纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(35)

天孫降臨」の事の次第は、「古事記」によれば次の通りである。 

田中英道著「天孫降臨とはなんであったか」(勉誠出版)のP73~74による。 

 

 

ここに天照大御神高木の神の命もちて、太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命に詔りたまはく、「今葦原の中つ国を平けをへぬと白す。かれ言よさし賜へるまにまに、降りまして知らしめせ」とのりたまひき。 

 

 

(現代語訳) 

そこで天照大御神、高木の神のお言葉で、太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命に仰せになるには、「今葦原の中つ国は平定し終わったと申すことである。それ故、申しつけたとおりに降って行って治めなさるがよい。」と仰せになりました。 

 

(注1) 

高木の神とは、高御産巣神タカミムスヒノカミ で、「天地初発之時」にその高天原に成り出でた三柱の神の二柱目の神のことである。呼び名が変わっている。 

(注2) 

太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)天の忍穂耳の命(あめのおしほみみのみこと)は、アマテラスとスサノオのウケヒにて生まれた五柱の神の一柱である。アマテラスの勾玉などをスサノオがかみ砕いて吹き捨てた息の中から生まれた神なので、一応アマテラスの長男と言うことになっている。 

 

 

これは当ブログのNO.28、'22.8.10 で述べた「宇気比ウケヒにて子を生みましょう」とアマテラスとスサノオが、天の安の河原で「邪(ヨコシマ) 

な心」のあるなしを神に判断してもらう時に作り出した神である。 

 

 

天孫降臨」とある様に、天の忍穂の耳の命が降臨するのであれば、天孫ではなくて「天子降臨」となるのであるが、実際には、天の忍穂の耳の命の子を降ろしたいと申し上げたのである。母は高御産巣神タカミムスヒノカミ の娘の萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめ)である。 

 

先にも言及しておいたが、タカミムスビ高天原の政治的なリーダー、トップに位置する人物であり、天照大神に次ぐような家柄であったものと思われる。 

 

 

今までの古事記の神話の話の中では、「国譲り神話」については詳しくは述べてはいないのであるが、出雲系の勢力圏は「信濃の国の諏訪の湖」まで広がっており、そのあたりが高天原系勢力と出雲系勢力の境界であったようで、高御産巣神タカミムスヒノカミ により派遣された御雷タケミカズチノカミ が大国主命の子・タケミナカタを降参させたのが「信濃の国の諏訪の湖」であったと言うことで、関西や安芸、山口、四国・九州などは「葦原の中つ国」には含まれていなかったのではないのかな。だから、「神武東征」の話が成り立つのであろう。 

 

そのため「今葦原の中つ国は平定し終わったと申すことである。それ故、申しつけたとおりに「日高見国以西の国を平らげるために」降って行って治めなさるがよい。」という意味であるとその書のP77には書かれているので、「天孫降臨」には、重大な意味があったのである。 

 

単に、今ある「日高見国」を統治しなさいよ、と言う意味ではなかったのである。 

 

これには中国の戦国時代が始まった紀元前五世紀から紀元前221年の秦の始皇帝の統一、紀元前206年の漢王朝の成立と、日本への影響は計り知れないものがあったはずである。中国の拡大政策のため、周辺諸国は相当脅威を感じていたはずである(P78~80)。 

 

日高見国も、その状況は難民などからも情報入手していたからこそ、西日本が危ないと危機感を募らせたのであろう。 

 

だから、太陽神である天照大神の子供の天の忍穂耳の命に、リーダーである高御産巣神タカミムスヒノカミ が(西日本平定のために)降臨を命じたのである。 

 

そして実際に「降臨」したのは、天の忍穂耳の命高御産巣神タカミムスヒノカミ の娘の萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめ)の間にできた瓊瓊杵尊邇邇芸命、ニニギノミコト)を降臨させることになったのである。 

(続く)