もちろん「高天原」とされる関東地方、なかんずく常陸の国を中心にたくさんの旧石器時代の遺跡は存在している。その書のP50には、「常陸伏見遺跡」他2、3の遺跡の名前が載っている。
先に指摘しておいた「鹿島神宮」や「香取神宮」のある辺りは、この高天原の中心地であったのではないのかな。
小生のイメージとしては、常陸の国から東京湾岸一帯が「高天原」であったものと想像している。そして「葦原の中つ国」は、中部、北陸、関東甲信越、東北の各地方を網羅していたものと思われる。いわゆる東日本である。
ついでに言うと、この日高見の国と大和地方が一体となり、日本国となりやがては九州(倭国、邪馬台国など)も併合されていったものと思っている。
その過程が、天照大神の子である天の忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)と高御産巣日神の娘との間に出来た瓊瓊杵尊(邇邇芸命、ニニギノミコト)を、葦原の中つ国の主として地上に卸す話ではないのか。
いわゆる「天孫降臨」である。
先にも書いておいたが、高御産巣神タカミムスヒノカミ は、国譲りの際に出雲の大国主命のもとに、武御雷神タケミカズチノカミ と経津主神フツヌシノカミ を派遣して、見事平和裏に、国譲りを成立させていたものであり、葦原の中つ国は既に天つ神の支配下になっていたのである。
その葦原の中つ国、いわゆる日高見の国を具体化させる動きとなるものであると、小生には思えるのである。
そしてそれと同時に、皇孫スメラミコトの血筋の説明ともなっているのものである。
神社本庁のH.Pageには、次のように書かれている。
「天孫降臨は、皇室の御先祖が高天原から天降り、この国を豊かなそして平和に収められていく様子を語り伝えるものです。」
天照大御神さまは、孫の瓊々杵命ににぎのみことに三種の神器さんしゅのしんきである八咫の鏡やたのかがみ・八坂瓊曲玉やさかにのまがたま・草薙剣くさなぎのつるぎを授け、豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくにを高天原たかまのはらのようにすばらしい国にするため、天降るように命じました。
さっそく瓊々杵命が高天原に住む天神あまつかみを伴って天降ろうとされると、あやしい光を放つ神さまがいました。
天照大御神さまは不思議に思われ、天宇受売命あめのうずめのみことという女の神さまを遣わしてどうしてそこにいるのかを問わせました。
その神さまの名は猿田彦神さるたひこのかみといい、瓊々杵命が高天原から天降られることを聞き、お迎えにあがったのだと答えました。
そこで瓊々杵命は猿田彦神を先導に、いくえにも重なった雲を押し分け押し分け、日向の高千穂の地に天降られました。
そしてそこに立派な宮殿をお建てになられました。
ある時瓊々杵命は、それは美しい乙女に出会いました。
大山津見神おおやまつみのかみの娘、木花咲耶比売このはなさくやひめでした。
ところが、木花咲耶比売は一夜にしてみごもられました。
命は比売が他の神の児をみごもったと疑いました。
そこで比売は身の潔白さを示すため、戸が一つもない産屋を作り、その中で児を産むことにしました。
もしお腹の児が命の子供でないならば、焼け死ぬであろうといって産屋に火を放ちました。
火はみるまに産屋をつつみましたが、その燃え上がった炎の中で、不思議にも比売は三人の児を生みました。
疑いも晴れ、瓊々杵命と木花咲耶比売は、末永く高千穂の宮で暮らしました。
神話 天孫降臨について
天孫降臨は、皇室の御先祖が高天原から天降り、この国を豊かにそして平和に治められていく様子を語り伝えるものです。
瓊々杵命は天照大御神さまより、高天原の稲を授かり、豊葦原水穂国の人々の食物とするように命じられました。
この神話を私達の祖先は稲作の起源として語り継いできました。
ここからも稲が日本人にとっていかに大切で、神聖な食物であったのかを理解できましょう。
https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/shinwa/story7
と言ったところが、「天孫降臨」のあらましであるが、今少し詳しく経過を追ってみたい。
(続く)