2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
10.卑弥呼以て死す。 247年に、魏からの 詔書、黄幢が難升米に拝仮された直後に、女王卑弥呼は死亡している。 魏(の新帝の補佐役の司馬懿)としては、卑弥呼を親魏倭王にしたものの難升米の実力を評価して、難升米を信頼できる東夷の王と考えたようだ。…
人物 行為 行為 行為 対象 (1) 一大率-特置 -検察 -諸国(国中)(2) 男弟 -佐 -治国 -国(倭国) この(1)と(2)は、同じことを表現しているのである。即ち同一人物なのである。 即ち、卑弥呼が霊的権力を行使して宗教的に倭国(邪馬台国)を導き…
塚田敬章氏の「後漢書倭伝」から引用する。 「後漢書倭伝」 (宋)范曄著(424頃) 塚田敬章 1、後漢書倭伝(原文、和訳と解説)2、後漢書倭伝の構成要素3、後漢書倭伝の魏志修正箇所1、原文、和訳と解説倭在韓東南大海中 依山㠀為居 凡百餘國 自武帝滅…
9.一大率を置き諸国を検察せしむ。 さてここで邪馬台国関係の位置関係をおさらいしておこう。 まあ異論は多々あると思われるが、邪馬台国とは北九州から朝鮮半島にまたがったあたりに存在していたとして、先ず間違いがなかろう。とりあえずはこんな感じで…
208Pb/206Pbを横軸の左、207Pb/206Pbを横軸の右側に、207Pb/204Pbを縦軸の上に、206Pb/204Pbを縦軸の下にプロットする四軸のレーダーチャートで示すことにより、菱形の鉛同体比のチャートが出来上がる。 このレーダーチャートは、産出地ごとに異なった菱形を…
8.銅鏡百枚と三角縁神獣鏡 魏志倭人伝には、後半の終わりから1/4程戻ったところに「今、・・・銅鏡百枚・・・賜う。皆装封して難升米・牛利に付さん。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を…
8.女王卑弥呼の墓 同書の223頁からは卑弥呼の墓のことに言及しているので、それを簡単に紹介しよう。 「卑弥呼以て死す。大いに冢(チョウ)を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。」と径百余歩と相当大きい。 径百余歩とは、約145mだと言う。かなり…
次に(2) の「周施五千余里ばかり。」に移ろう。 「万二千余里」から 帯方郡から狗邪韓國に到ること七千余里を、単に差し引いたものではないと、先に述べた。 「東南のかた陸行五百里にして、伊都國に到る。」とあるように、狗邪韓国と伊都国にそれぞれ到が使…
7.不弥国の謎、筆法の確認 同書202頁より、不弥国の謎、として「六つの筆法」が隠されている、と解説している。 それを次に羅列してみる。 (1) 先の分析でもわかるように、不弥国の「百里」は宙に浮いている。これを含めると「郡より女王國に至ること萬二…
6.「東南陸行五百里伊都國に到る」と「 東南奴國に至ること百里」の違い この第6章の表題で分かるように、伊都国までと伊都国以降の表現が少し異なっている。 この方角、距離、国名と言う書き順が、伊都国を境に、方角、国名、距離という書き順に変わって…
5. 南のかた邪馬壱國(邪馬台國?)に至る。・・・七万余戸ばかり有り。 さて次に倭国の戸数に焦点を当ててみよう。 1.狗邪韓国 記載なし 2. 対海国 1000余戸 3. 一大国 3000家 4. 末盧国 4000余戸 5. 伊都国 1000余戸 6. 奴国 20000余戸 7. 不弥国 1000余…
4.今、使訳通ずる所三十国。 この魏志倭人伝の冒頭部分には、「今、使訳通ずる所三十国。」とある。 この意味は「通訳を伴った使者」を送ってくる国が30か国と言う意味のようであるが、この30か国を全て引き当てることが出来るであろうか、検証してみよう…
1. 帯方郡 →狗邪韓国 7000里 2. 狗邪韓国 →対海国 1000里 2' 対海国の二辺 800里 3. 対海国 → 一大国 1000里 3' 一大国の二辺 600里 4. 一大国 →末盧国 1000里 5. 末盧国 →伊都国 500里 6. 伊都国 →奴国 100里 合計 12000里 このことを、同書(135頁)は次の…
また万二千余里 12000里も、かなりの長距離となってしまう。当時の一里は434mだと言うので、帯方郡から邪馬台国までの距離は、12000里× 0.434km =5208km となりとてつもない距離となってしまう。 世界地図で朝鮮の帯方郡(ソウル)から奴国(福岡市南部)ま…
これを見ると、この倭人の条は、おおよそ三つの部分に分かれている、ようにみえる。 はじめの部分には、帯方郡から倭国に至る行程・地理に関する記述。 真ん中の部分には、倭国の歴史や産物、習慣、社会情勢の記述。 終わりの部分には、倭国と魏王朝との政治…
男子、大小と無く、皆黥面文身(げいめんぶんしん)す。古より以来、その使、中國に詣(いた)るに、皆自ら大夫と称す。夏后小康(かこうしょうこう)の子、会稽(かいけい)に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍(こうりゅう)の害を避く。 今、倭の水人、…
2.魏志倭人伝 お分かりのことと思うが、「魏志倭人伝」と言う解説(伝)本は独立した一冊の本ではない。 魏呉蜀の三国の一つ・蜀の政府の歴史編纂官であった陳寿が、蜀の滅亡(263年)後、魏を継ぐ晋(しん、265年~)の重臣に取り立てられて、晋の著作郎(…
1.古代に関する素朴な疑問 古代史には、それなりに数々の疑問点が存在しているが、小生にも常々疑問に思っていること、と言うよりも、何故か頭に引っかかっていることが2~3存在している。 一つ目の疑問は奴(な)国のその後の存在である。 AD57年に後漢の…