纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(51)

大国主神(「大穴牟遅神」(オホナムヂ))」は、これとは別に「大物主神」という名前も持っている。 

 

その「大物主神」は奈良県桜井市の「三輪山」に住んでおられる。 

 

その「大物主神」を祀っているのが、奈良県桜井市三輪にある「大神神社」 (おおみわじんじゃ)なのである。 

 

Wikipediaによれば(https://ja.wikipedia.org/wiki/大物主)、 

 

記紀神話』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少名毘古那神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神が現れて、我を倭の青垣の東の山の上に奉れば国造りはうまく行くと言い、大国主神はこの神を祀ることで国造りを終えた。この山が三輪山とされる。 

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大物主の由緒は不明瞭であり、他の神と同定すべきか否かについて複数の異説が見られる。例えば古事記では詳しい説明はされておらず、大国主命とは別の神である様に述べられている。 一方『日本書紀』の異伝では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神自らの和魂大物主神として三諸山に祀ったとある[要検証 – ノート]。ただしこちらでも異伝を記した「一書」では、国譲りの時に天津神とその子孫に忠誠を尽くすと誓って帰参してきた国津神の頭として、事代主神と並び大物主が明記されている。研究者の中には事代主神の別名が大物主神であったと主張する者もいるが[2][3]、先述の異伝との比較・検証が必要である。 

 

 

この「海の向こうから光り輝く神が現れて、」の神が「大物主神」だったのであるが、異伝の一書に記されている「国津神の頭として、事代主神と並び大物主が明記されている」とある様に、何らかの意味で「国譲り」に協力した国津神の頭の名前であった、とする説もあるようだが、「国譲り」を何らかの方法でスムーズに遂行させたことに役立った(国津)神ではないのか、と小生は睨んでいる。言ってみれば、「大国主」もスサノオの七代目とはいえ、既に国津神となっていたのではないのかな。 

 

国譲りがうまくいったので、その立役者であった「大物主神」は三輪山大神神社)二祀られているのであろう。 

 

 

この話は、「日本神話.com」の「大神神社三輪山御神体のパワースポット!大神神社は国造り神話に由来する地鎮系神社! 

https://nihonshinwa.com/archives/1932)に詳しく書かれているので、訪れてみるとよい。 

 

 

大国主命の国造りは、「豊葦原の瑞穂の国」であった。と言うことは、当時高天原系の「葦原の中つ国」と「豊葦原の瑞穂の国」という二つの国がこの日本列島には存在していたことになるわけで、「国譲り」は、「豊葦原の瑞穂の国」が「葦原の中つ国」に併合されていったことを示すものである、と小生は睨んでいる。 

 

次の「出雲大社」の説明文は、穏やかに統一がなされていったような書き方であるが、実際には、それなりの戦争があったものと思われる。 

 

 

大神神社大国主神 

 

出雲大社大国主大神 

 

御祭神 

八雲立つ出雲の国が神の国・神話の国として知られていますのは、神々をおまつりする古い神社が、今日も至る処に鎮座しているからです。そして、その中心が大国主大神様をおまつりする出雲大社です。

大国主大神様は、広く“だいこくさま”として慕われ、日本全国多くの地域でおまつりされています。大神さまがそれぞれの地域でお示しになられた様々な御神徳は数多くの御神名によって称えられております。 

 

国づくり 

その御神名の一つに「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」があります。それは遠く神代の昔、私たちの遠い祖先たちと、喜びや悲しみを共にしながら、国土を開拓された事に由来しており、これが“国づくり”の大業です。
大神様は国づくりの最中、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、私たちが生きてゆく上で必要な様々な知恵を授けられ、多くの救いを与えて下さいました。この慈愛ある御心への感謝の顕れが、一つ一つの御神名の由来となっているのです。
今では広く“えんむすび”の神として人々に慕われていらっしゃいますが、この“縁”は男女の縁だけではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための貴い結びつきです。そして、日本の悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、目に見えないご縁を結んで下さっているのが大国主大神様なのです。 

 

 

 

御鎮座の由来 

大国主大神様が国づくりによって築かれた国は、「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国でした。大神様は国づくりの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める天照大御神様へとお還し(国土奉還=国譲り)になりました。そこで天照大御神さまは国づくりの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、これから後、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとし、あなたは目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導いて下さい。また、あなたのお住居は「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と申して、私の住居と同じように、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。そして私の第二子の天穂日命をして仕えさせ、末長くお守りさせます。
と申されました。こうして大国主大神様は目に見えない世界を司られ、天照大御神様の御命令によって高天原の諸神がお集まりになり、大国主大神様のために宇迦山の麓に壮大なる宮殿が造営されました。そして大国主大神様は永久にお鎮まりになって人々の幸福のために慈愛をそそいで下さることになり、今に至るまで厚い信仰をお受けになっています。

この荘厳な御社は天日隅宮を始め様々な名称で称えられてきましたが、現在は「出雲大社(いづもおおやしろ)」と申しております。 

 

 

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           お問合せ :午前8時30分~午後5時      

 

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(続く)