纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(14)

卑弥呼の墓説に不利? 

 

航空レーザー測量では、「卑弥呼の墓説」に関わるデータも得られた。後円部と前方部が、一体で築かれたことが分かったことだ。 

 

箸墓古墳をめぐっては、前方後円墳でありながら、後円部を先に造ったという「後円部先行説」が根強くあった。その理由は、卑弥呼の墓について記した魏志倭人伝。「卑弥呼死す。径百余歩の塚を作る」と書かれ、「径」は直径を意味し、「百余歩」は約144メートルに相当する。箸墓古墳の後円部の直径は約156メートルで、倭人伝の記述に近い。 

 

研究者はこの点に着目し、「箸墓はまず後円部のみが造られ、卑弥呼を埋葬したあとに壮大な儀礼をする場として前方部を付け加え、最終的に前方後円墳になった」と主張。「径百余歩は、卑弥呼を埋葬した後円部を記したもの」と推測した。 

 

しかし、航空レーザー測量の結果、後円部と前方部に継ぎ目などはなく当初から前方後円形として一体的に築かれたことが判明。桜井市教委の橋本輝彦・文化財課長は「これで後円部先行説は消えた」と指摘した。 

 

これまでの市教委や橿考研の同古墳周辺の発掘でも、後円部と前方部周辺で出土する土器は、同じ形式で時期的な差がなかったため、古墳築造は同時とみられていた。後円部先行説は、空と地上からのダブルチェックによって明確に否定された。 

 

ただし、箸墓古墳の築造時期は出土した土器から、卑弥呼の没年(248年ごろ)を含む3世紀半ば~後半とみられることから、卑弥呼説まで否定されたわけではない。被葬者論争は、航空レーザー測量によってより事実に基づいて展開されるようになった。 

 

地上がダメなら「科学の目で」 

 

橿考研による箸墓古墳の地上以外の調査は当初、航空レーザー測量だけの予定だった。宇宙に一気に広がったのは、科学の目で歴史を解明したいという研究者の出会いだった。 

 

橿考研は22年、箸墓古墳に先立って、宮内庁が管理する奈良市前方後円墳コナベ古墳(墳丘長204メートル)で航空レーザー測量を実施し、墳丘の姿を詳細に明らかにした。 


箸墓古墳の後円部側にミューオンの測定装置を設置する西藤清秀さん(右)ら(奈良県橿原考古学研究所提供)
    

 

この成果を橿考研の西藤清秀・技術アドバイザーが25年、名古屋大学で開かれた研究会で発表。大きな関心を示したのが、宇宙線ミューオン」を活用した遺跡調査の可能性を探っていた名古屋大の研究員、石黒勝己さんだった。 

 

ミューオンは宇宙から飛来する素粒子の一種で、物質を透過する性質をもつ。厚さ1キロの岩盤も突き抜ける一方で、土などがあると透過数が減少する。 

 

古墳に当てはめれば、大量の土が積み重なった墳丘内をミューオンが通り抜けるとその数は減少するが、内部に石室のような空洞があれば大きくは減らない。この数の違いから、石室の有無や規模を明らかにしようというのだ。1メートルほどの空洞があれば判別が可能で、大型古墳の石室は一般的に長さ5~10メートルで、箸墓古墳の石室の状況も十分把握できるという。 

 

ミューオンによる文化遺産の調査で最も有名なのは、エジプト最大のクフ王のピラミッド内部の測定だ。名古屋大などのチームが29年、王が埋葬されたとされる「王の間」近くに、未知の巨大な空間があることを突き止め、世界的に注目された。 

 

被葬者は1人か複数か 

 

「レーザー測量だと墳丘の外形しか分からないが、ミューオンを使えば墳丘内の様子が分かるかもしれない。両方を合わせれば貴重なデータが得られる」。学会の会場で、西藤さんと石黒さんは意見が一致し、共同調査の構想が一気にふくらんだ。 

 

ただし、すぐ箸墓古墳には取り掛からず、小規模な古墳から始めた。学会の翌年、横穴式石室が外からでも見える同県大淀町の石神古墳(直径22メートルの円墳)で試験的に実施。石室の存在をミューオンが正確にとらえたため、古墳で活用できることが証明された。 

 

 

28年には同県斑鳩町の春日古墳(直径30メートルの円墳)を測定した。発掘調査が行われておらず内部の様子は不明だったが、ミューオンの測定値から、長さ6メートル、幅・高さとも2メートルほどの空洞があることが分かり、石室の存在がほぼ確実となった。 

 

 

ミューオンによって、発掘をいっさいしないで石室の存在が確認できた」と西藤さん。いよいよ令和元年12月、箸墓古墳での測定に着手した。 

 

前方部と後円部の宮内庁管理地のすぐ外側に、ミューオンを検知する装置を計4カ所設置。現在は、より正確なデータが得られるとみられる後円部東側1カ所に絞って、慎重に観測を続けている。 

 

解析にはこれまでの古墳より時間がかかっているが、西藤さんは「箸墓古墳の石室は1つなのか複数あるのか、どの方向を向いているかなどを明らかにしたい」と話す。石室は後円部の頂上に1つというのが多いが、隣に石室を設ける例もある。石室が複数あれば被葬者も複数いた可能性があり、被葬者論争も過熱しそうだ。 

 

西藤さんは言う。「箸墓は宮内庁の管理下にあり、中には入れないし調査もできない。それなら外からできることをやろうと考えた。箸墓ならそれだけの意義がある」 

 

箸墓古墳で成功すれば、他の天皇陵などへ調査が広がる可能性もあり、古墳研究が飛躍的に進むことも期待される。(小畑三秋) 

 

ミューオン 素粒子の一種。太陽内での爆発や超新星爆発などによって飛来した宇宙線が、地球の上空にある大気中の原子や分子と衝突して形成され、地上に到達する。手のひらサイズの面積に、毎秒1個の割合で常時降り注いでいるという。 


https://www.sankei.com/article/20211208-5BIHYWNRRBOPTAHNF5VSPH2CP4/ 

 

 

卑弥呼、以って死す。(つか)を大きく作る。径は百余歩なり。徇葬者は奴婢、百余人なり。」と言ったこれに合致する古墳は、伊都国にある。伊都国と言っても邪馬台国時代の名称がそのまま存在するわけでもなく、それに該当するところは、福岡県糸島市である。 

 

(続く)