纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(30)

事実、イザナキとイザナミは「天の浮橋」に立たれて眼下を見下ろしていたわけであるので、高天原は天上世界のこととして国生み神話は進行している。 

しかしながら、高天原では、稲作や畑作、機織り、馬の飼育など、さらには川も流れており、全く地上の世界と同じことが行われているのである。 

 

と言うことは、地上の世界のどこかを高天原と見立ていたもの、と思っても間違いがないであろう。まあ、神話の世界のことであるので、そう目くじらを立てなくてもよかろうにとも思われるが、神話の世界であるからこそ、地上の世界を高天原と葦原の中つ国とわざわざ分けて話を進め、天つ神国つ神と分けていたものと思われる。 

 

小生は、高天原ある種の行政府で、内閣とまではいかなくても県庁のような機能の場所だったのではないのかな、と思っている。もちろん葦原の中つ国を管轄する行政府である。それが高天原だったと想像しているのである。 

 

だから高天原葦原の中つ国は、天と地の関係ではなくて同一レベルの行政府とその管轄地と言う関係であったと思っている。多分それで間違いがないであろう。それを天と地と言う関係で述べたところで、古い時の話であったので神話となっていったのであろう。 

 

だから相当古い時点から、この大倭・大八島には(いわば)国としてのまとまりが存在していたものと思われるのである。そしてその管轄範囲が、大八島であったのである。小生は、だから、縄文時代から、それなりに、行政機能は存在していたものと想定している。 

 

だから国生み神話が存在するのである。 

 

その証拠に、黒曜石が海や陸を超えて当時の日本国中に取引されているという実態があることからも、全国(日本)を束ねる組織が存在していたものと想像できるのである。 

 

 

田中英道著の「天孫降臨とはなんであったか」(勉誠出版)には(P46)、「天降り」は「海降り」に置き換えられる可能性が十分にある、と書かれていることからも天上世界のこととしか考えられないとするのは間違いなのであろう。 

 

だからそれ(天降り)は「海を使った移動」ではないか、としているのである。あまともとも書かれるものである。 

 

日本では後期旧石器時代の遺跡が、2010年の集計で1万150遺跡存在していると(P50には)書かれていますが、日本列島には相当古い時代から人間が住み着いていたのである。ちなみに朝鮮半島では旧石器時代の遺跡は50程度しか見つかっていないのである。 

 

だから、この日本(列島)では3万8000年前頃(当時は陸続きであったが)に本格的に人が住み始めているので、大陸から分離したのが1万3000年前頃であり、そのころからの記憶が神話には語り継がれているものであろう。だから「国生み神話」なるものが存在しているのである。 

 

と言うことは、この大八島は、それなりの国の形を表している、と思っても間違いがないであろう。そうでなければ、「国生み神話」なんぞは生まれてこなかったと思われる。 

 

国生み神話があるということは、それらを統べる国と言う形態が、緩やかな形でも存在していたと考えても、間違いがなかろう。 

(続く)