2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

日韓併合100年(162)

これが当時の朝鮮の真の状況である。だから3回も日韓協約を改定して、朝鮮の内政まで改革して行かなければならなかったのである。この李氏朝鮮の状況は、この内容から推察するに、今の北朝鮮の状況とそっくりではないか。こんな国を、誰が好き好んで改革し…

日韓併合100年(161)

目賀田種太郎(めがたたねたろう)は嘉永六年(1853年)駿河藩士の家に生まれている。そして17才(1870年、M3 ~1974年)で米国ハーバード法律学校へ国費留学している。そしてさらに1875年~1879年には(Wikipediaによれば)小村寿太郎ら米国留学生9名の監督…

日韓併合100年(160)

第3次日韓協約(1907.7.24調印) 日本国政府及び韓国政府は速やかに韓国の富強を図り、韓国民の幸福を増進せむとするの目的を以って左の条款を約定せり。 第1条 韓国政府は施政改善に関し統監の指導をうくること 第2条 韓国政府の法令の制定及び重要なる…

日韓併合100年(159)

この3人の密使は高宗の委任状を持ってはいなかった、と言われている。Wikipediaの「ハーグ密使事件」の中の「委任状の偽造疑惑」項目に”オランダ国立文書保管所の担当者によると「3人がハーグで皇帝の委任状を提示したと言う記録はまったく存在していない…

日韓併合100年(158)

それによると、 この協約の締結交渉に際して、1905/11/15に高宗は、特派大使伊藤博文に「形式的な外交権だけは韓国に残したい」と提案するも、断固拒否される。すると高宗は、11/17、大臣達と協議し3点の修正案を提案し、「交渉妥協」を指示する。伊藤は韓…

日韓併合100年(157)

事実Wikipediaによれば、韓国皇帝の高宗は1905年3月にはニコライ皇帝へ、そして7月にはロシア、フランスへ、10月にはアメリカ、イギリスへも密使を送っている。このため日本は、韓国が「外交案件」について日本政府と協議する意志がないと考えて、韓国の外交…

日韓併合100年(156)

なんと言ってもルーズベルトは、カラーコード戦争計画を1904年に下問し1908年には白い艦隊を世界に派遣し10月には日本にも寄航させ、日本を恫喝している程である('11/8/9.NO.127参照)。だからタフトからの電文を見たルーズベルトは、7/31に「桂・タフト会談…

日韓併合100年(155)

日露戦争は、ロシアを満州から駆逐し、韓国への手出しを止めさせる事であった。ロシアの究極の目標は朝鮮の獲得であった。以前にも言及してあるが、朝鮮半島の先端の馬山マサンと巨済島を租借し奉天→旅順→馬山→浦塩と満州、朝鮮を囲い込んでいたのである。そ…

日韓併合100年(154)

日本が白人の大国ロシアを破ったと言うことは、多くのアジアの植民地国に希望を与えていたので、アジア諸民族ともそれなりにうまくやっていったと言う可能性も大きかったものと思われる。小村も一つ角を曲がり別視点で検討し、この「ハリマン提案」を受け入…

日韓併合100年(153)

官邸に付くや否や小村委員は「予備協定覚書」を一読し即座に「之れ、明らかに講和条約第六条に反す」と言った。第六条には「ロシア帝国政府は・・・清国政府の承諾を以て、日本帝国政府に移転譲渡すべきことを約す」とあったから、清国の譲渡の承知が条件で…

日韓併合100年(152)

(*)米海軍次官・ルーズベルト→マハンへの手紙(1897/3)「我々はハワイ諸島を明日にでも併合すべきだ。私の信念では、日本が英国に発注した戦艦2隻が英国を離れる前に、我々はともかくもハワイのそこら中に星条旗を掲げ、細々として問題はその後片付ければよ…

日韓併合100年(151)

1810年 カメハメハ大王、ハワイ統一1840年 ハワイ、立憲君主国となる1879年 カメハメハ王、イオラニ宮殿を完成させる。1881年 カラカウア王、日本訪問。深夜アメリカ人随行員を出し抜き、明治天皇を訪問。米国の圧力からの脱却に対する援助を要請し、カイウ…

日韓併合100年(150)

だからルーズベルトは最初から、日本がロシアから賠償金をとることには反対であったのである。ルーズベルトは日本を仮想敵国と看做していたのである。「War Plan Orangeオレンジ計画」がそれである。一説によるとこの「オレンジ計画」はセオドア・ルーズベル…

日韓併合100年(149)

さし当って、日本は堂々と「集団的自衛権」を認めて、自国の防衛での実力行使のほかに、同盟関係にある米軍などが攻撃された場合に実力行使が出来ることを宣言し、自国防衛のレベルを上げる必要性がある。そして、国内での核兵器の管理を米軍と共同で行うよ…

日韓併合100年(148)

予備協定覚書を破棄されたハリマンは、当然、烈火のごとく怒った。そして1906/8には腹心の娘婿のウィラード・ストレイトを奉天領事として送り込み徹底して日本利権を妨害していった。そして高橋是清には、「今から十年のうちに日本は、米国と共同で満州鉄道を…

日韓併合100年(147)

この鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンは、日本の戦時国債2億ドル(現在の一兆円と言う)を引き受けてくれたジェイコブ・ヘンリー・シフのパートナーとして、クーン・ローブ商会を経営する仲であった。 シフとは、昭和天皇が1966年新任の駐日イスラエル…

日韓併合100年(146)

10/5、先発帰国組の5人の随員達を載せた汽船が横浜に入港した。出迎え人に通商局長石井菊次郎がいた。彼は、鉄道王エドワード・ハリマンと日本政府間での「南満州鉄道」の日米共同経営の話が進んでいることを知っていた。石井局長は、その話を 外務省政務局…

日韓併合100年(145)

9/14、小村委員は、随員達に別れの挨拶をした。小村委員はベッドに身を起こして、「この度の談判中は、皆々よく働きたり。感謝す。尚益々奮励せられたし」と述べ、一人一人に握手した。帰国する随員達は、小村委員の弱った様子に皆万感胸に迫るものがあった…

日韓併合100年(144)

この電報の真意は、講和成立をひたすら喜ぶものではなかった。ウィッテの秘書コロストウェツによれば、ウィッテもローゼンも「この場合」には単に平和が必要だっただけで、恒久的な平和を願ったものではなかった。次のように手記しているという。 「ウィッテ…

日韓併合100年(143)

さて、日本としては、ロシアの陰謀を防ぐためにも、「韓国の外交関係を引き受ける」決意であり、また、講和条約による満州の鉄道と租借地を中国に要求することになっているが、円満に解決できない場合には「実力」で実行する、というものである。 小村「ご意…