈に意識していたソウル五輪

 かつての韓国はそうではなかった。

 

 88年のソウルオリンピックの際の韓国人の意識には、64年の東京オリンピックの成功事例が強くあった。64年東京大会は過去のオリンピック大会の中で最も成功した大会とされ、日本の経済成長した姿を世界に示すことが出来た大会であった。その東京五輪をモデルに、ソウルオリンピックを是が非でも成功させようと韓国国民は努力した。

 

 その結果、88年ソウル大会は見事に韓国の経済発展と、文化のすばらしさを世界に広める機会となった。日本からも多くの人々が韓国を訪問し、日本人の韓国に対する認識を改める機会となった。同時に、韓国からの訪日客急増のきっかけともなった。

 

 このように国際社会の中で韓国のすばらしさを発揮しようとしていた時には活力に漲っていた。88年のソウル大会で、韓国のメダル獲得数は金12、銀10、銅11の計33であり、ソビエト東ドイツ、米国に次いで4位の成績であった。

文在寅の謀略―すべて見抜いた』(武藤正敏著、悟空出版)

 

 しかし、文在寅政権になってからの韓国の国際関係は国内政治に引っ張り回されてきた。国内政治はネロナンブル(「自分がやればロマンス、他人がすれば不倫」)という、政権に近い人々だけを重視するダブルスタンダードが当たり前の社会に変わってしまった。そこにはフェアプレイの精神、スポーツマンシップはなく、利権に群がろうと誰もが目を光らせるような社会に変貌した。同時に「努力すれば報いられる」という健全な上昇志向の意識が失われた

 

 こうした社会ではスポーツの発展は難しい。今回のオリンピックは文在寅政権になってから顕在化した韓国の「負の側面」が強く出た結果であったように思う。

 

 韓国社会が今の国内政治の在り方を改めて、再び健全な社会となり、五輪においても日本と正々堂々のメダル争いを繰り広げるようになることを期待したい。

 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66414

 

 

まあ、馬韓国なんぞは文在寅と共にこの世から消えてなくなればよいのだが。

(続く)