邪馬台国とはなんぞや?(30)

上図の変化の順番を示すと、以下のようになります。

1.
河内湾1の時代 : 約7000年前~6000年前
2.
河内湾2の時代 : 約5000年前~4000年前
3.
河内潟の時代  : 約3000年前~2000年前(西暦紀元前1050年~前50年
4.
河内湖1の時代 : 約1800年前~1600年前(西暦150年前~350年)
5.
河内湖2の時代 : 約1600年前以降
6.
大和川付け替え以前
7.
大和川付け替え以降
8.
現在

続いて、大阪平野の地層と地質の調査結果が、次に示すとおりです。
( 詳しくはこちらから♥ ⇒ 大阪平野の発達史 )
https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/16/pdf/16_1_1.pdf

大阪平野の沖積層基底等深線図
大阪平野沖積層基底等深線図

大阪平野の14C年代試料採取地点の地質柱状図
大阪平野14C年代試料採取地点の地質柱状図

上図の採取地点①~⑫を、地図上で西から東へと黄線で結んだのが、下図になります。

大阪平野の沖積層基底等深線図 3

今から2万年前ウルム氷期の最盛期、海水面は現在より100メートル以上も低く大阪湾や瀬戸内海は陸地でした♥

2万年前の日本列島
2万年前の日本列島
画像はこちらからお借りいたしました♥ ⇒ 大雪山の高山植物の起源<その4>
http://muishizen2.seesaa.net/archives/20150813-1.html

そして、その当時の大阪駅付近の地表面は、現在よりも27メートル以上低かったことも分かっています。

やがて、地球の気温上昇とともに、氷が解け海水面が上昇し、今から1万1000年前には、大阪駅付近の地下20メートルぐらいまで海水が流入していきました。

さらに気温が上昇、海水温の上昇にともなう大量の蒸発がおこり、山々には大雪が降り、日本列島各地に大雨が降るようになりました。

こういった気候の変動によって、大阪平野に流れ込む河川水量が増加し、大量の土砂を運び込み、やがて現在の大阪平野へと繋がっていきます。
(続く)

進次郎さんよ?違う声を強みに、とはどういうことか。(完)

2017.9.14 17:35

自民党石破茂元幹事長は14日の派閥の会合で、非核三原則の見直しを議論すべきだとの考えを改めて示した。「議論もしないで、『米国の核の傘があるから大丈夫だよね』『ミサイル防衛があるから大丈夫だよね』って。本当に日本の独立と平和は達成されるのか」と述べた。



 

これは、2018.9.16(日)の小生のブログで紹介した産経のニュースの一節である。

 

それなら、「どのようにして日本の独立と平和を達成しようとするのか」と言う肝心な政策はあるのかと言うと、それはあまりはっきりとしない。

 

しかも非核三原則をどのように見直すのか、と言った内容の表明もない。石破のこの文言を読むと、

 

「米国の核の傘で守ってもらうといいながら、日本国内には(核兵器を)置かないというのは本当に正しい議論なのか」と語った。」と言っているから、非核三原則・「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」のうちの「核兵器を持ち込ませず」を原則から外して、核兵器を日本におくことを認めると言う事なのであろう。

 

小生は、日本の独立と平和を維持しようとするのであれば、「核兵器を日本に持ち込む」だけではなくて、日本自身が「核武装」するくらいのことを進めなければならないと思っている。

 

だから石破がどれだけの覚悟をもって、このことを言っているのかは非常に興味があった。

 

しかし石破は、持論の「9条2項(戦力不保持)を削除して、自衛隊を戦力として位置付ける改正」をどちらかと言うと封印してしまい、地方を元気するとか防災省を作る方が大事で憲法改正は二の次だと、今回の総裁選では逃げてしまった。

 

これでは石破には、日本の政治は任せられけない。・・・・・と思うのは私だけではあるまい。

 

 

これと似た気持ちになったことがある。

 

それが小泉進次郎氏の「人との違いを強みに変えられるかが大事。…違う声を強みに変えていく、そんな自民党でなければいけない。」とは一体何を言わんとするのか。

 

 

 

進次郎氏、石破氏支持の理由語る「二者択一の話でない」

    20189201802

進次郎氏、石破氏支持の理由語る「二者択一の話でない」

自民党総裁選を終え、記者の質問に答える小泉進次郎筆頭副幹事長=2018年9月20日午後3時49分、東京・永田町の党本部、岩下毅撮影



 小泉進次郎自民党筆頭副幹事長は党本部で記者団に対し、「石破氏に一票を投じました」と明らかにした。その理由について「安倍さんか石破さんかという二者択一に見えて、そんな単純な話ではなかった」としたうえで、「私なりにどういう思いを一票に乗せるか考えたときに、日本のこれからの発展は、人と同じではなくて、人との違いを強みに変えられるかが大事自民党も、違う意見を押さえつけるのではなくて、違う声を強みに変えていく、そんな自民党でなければいけないと。そんな思いから私なりに判断した」と語った。

 多くの議員が投票先を明らかにするなかで、小泉氏はぎりぎりまで投票先を明かさず、20日午後の投票直前、ようやく石破氏支持を明らかにした。「仮に私がもっと早く表明したら、私の望む形にならなかったと思う。私が表明しなかったからこそ、2人の違いや論争に注目が集まった」と自身の影響力を考慮したうえでの「沈黙」だったことを強調した。

 総裁選を振り返り、「いろんな情報戦があった。政治の世界の戦。わたしは武器を持たない戦争みたいなものだと思う。それに対して、どうやって生き抜いていけるようにするか、そういったことも含めて非常に学びのある総裁選だった」と述べた。

https://www.asahi.com/articles/ASL9N5TK5L9NUTFK023.html?iref=pc_ss_date

 

 

 

小泉進次郎氏、石破氏へ投票

1強批判「違う声強みに」

2018/9/20 20:39 ©一般社団法人共同通信社

自民党総裁選で投票する小泉進次郎筆頭副幹事長=20日午後、東京・永田町の党本部

 自民党小泉進次郎筆頭副幹事長は20日、総裁選で石破茂元幹事長を支持することを投票直前に表明した。結果判明後、党本部で記者団に「違う声を抑えつけるのではなく、強みに変えていく自民党でなければならないとの思いから判断した」と理由を述べた。安倍晋三首相による「1強」体制への批判をにじませた格好だ。今後は内閣改造・党役員人事での処遇が焦点となる。

 小泉氏は、連続3選を果たした首相に向け「最後の総裁任期なので、政治家として腹の底からやりたいことを完全燃焼してほしい。党内のさまざまな声を強みに変えてほしい」と強調した。

https://this.kiji.is/415300792661951585

 

 

 

こんな抽象的な言葉で、国民を騙すようでは先が思いやられる、と思われるのだが。

 

小泉進次郎氏は歯に衣着せぬ言葉で、国民の評判はすこぶるよい。このような抽象的な、なんとなくそれらしい言葉を吐けば、国民は納得するとでも思っているのか。

 

進次郎氏が提言しなければならないことは、こんな抽象的な言葉を振りまくだけではなくて、「だから、これこれしかじかで、党内を納得させるべきではないか、党内を一致させるべきである。(それが日本の平和と国民を守ることになる)」と言う提言が必要なのである。

 

党内の様々な声を強みに変えてほしい」とは、どういうことか。アジテーション的な言葉を投げかけて済ませるような立場には、既にない筈だ。

 

本気でそう思って日本の未来を危惧しているのであれば、そのための具体案も示すべきであろう。こうすれば強みになるのになあ、と言った言い草でもよい。扇動だけでは、そのうちに、国民に飽きられるのではないのかな。彼はまだ若いからこのように甘えていられる、と少しでも思っているとしたら、将に政治家失格であろう。

 

実際のところ、どうしたら強みに変えることが出来るのか、と言ったことは、彼にもわからないのではないのかな。ただ単にそういっただけではないのか。観念的にはそれはまことに正しいことではあるが、言う事ならば誰でもできる。どうすればそうなるか、方法論が必要なのだ。

 

彼の言っていることは、至極当然で当たり前のことである。彼はだた、民主主義の原則を言ったに過ぎないのではないのかな。政治家であれば、原則論だけでは務まらない。

 

世界情勢、国内情勢、国民の感情論、なども踏まえて、日本の独立と平和を維持し国民の生活を向上させてゆく施策を述べるべきなのである。

 

抽象論だけの政治家では、国を動かすことはできない。いくら国民受けが良いからと言って。

 

一見カッコよく聞こえるが、こんな扇動が国民を間違った方向へ導くこともある、と言う事をしっかりと自覚すべきであろう。

 

だから、石破の憲法論から逃げた事と、進次郎氏の抽象論で煙に巻いたことが同じことのように聞こえたのである。何れも肝心なことは言わずに避けている。

 

仮に私がもっと早く表明したら、私の望む形にならなかったと思う。私が表明しなかったからこそ、2人の違いや論争に注目が集まった」とは、事実なのか、確かに石破が憲法論から逃げた事だけはわかったのであるが。

 

 

 

議員票 地方票  合計

安倍晋三 329    224    553

石破茂 73    181    254

 

 

 

 

<自民総裁選>石破氏善戦 首相、迫られる「批判」への配慮

    毎日新聞20189201947(最終更新 9210247)

<自民総裁選>石破氏善戦 首相、迫られる「批判」への配慮

自民党大会に代わる両院議員総会の最後にバンザイをする安倍晋三首相(前列中央)、石破茂元幹事長(同左端)=党本部で2018年9月20日午後2時23分、川田雅浩撮影



 自民党総裁選は20日、国会議員による投票が行われ、党員・党友票と合わせて開票された。安倍晋三首相(64)が553票を獲得し、254票の石破茂元幹事長(61)を破って連続3選を果たした。首相は最終任期の3年間でデフレ脱却や憲法改正などの課題に取り組む。ただ、石破氏が国会議員票、党員票とも善戦したことで、首相は今後、党内からの批判に配慮した政権運営を迫られる。

 総裁選は国会議員票、党員票それぞれ405票で争われた。国会議員票は首相329票、石破氏73票、無効票3票。毎日新聞の情勢分析では、首相は自民党細田、麻生、岸田、二階、石原各派と竹下派衆院側の支持を受け、無派閥議員を含めて343票を固めていたが、十数票を取りこぼしたことになる。石破氏は石破派と竹下派参院側、無派閥議員の計51票程度の基礎票から約20票上積みした。小泉進次郎筆頭副幹事長(無派閥)は投票直前に石破氏支持を表明した。

 焦点の党員票は首相が224票、石破氏が181票だった。首相の得票は405票の55.3%で、首相陣営の甘利明事務総長が目標に掲げた55%をわずかに上回った。しかし、陣営は当初、7割を目指していただけに、「やはり地方には不満がたまっている」(中堅議員)という見方が出ている。

 党員投票の結果は、首相が35万5487票、石破氏が28万6003票。両氏の得票数に応じてドント式で405票を配分した。投票率は61.74%で、選挙戦になった2012年総裁選の62.51%から微減した。

 開票後、首相は両院議員総会で「戦いは終わった。これからは一致協力して新しい日本をつくっていこう」と結束を呼びかけた。来年11月に戦前の桂太郎首相の2886日を抜き、在任期間が歴代1位になる。

 石破氏は「これ以上ないほどの力をいただいた。いい形で次の政権につなげるよう努力したい」と記者団に語った。【村尾哲】

https://mainichi.jp/articles/20180921/k00/00m/010/069000c




しかし進次郎氏は、当初は”早期に石田指示の態度表明をするつもりであった”ようだ。それを周囲などから早いうちに態度表明しないように説得されて、思い止まっている。

きっと「仮に私がもっと早く表明したら、私の望む形にならなかったと思う。私が表明しなかったからこそ、2人の違いや論争に注目が集まった」とは、後付けの理由なのであろう。





進次郎氏、制止され早期表明断念

毎日新聞20189212016(最終更新 9212049)

自民党総裁選後、記者団の質問に答える小泉進次郎筆頭副幹事長=党本部で2018年9月20日、川田雅浩撮影



 自民党総裁選で、20日の国会議員投票の直前に石破茂元幹事長支持を表明した小泉進次郎筆頭副幹事長は一時、早期の態度表明を検討していた。しかし、安倍晋三首相の陣営だけでなく、周囲からも自制を促されて断念。投票開始約15分前の表明はぎりぎりの意思表示だったようだ。

 関係者によると、小泉氏は総裁選期間中(7~20日)の「早い時期」に表明することを検討していたという。しかし、小泉氏の動向を警戒する首相陣営がたびたび「メリットがない。やめた方がいい」などと忠告。将来への影響を懸念する周囲からも「あまり関与しない方がいい」などと助言していた。

 小泉氏自身は20日の総裁選後、「(早期に)表明しなかったからこそ(候補者)2人だけの論争に注目が集まった」と総裁選への影響回避を考慮したことを示唆した。党員・党友の投票は19日に終わっており、ほとんどの国会議員が支持候補を決めたのを待って表明した形だ。【松倉佑輔】

https://mainichi.jp/articles/20180922/k00/00m/010/090000c



それに石破派からの閣僚起用は見送られるようだが、まあ当然のことであろう。日本の独立と平和と国民の安寧のために、憲法改正の第一歩を踏み出そうとしているのであるから。



安倍晋三総理に一層の活躍を祈念したい。



首相、石破派の閣僚起用見送りへ

内閣改造改憲方針への同調重視

2018/9/21 20:00 ©一般社団法人共同通信社

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閣議に臨む安倍首相=21日午前、首相官邸

 安倍晋三首相は101日を軸に調整する内閣改造で、自民党総裁選を戦った石破茂元幹事長が率いる石破派からの閣僚起用を見送る意向を固めた。首相の憲法改正の考え方に同調することを人選で重視する。石破派の斎藤健農相は交代させる方針だ。政権幹部が21日、明らかにした。河野太郎外相、世耕弘成経済産業相茂木敏充経済再生担当相は留任の方向。首相は石破派からの党役員登用も避ける見通しで、党内から反発が出る可能性もある。

 首相は28日に米国から帰国後、人事調整を本格化させる。政府与党の新体制で、党改憲案の臨時国会提出方針やアベノミクスの加速などを推進する構えだ。

https://this.kiji.is/415824231025394785

(終わり)

邪馬台国とはなんぞや?(29)


悩む女の子2

 また関西には多くの大学や研究機関があるのですがこの社伝を信じ古代史を研究した方はいないようであり、

驚き 2

研究機関、大学、古代史家、歴史教師、マスコミから作家まで神武東征を否定し、好意的な人も、それは神話だ、と見向きもしなかったのです。』

日の丸

いかがでしょうか?

神武東征の証明年代の特定など主要な解説は、本書をお読みいただくと致しまして(⇒見事に解き明かされています♥)、それらを紐解く、最も重要なポイントの解説をさせていただきます。

そのポイントとは、日本書紀古事記が伝えるところの、神武天皇は船で難波碕に上陸なされた」、をその年代とともに証明することにあります。

先ほど御覧頂きましたとおり、生國魂神社の御由緒には、「難波(古代の大阪)」が、昔は「南北に連なる台地」であって、「三方を海に囲まれていた」と伝えられています。そして、そこに神武天皇がやって来られたとも伝えています。そして、周辺の海には、大小さまざまな島が浮かんでいたと。。。難波の「八十島(やそしま)」ですね♥ 大八洲国(おおやしま)、つまり、私たちの日本の原型が、ここにあるんです♥

ポイント

そこで、一つの疑問点が出てきます。大阪城から生駒山の麓までは見渡す限りの陸地」です。

本当にこの辺りがで、数々のがあったんでしょうか?で来ることができたんでしょうか?

悩む女の子2

著者は苦言を呈していますね♥ 

「関西には多くの大学や研究機関がある」にもかかわらず、「古代史を研究した方はいない」と。。。

それでは大学や研究機関とは無関係な私たち一般的な日本人の手で、大阪平野の成り立ちを調べるために、ググってみましょう

大阪平野 沖積」

いかがでしょうか?

たくさん出てきましたね♥

そこから得られる情報だけでも、研究機関、大学、古代史家、歴史教師、マスコミから作家までが否定する『神武東征』が事実であると推定することができ、また、その年代も推定できるんです

素人にだってできるんですよw 「研究機関、大学、古代史家、歴史教師、マスコミから作家」って、一体何をやっているんでしょうね♥

それでは、見てまいりましょう♥

まずは、キーとなる大阪平野どのようにして成り立ったのかを押さえましょう。

現在の私たちの日本で、いわゆる平野と呼ばれているところは、川の土砂が堆積して出来上がった沖積平野です。

ですから、かつてはどこも湿地帯だったんです♥

「 縄文時代、海面は今より数mも高く、日本の沖積平野(ちゅうせきへいや)はすべて海の下であった。

その後、海面が下がり、川の土砂で沖積平野が形成されていった。

現在の日本で平野と呼ばれているところは、かつてはどこも湿地帯であった。」

 

で、その大阪平野が、川が運んでくる土砂により出来上がっていく過程を示すと、以下のようになります。


画像はこちらからお借りいたしました♥ ⇒ 大阪平野の変遷
                   http://agua.jpn.org/pre/pm.html

(続く)

邪馬台国とはなんぞや?(28)

親子チョコ♥(親子で、ちょこっと。。。)

「いくたまさん」が伝える真実 ~ 神武東征の証明

2015-12-02   http://oyakochoco.jp/blog-entry-1169.html

   (略)

 

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!

 

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   『 (大阪城)大手門を出て左に曲がると、小さな公園の片隅に古風な掲示がありました。何が書いてあるのか近づいて読んでみると、

「ここはかつて難波碕なにわのみさき)と呼ばれ、生國魂神社いくくにたまじんじゃ)があったが、豊臣秀吉公が大阪城築城に際し天王寺の方へ移させた」

と書いてあり、ここが神社が旅立った「お旅所どころ」だとあるのです。

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生国魂神社20151122115322c2d
 奇妙な話につられ、行ってみようと思ったものです。そこから西に向かい、上り坂を歩いて谷町筋に出て、谷町四丁目交差点を左折し、天王寺方面へしばらく行くと右手に生國魂神社がありました。

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生國魂神社 生国魂神社2015112211540974e

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生國魂神社 生国魂神社myhome323232

お参りを済ませ、どのような神社なのかと【いくたまさん】なるパンフレットを読むと次のようにあったのです。

悩む女の子2

御由緒

難波(浪速)と呼ばれた古代の大阪は、【南北に連なる台地】より成り【三方を海に囲まれた本流の打ち寄せるところ】であった。現在の上町台地である。

上町台地(緑色)の稜線部を旧熊野街道(橙色破線)が走る
上町台地(緑色)の稜線部を旧熊野街道(橙色破線)が走る
上町台地201511221207360b9

この上町台地周辺の海上には、【大小さまざまな島】が浮かんでいた大和川と淀川が上町台地の北端で交わって一筋の大河となし、上流より運ぶ砂礫が堆積して砂州となって、次第に島々(島嶼)を形成したのである。

 いわゆる難波の「八十島(やそしま)」である。この島々がやがて陸地と化し現在の大阪の地形が形づくられた。今も市内に残る堂島福島弁天島などの【「島」のつく地名が、古代を物語っている】。漸く、大地生成の壮大かつ神秘に満ちた大自然の営みは、「八十島神」と称えられ、『古語捨遺(こごしゅうい)』に「大八洲(おおやしま)の霊――日本列島の御神霊(ごしんれい)」(国土全体の国魂の神)と記された生島(いくしま)大神足島(たるしま)大神(生國魂大神)の御神徳によるものであり、万物創造・生成発展の御神威の発揚に他ならない。

 古代の大阪上町台地が中心であり、沖積作用により海が埋め立てられ多くの島々ができ、今日の大阪平野が出来上がったというのです。次いで『創祀(そうし)』を読んでみました。

創祀

社伝によれば、神倭伊波礼毘古命(かむいやまといはれびこのみこと / 第1代神武天皇)が御東征の砌(みぎり)、大阪の起源ともいえる上町台地の北端の地(難波之碕――現在の大阪城一帯)に、天皇御親祭により、国土の平定・安泰を願い大八洲(日本列島)の御神霊であり国土の守護神である生島大神足島大神をお祀りなされたのが生國魂神社の創始と伝わる。当神社【大阪最古にして、大阪の総鎮守と称される所以】である。その後、大物主大神を相殿神としてお祀りする。

神武東征
神武東征 神武東征img_2_20150621085724920

 何と神武東征のおり、ここに生島大神足島大神を祀ったのが始まりだ、という話が大昔から語り継がれ今日に到っているのです。

驚き 2

 記紀は、神武天皇は船で難波碕に上陸したと記し、生國魂神社の社伝にも神武天皇がやって来たとあります。近くに大阪湾や淀川もあるのですが、大阪城から生駒山の麓までは見渡す限りの陸地】。如何に大昔とはいえ、本当にこの辺りは海か湖だったのかどのような地形だったのか、見当もつきませんでした。

(続く)

邪馬台国とはなんぞや?(27)

神武天皇が大阪湾に到達したときは、丁度満ち潮時で、大阪湾からその湖水状のみずうみへは海水が流れ込んでおり、その早い潮流に乗って上町台地の反対側にたどり着いた、と言った状況が書かれているのである。その上町台地には、現在は、東側には大阪城、西側のやや南には生国魂神社が乗っている(建てられている)。

 

長浜浩明氏の先の書「古代日本『謎』の時代を解き明かす」(展転社)では、このことからと言う訳でもないが、大阪平野の成り立ちの考察から始まっている。

 

氏は現在の上町台地の西側を大阪平野、東側を河内平野と分けて呼んでいるが、その第一章の表題は、「かって大阪・河内平野」は海だった」としているほどである。

 

先の書によれば長浜浩明氏は、東京工業大学建築学科、同大学院修士課程環境工学専攻を終了している工学修士であり、昭和48年に(株)日建設計に入社している。そして大阪本社で新人研修を受け生国魂神社の社伝や、それ以後、大阪平野などの地質調査結果に接し、嘗ては大阪平野や河内平野が海だった歴史があったことを知り、ある種の感慨を受けたと記している。

 

大阪平野や河内平野には、日本経済の高度成長と共に高層建築物が建てられていったが、そのためには地質調査が必然であった。そのため各所がボーリング調査され、しかもサンプルは炭素14年代により科学的に調査され、その結果、大阪平野の成り立ちが詳細に明らかとなっていった。

 

この過程を詳しく調査されたのが、大阪市立大学の地質学教室(1950S25年に設立)の梶山彦太郎氏市原実氏の両教授たちであった。

 

それによると大阪平野は次のような経過で成立していったと言う。(1950年を起点

先の書に従って、簡単にまとめてみる。

 

 

(0) 大阪平野の時代二万年~九千年前) ウルム氷河期で海水面は100m以上低い。 ナウマンゾウの時代。

 

(1) 河内湾Ⅰの時代七千~六千年前) その後の温暖化により海面が上昇、古大阪平野に進入した海水は生駒山の麓まで押しよせていた。大阪城から5kmほど東北東の茨田諸口からクジラの骨が出土している。縄文海進と言う。

 

(2) 河内湾Ⅱの時代五千~四千年前) 大阪城公園の東南の角に、JR環状線森ノ宮がある。

  ここに縄文時代から弥生時代に掛けての貝塚があり、下部には海の牡蠣が積まれており、上部はセタシジミと言う淡水貝で、その貝塚は終わっている。ここは上町台地の縁にあたり、すぐ海が迫っていた様だ。しかし沖積作用によりやがて海は閉鎖されて淡水化していったことが、このことから判るのである。

 

(3) 河内潟の時代三千年~二千年前) 即ち紀元前1050から紀元前50年頃になると河内湾は更に埋めたてられて海から潟へと変わっている。1950-3000=1050となる。先の森ノ宮の上部がセタシジミと言う淡水貝に変わっていたと言う事は、河内湾が潟に変わったことの、証となろう。また生駒山の麓にある日下貝塚でも淡水貝のセタシジミに変わっている。
  この時代になると、「上町台地から延びる砂州は更に北進し、開口部は狭まり、河内潟に流れ
込む河川水はここから大阪湾へと流れ出ていたが、満潮になると狭まった開口部を通って海水が潟内部へ逆流し、四~五キロ奥の大阪城辺りまで達した。そして干潮になると、潟の水は開口部から大阪湾へと勢いよく流れ出た。これが浪速、難波の由来であろう。」と、先の書には書かれている。

  そして干潮時になると川が浮き出て、川を遡上することが出来たと、梶山彦太郎氏も指摘していると言う。
  まさに日本書紀の言う「舳櫨相つぎ、まさに難波碕に着こうとするとき、早い潮流があって大変
早く着いた。」とか「3月10日川をさかのぼって、河内国草香(日下)村の青雲の白肩津に着いた。」という表現は、将にこの時代のことを如実に表していることではないか。

 

  と言う事は、神武東征はこの時代に行われたことであり、実際にあったことの表現であろう。

(4) 河内湖Ⅰの時代千八百~千六百年前) 即ち西暦150年~350年頃には、河内潟は湾口が閉ざされて湖となっている。上町台地砂州が伸びて湾口が閉ざされてしまったことになる。

  その砂州の東側の当たる淡路町では、セタイシガイと言う淡水貝が出てきているから、潟は湖となり、河内湖となり水は大阪湾へ流れ出ていただけとなっている。この時代は丁度卑弥呼時代と重なり、この時代では先の日本書記の表現は全く成り立たないことになる。従って「神武一行の難波の碕への侵入はこの時代ではない」ことになる。

(5) 河内湖Ⅱの時代(千六百年前以降、西暦四百年~) この時代には河内湖は淀川などのデルタが発達し湖は益々小さくなり、しばしば洪水を起こしていたようである。そのため仁徳天皇溢れた水は海に通じさせ、逆流を防いで田や家を浸さないようにせよ」と言って、堀江の開削を命じている。今の大川である。

 

 

こうして神武東征年代とは「河内潟の時代」以外はありえないことが確認できた。すると、神武東征を事実とし、且つ「邪馬台国が東遷した」や「邪馬台国を滅ぼした狗奴国が東征した」は成り立たなくなる。』と長浜浩明氏の先の書「古代日本『謎』の時代を解き明かす」(展転社)は、この第一章を締め括っている。

 

 

ここら辺の事情を説明しているブログを次に紹介しよう。大阪平野が河内湾から河内潟へ、そして河内湾へと変遷して、河川の沖積作用によって(大阪)平野へと変わっていく様が理解できよう。

(続く)

邪馬台国とはなんぞや?(26)

神武天皇聖跡難波之碕顕彰碑
http://otube.osakazine.net/e384484.html

 

神武天皇聖跡難波之碕 

地点地域
凡そ東區の上町台地の北端より北區の天満附近に至る地域  
御事蹟
難波之碕は日本書紀に據れば神武天皇御東征の際到り給ひたる所なり
その砌(みぎり)奔潮甚だ急なりし為浪速の國の名を得後難波となれり

-昭和十五年秋 大阪府


大阪府による案内板より敢て原文ママで書き写してみました。なお石碑の側面には、昭和十五年十一月 紀元二千六百年奉祝會という記述があります。

神社の由緒や顕彰碑の碑文などで「神武東征の際…」とか「神武東征が…」という文言がタマに出てきます。
そこで神武東征についてごく簡単に纏めてみました。

 

 

神武東征(じんむとうせい)とは、初代天皇である「神倭伊波禮毘古命(カムヤマトイワレビコ)=神武天皇」が日向(現・宮崎県)を発ち、大和(現・奈良県)を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話の説話です。
日本書紀によれば神武天皇は、45(紀元前667)の時、日向の高千穂を発ち、海路瀬戸内海を通り、浪速国(現・大阪府)に上陸して、そこから大和の国に入ろうとします。しかしこの地を支配する長髄彦(ながすねひこ)に敗北し、現在の大阪平野を船で南下し、紀伊国(現・和歌山県)から熊野を経由して大和の国に入り、紀元前660大和国を征服して橿原宮で即位したとされています。

http://otube.osakazine.net/e384484.html

 

 

難波之碕へは非常に速い潮流に乗って到着した、と書かれているが、当てずっぽうに想像して書かれたものではない。

 

このことは、古事記日本書紀に、しっかりとそのように書かれている。

 

ただしここの書かれている紀元前660年などと言う年代は、かなり異なっているようなのでそのつもりで読んでほしい。と言うのも先の書の書名には、「神武天皇即位は紀元前70年だった!」と副題が記載されているからである。

 

 

 

日本書紀巻第3 神武天皇
       (出典:講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷 孟氏著)



東征出発



・・  略  ・・・・・・

11月9日 天皇は筑紫の国の岡水門につかれた。

12月27日 安芸の国について埃宮(えのみや)においでになった。

翌年乙卯(きのと・う)春3月6日に吉備国に移られ、行館(かりのみや)を
造っておはいりになった。 これを高島宮という。

3年の間に船舶を揃え兵器や糧食を蓄えて、一挙に天下を平定しようと思われた。

戊午(つちのえ・うま)の年、春2月11日に天皇の軍はついに東に向かった。

舳櫨相つぎ、まさに難波碕に着こうとするとき、早い潮流があって大変早く着いた。

よって、名づけて浪速国とした。

また、浪花ともいう。今難波というのはなまったものである。

3月10日川をさかのぼって、河内国草香村の青雲の白肩津に着いた。

 

(略)

 

http://www2e.biglobe.ne.jp/~fujimoto/kojima/jinmu.htm

 

 

 

難波(なにわ)
なにわ

 

大阪の古地名。浪速、浪華、浪花とも書く。

 

地名の由来は、

 

日本書紀』(神武(じんむ)天皇即位前紀戊午年)に

 

皇師遂(みいくさつい)に東にゆく。舳艫相接(ともえあいつ)げり。方(まさ)に難波碕(なにわのさき)に到るときに、奔(はや)き潮(なみ)ありて太(はなは)だ急(はや)きに会いぬ。因()りて名づけて浪速国(なみはやのくに)とす。亦浪花(またなみはな)と曰()う。今難波(なにわ)と謂()うは訛(なま)れるなり

 

との神話伝承によるが、異説もある。

 

古代の難波は、南北に延びる半島状の上町(うえまち)台地の北部一帯(先端は難波碕)から西、北縁の砂堆(さたい)を占め、東に難波江、西に難波乃海(なにわのうみ)(大阪湾)に接し、水陸交通の要衝をなしていた。そこに難波津の港が栄え、三韓や隋(ずい)、唐の使節を迎えて鴻臚館(こうろかん)が設けられた。

 

また、たびたび皇都としても選ばれ、難波大隅(おおすみのみや)(応神(おうじん)帝)、難波高津宮(たかつのみや)(仁徳(にんとく)帝)、祝津宮(はふりつのみや)(欽明(きんめい)帝)や難波長柄豊碕宮(ながらとよさきのみや)(孝徳(こうとく)帝)、難波宮(天武(てんむ)帝、聖武(しょうむ)帝)などが造営された。

 

中世、難波は衰微したが、台地北端に石山本願寺、ついで大坂城が築造され、以来もっぱら大坂(阪)の名で知られ、一方、難波の名は荘園(しょうえん)名また村名として、現在に残った。[位野木壽一]

https://kotobank.jp/word/難波%28なにわ%29-1572458

 

 

古代の難波は、南北に延びる半島状の上町(うえまち)台地の北部一帯(先端は難波碕)から西、北縁の砂堆(さたい)を占め、」と書かれているように、上町台地と言う半島で西に大阪湾、東に難波江と言う湖水があり、今のような一体となった平野ではなかったようだ。そして上町台地の先端は

海流により砂礫が堆積し台地が伸びて(?)狭い海峡のようになっており、満ち潮、引き潮の時は相当早い潮流が流れていたようである。

(続く)

石破茂、国を亡ぼす(完)

今、オーストラリアでは、「膨大なチャイナマネーと在外中国系移民をフルに活用して、ありとあらゆる浸透工作を行っていることが発覚して大問題になっている。」と警鐘を鳴らしているのは、先にも紹介した月刊WiLL10月号の「国を亡ぼす危険人物」(山岡鉄秀氏AJCN代表)と言う論考だ。

 

 

昨年20176月に、豪州籍を取得している中国系大富豪の黄向墨氏周沢栄氏が、オーストラリアの二大政党(オーストラリア自由党とオーストラリア労働党)に、670万豪ドルもの資金を提供していたことが報道された。

 

この黄氏と周氏は中国共産党と密接に関係しており、中国の国政助言機関てある全国政治協商会議の代表も務めているという。

 

そして南シナ海の領有権問題や中国とのFTAなどを、オーストラリアの政治家や大学の研究機関が同国を中国の望む方向に誘導するよう、中国系大富豪達が強力な政治工作を実施していたことが明らかにされた。

 

この件については、

野口裕之の軍事情勢】中国の「非友好的な国」調査で見事1位に輝いた豪州 中国の「自滅」が世界を救う 2018.7.30 07:00

https://www.sankei.com/premium/news/180730/prm1807300003-n1.html

 

を参照されるとよい。

 

 

今年の二月、中国の広範囲な浸透工作の実態を警告する書籍『サイレント・インベージョン(静かなる侵略)』が、出版されて大反響を呼んでいるという。

 

 

[FT]豪州の大手出版社、中国の報復恐れ出版延期

2017/11/15 6:50
日本経済新聞 電子版

Financial Times

 オーストラリアの有力出版社が、同国の公共生活に入り込もうする中国共産党の取り組みについて書かれた書籍の出版を棚上げした。中国の報復への懸念をめぐる自己検閲を印象づける最新の出来事だ。

 オーストラリアの著名教授で「サイレント・インベージョン(静かなる侵略)」の著者であるクライブ・ハミルトン氏は、大手出版社アレン・アンド・アンウィンから中国の報復を危惧していると伝えられた後、同社は「近代中国に関する論評を欧米諸国が自己検閲する道のりに沿って、大きな一歩を踏み出した」と述べた。

オーストラリアの取り込み図る中国

 本紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は今月、世界有数の大手学術出版社シュプリンガー・ネイチャーが、中国市場から締め出されることを恐れ、中国の検閲当局から微妙だと見なされる論文を自社の中国語ウェブサイトから削除していることを明らかにした。英ケンブリッジ大学出版局も今年、同じような判断を下したが、言論の自由の阻害に加担しているように見える姿勢が非難を浴びた後、方針を転換している。

 中国の影響力を輸出しようとする習近平(シー・ジンピン)国家主席の新たな取り組みにおいて、オーストラリアは特別な標的になっており、中国政府は定期的にオーストラリアの新聞に折り込みの「記事体広告」を出し、大学の研究施設や地元のシンクタンクを支援してきた。

 今年6月には、大富豪の黄向墨氏と周沢栄氏がいかにしてオーストラリアの二大政党に670万豪ドルの献金を行ったかを詳述した調査報道を受け、ターンブル首相は中国政府に「他国の主権」を尊重するよう警告した。

 この調査報道によれば、情報機関の治安情報局(ASIO)は2015年、黄氏と周氏は中国共産党と関係があるため、両氏からの献金の受け取りに注意するよう両党に警告していた。

 両氏は、豪フェアファクス・メディアと豪公共放送ABCによる報道を否定した。オーストラリアの市民権を持つ周氏は、報道が自分を「不誠実な人間」として描いていると訴え、名誉毀損訴訟の手続きに入っている。一方、黄氏はFTの取材に対し、問題の報道は自分の評判を傷つけるもので、「いかがわしい主張と当てこすりに基づいている」と語った。オーストラリア政府は外国スパイ防止法を見直しており、外国からの政治献金を禁じる計画だ。

 アレン・アンド・アンウィンは13日、ハミルトン教授には「絶大な敬意」を抱いているものの、「広範な法的助言を受けた後」で、「現在法廷で争われている特定の問題が決着する」まで著作の出版を見送ることにしたと述べた。「クライブは出版延期に応じる気はなく、権利で認められている通り、出版権の返還を求めてきた。当社は引き続き、この著作について彼の幸運を祈っている」としている。

民主社会の開放性を突く

 FTが確認したメールで、アレン・アンド・アンウィンのロバート・ゴーマン最高経営責任者(CEO)はハミルトン教授に対し、「中国政府が取りかねない行動からくる著作と会社に対する潜在的な脅威」を恐れていると伝えた。

 「当社の弁護士から、オーストラリアの主流派報道機関に対する北京の権力者の最近の法的攻撃について指摘されており、アレン・アンド・アンウィンは明白な標的になる規模を持っている」。先週書かれたメールで、ゴーマン氏はこう述べた。メールに関してコメントを求めたところ、同社からすぐに回答はなかった。

 豪チャールズ・スタート大学で公共倫理を教えている左派学者のハミルトン教授は、一連の訴訟の結果が出るまで出版を遅らせることは、「事実上、この本を奥地に追いやることだ」と述べた。

 同教授はさらに、オーストラリアの厳しい名誉毀損法が問題の一部になっていると指摘し、「(中国は)我々の名誉毀損法を含め、欧米の民主社会の開放性を利用することに非常にたけている」と語っている。

By Ben Bland in Hong Kong and Jamie Smyth in Sydney

20171114日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/

(c) The Financial Times Limited 2017. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23454050U7A111C1000000/

 

 

 

 

このような中国の覇権的浸透工作は、日本でもハード面でも、ソフト面でも進行している。特に「歴史問題」を日本の弱点と見て、中国は徹底的に利用してきている。現在、日中関係が改善に向かっていると言われているが、それは中国のソフト面での浸透工作だと認識する必要がある。決して気を緩めてはならないのだ。

 

そこで気になるのが、石橋茂反日的な歴史観である。それを如実に表しているのが、2017523日付けの韓国東亜日報のインタビュー記事だと、月刊WiLL10月号の「国を亡ぼす危険人物」(山岡鉄秀氏AJCN代表)は警鐘を鳴らしている。

 

そのインタビューの内容は産経新聞5/24付け)が「石破茂は、慰安婦問題の日韓合意でも日本は謝罪するしかない、と述べた」と報じている。

 

びっくりした山岡氏は東亜日報のオリジナル記事を取り寄せ、和訳してもらい、全文を読んでさらにびっくりしている。そこには石破茂歴史観が赤裸々に語られていたのだ。その歴史観に接して、あまりにも反日的な歴史観であったために驚愕したのであった。

 

以下、その理由を簡単に紹介しよう。石破茂の国家観・歴史観は次のようなものであった。

 

1. 天皇制を認めない。天皇国家元首ではない。

2. 太平洋戦争(大東亜戦争)は、悪い日本が起こした。

3. その戦争を起こしたA級戦犯を靖国神社は祀っているから行かない。

4. 日本は戦争の責任を反省していない。

5. 韓国に対してはずっと謝罪してゆくべきである。

6. 日本に米軍基地があるから北朝鮮武装するのだ。

7. 日本は韓国を併合して、韓国のすべてを奪った。

 

しかも山岡氏は、この内容が事実かどうか石破事務所に確認している。答えはこれで間違いがない、と言うことであったと言う。

 

 

山岡氏がここで深刻に思ったことは、この石破氏の歴史認識では、先に述べた中国の浸透工作にはひとたまりもなく飲み込まれてしまう、と言うことである。

 

習近平は、中国の生涯皇帝の地位を獲得している。その皇帝の目的は「中華帝国再興の夢の実現」である。しかもそれは、平和的な手段を駆使してではなく、軍事的な手段でもって実現しようとしている。しかも中国は西欧諸国日本に踏みにじられていたから、当然「復讐」しても許されるものである、と思っている。敵を外部に設定して、中華人民の意識を「中華帝国再興の夢」に集中させることである。

だから習近平はイギリス国会で演説したり、エリザべス女王に招待させたりしている。それが復習である。日本に対しては、とことん憎むべき敵として利用すべきであると考えている。だから中華人民には幼少時から反日洗脳教育を行っているのであり、敵愾心をもって絞れるだけ絞って金を取り上げ、謝罪させることを目的としているものである。

 

その証拠に、中国は2014年に三つの国家記念日(祝日)を制定している。

 

(1) 七月七日1937年の盧溝橋事件を回顧する記念日

 

(2) 九月三日反日戦争勝利記念日(大陸における日本の降伏を記念する日)

 

(3) 十二月十三日南京大虐殺記念日

 

これらは当然中国人は幼少期から教えられているのでよく知っている。米国から帰省したある日本人母親から聞いた話を載せている。

 

現地の小学校で日本の桃太郎の紙芝居を見せる授業があったという。桃太郎が刀を抜いて鬼退治をするシーンになったときに、中国系の子供たちが立ち上がって「日本人は中国人を沢山殺した」と大騒ぎになったという。

 

念のために言っておくが、これらの三つの記念日とされている理由は、すべてが中国共産党の捏造話が根拠となっているもので、日本が起こしたものではない。

 

盧溝橋事件は中国共産党軍が企画したものであり、中国の戦争(内戦)へは紅軍により日本軍が引っ張り込まれたものであり、南京での大虐殺などは一つもなかったことである。いずれもすべてが中国共産党のでっち上げたものであり、小生のブログにはその理由の全てが記載されている。

 

中国政府は世界規模で、意図的に「日本人は復讐の相手だ」と自国民に刷り込んでいるのである。だからいつまでも韓国が慰安婦問題を提起してくるのは、中国の手が背後で操っているからである。アメリカで慰安婦像がまだに建てられているのも、中国共産党のスパイがアメリカ社会で暗躍しているからである。そしてアメリカを日本から離反させようとしているのである。

 

現在トランプが中国に経済戦争を仕掛けているのは、この中国の覇権的間接侵略に気付いたからである。だから中国は日本に笑顔を見せ始めているのであり、日本は毅然として「尖閣諸島への侵入や歴史問題を利用した反日教育や工作」をやめるよう、強く要求しなくてはならないのである。

 

このような過酷な国際情勢において、前述した石破氏の歴史観と姿勢では日本の安全保障にとって決定的に危険なのだ。逆に言えば、中韓にとっては自分たちの戦略に最も好都合な政治家である。」と、締めくくっている。まさに正論である。

 

 

尚、【政界徒然草石破茂元幹事長の“過去”つつく麻生太郎副総理 「麻生降ろし」の恨みか…

2018.9.17 01:00 には、石破の「不実・不公正」振りをよく言い表しているので、ご一読願う。

http://www.sankei.com/premium/news/180917/prm1809170005-n1.html

(終わり)