纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(20)

ここで一つ東京新聞に連載されている「よもやま邪馬台国」なる続き物に触れてみよう。 

 

当然この続き物にも鏡の製作地論争の話は載っている。2021.8.10のNO.58には元福岡市公害課職員だった藤本昇氏が、このレーダーチャートを考案したと書かれている。このレーダーチャートのおかげで、三角縁神獣鏡はすべて国内産の鏡であることが証明されたのである。 

 

この続き物は2020.6.23(火)から始まっているが、2022.6.28(火)現在NO.102が掲載されているが、今後もまだ続くようだ。かなりの長編ものであるが、本当に「よもやま話」で肝心なところが「意識的に」ボヤカされていて、ある意味たちが悪い。 

 

肝心なところとは、 

 

(1)魏志倭人伝」に記載されている帯方郡から邪馬台国までの道順についての考察を、最初から省いてしまっている。だから邪馬台国がどこにあったのか、卑弥呼はどこに居城していたのか、と言ったことは最初から言及していないのだ。これでは面白みが半減どころか、全くなくなってしまっている。そのため九州の倭と大和(纏向)との関係が、全く分からなくなってしまっている。 

 

2020.6.23から始まる初(しょ)っ端(ばな)のNO.1には次の記載が堂々と載せられている。 

 

本連載では、方位・里程論争の迷宮にはまるのは避け、邪馬台国をめぐる四方山の話題に触れつつ、脇道から女王国の実像に迫っていく。 

 

これでは面白みも学術的価値(もともと学術的な価値などは狙ってはいないが)も皆無である。しかも、脇道からでも女王国の実像には迫れないのである。 

 

(2)もう一つの省略は、大和王権の誕生の話が全くないことである。纏向遺跡箸墓古墳の話は載っているが、これも「卑弥呼の墓」ではないか、と言った論調で終始してしまっていることだ。日本国の生い立ちには、なんの言及もないのは、まことに寂しい、と言うよりも「画竜点睛を欠く」と言うことである。最も大切なことが抜けてしまっているのである。(間違っていればどんどんご指摘願う。) 

 

これらのことは、意識的に避けられている、と思われる。作者の豊田滋通氏の「博学多才」なことはわかるが、これでは「博学多才」さが台無しである。単なる遺跡紹介で終っている。大量の紙面を使っている割には、得るものが少ない感じがしてしまうのである。 

 

魏志倭人伝」の邪馬台国までの行程は、孫栄健氏の『決定版 邪馬台国の全解決』に、余すことなく述べられているので、すでに解明済みである。 

この書は、2018年2月15日に初版第一刷りが発行されている。 

 

よもやま邪馬台国」は、2020.6.23(火)から始まっているので、「邪馬台国の全解決」は、当然参照できたはずである。しからば、「邪馬台国までの行程」は、正しく言及できたはずであるが、そこらあたりは一切と言っていいほど言及がない。 

 

邪馬台国までの行程」が明らかになってしまうと、氏の話が続かなくなってしまう恐れがあるからと、危惧したのであろう。氏の力量があれば、なんとしても邪馬台国に行き着くこともできたし、それであっても話は続けることは出来た筈ではないのかな。まことに残念なことである。この「よもやま邪馬台国」は(くだらないとは言わないが)四方山話で終わってしまうことであろう。 

(続く)