ロシアのウクライナ侵攻(18)

 

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ジョージアとは、昔の「グルジア」である。グルジア1991/12ソ連邦解体後に正式に独立国になった、とWikipediaに記載されている。その結果「オセチア地区」は南と北に分断されて、南オセチアグルジア(現ジョージア)に残り、北オセチアロシア連邦に残ることになった。

 

ロシアは「南オセチア」のロシア人が虐げられているとして、軍を派遣した。20088/7~8/16の間、「南オセチア紛争」と言うジョージアグルジア)とロシア連邦間の戦争を起こしている。

 

南オセチアには、ロシア人は5%しかいなかったにもかかわらず、ロシアはそれを口実に軍を派遣したのである。ロシアの領土的野心をよく示しているものである。

 

南オセチアの人口比率は、次のようになっていた。

 

オセット人60%グルジア20%アルメニア10%ロシア人5% となっている。

オセット人はイラン系の民族であり、オセチアの由来となっている。

 

グルジア」とはロシア語由来の呼び名であり、英語読みが「ジョージア」であり、グルジアの反ロ感情の高まりにより「グルジア」としてはロシア語読みではなく、「ジョルジア国」側から英語読みの「ジョージア」に変更するよう依頼があり、「ジョージア」が正式な国名となった、と書かれている。

 

更には翌200888には、ロシア海軍グルジア沿岸を封鎖しアブハジア経由でグルジアに侵攻し一部を占領した。

 

そして2008826、ロシアはグルジア領の南オセチアアブハジアの独立を承認し、占領を続けている。これは、国際的には認められていない。

 

この時のロシアの大統領はメドベージェフで、首相はプーチンであった。

 

2008829グルジアはロシアと断交、今もって断交状態が続いている。

 

1991/12月にソ連邦が解体しグルジアは正式に独立国となったわけだが、それ以降ロシアは何かとグルジアにちょっかいを出して、軍事行動をとっている。その結果が、南オセチアアブハジアへのロシアの侵略である。現在のウクライナへのロシアの侵略と全く同じ形のものである。

 

 

今年の2022年5月その「南オセチア」の大統領選挙で、親ロ派が破れたのである。

 

ロシアのウクライナ侵攻が、いかに親ロ派住民にも危機感を与えたことか、想像に余りある。

ロシア編入に傾いていた親ロ派住民でさえも、「ロシア編入」に”NO”を突きつけたのである。

 

 

だから中村先生も、『・・・「・・プーチン政権は長く持たないとみて、戦後を見据え、戦争に異論を唱えるメディア人が増えるのではないか」(中村逸郎氏)』と、ビックリしているのである。

 

ロシア政権の崩壊も近い・・・・・・・・・? と言うことか。

 

(続く)