2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ヨーロッパと日本(36)

18.富国強兵 江戸時代の京都の治安維持の任務は、京都所司代と言う役職が当たっていた。 所司代とは、所司の代理と言うのが本来の意味であるが、元々「所司」とは、鎌 倉・室町時代の軍事・警察を担当する「侍所」と言う組織の長官の名称であった が、江…

ヨーロッパと日本(35)

そして東京大学を退職する祭の大学在職25周年記念祝賀会での挨拶では、 また別の視点から日本人批判を行っている。 【日本人は西洋の学問の成り立ちと本質について大いに誤解しているように思 える。日本人は学問を、年間に一定量の仕事をこなし、簡単によ…

ヨーロッパと日本(34)

さて話はベルツに戻そう。 【・・・ところが、古いものから新しいものへと移り渡る道を日本人に教える為に 招聘された者たちまで、このこと(大躍進の場合、…その生活様式を誤解して受 け入れ、とんでもない間違いが起こりやすいものだ。)に無理解である。…

ヨーロッパと日本(33)

17.エルヴィン・フォン・ベルツの日本観(お雇い外国人医師) 1876年(明治9年)6月6日お雇い外国人として来日して、東京医学校(現 在の東京大学医学部)の教師として1905年6月まで勤務した、「エルヴィン・ フォン・ベルツ」の日本観を次に…

ヨーロッパと日本(32)

[立憲君主制とは] 君主の持つ権力が憲法によって制限されている政体のこと。→絶対君主制 君主とは、多くは世襲によってその地位が継承される国の伝統的な統治者歴史的には皇帝、王、(日本の場合は)天皇と呼称される。 君主を国家元首、即ち国家の首長と…

ヨーロッパと日本(31)

岩倉具視は、大久保利通にも重用されたフランス留学の経歴を持つ官僚の 井上毅(こわし)に意見を求める。井上毅はドイツ帝国を樹立したプロシャ式に 倣った君権主義国家が妥当とする意見書を作成する。大隈重信は大隈で、岩倉 よりも上位の左大臣の有栖川宮…

ヨーロッパと日本(30)

1875年9月20日(明治8年)には江華島事件が発生する。朝鮮は明治維新 政府の国書の受取拒否を貫いていたが、業を煮やした日本政府は1875年5月 25日、軍艦を派遣して朝鮮側を挑発した。そして更に9月20日には日本軍艦雲 揚が挑発行動をとっ…

ヨーロッパと日本(29)

1874年5月6日(明治7年)台湾へ軍事出兵する。さて3年前の1871年(明 治4年)10月琉球の御用船が台風で難破し、台湾南部に漂着した。乗員69名 (内3名溺死)は台湾先住民に囚われの身となり、内54名が殺されてしまう。 明治政府は清国へ…

ヨーロッパと日本(28)

1872年6月12日(明治5年5月7日)品川-横浜間の鉄道が開通 1872年11月4日(明治5年10月4日)群馬県、官営富岡製糸工場操業開 始、お雇い外国人のフランス人技師ポール・ブリューナの指導で設置された器 械製糸工場。全国から数百人の工…

ヨーロッパと日本(27)

明治新政府は、欧米列強の軍事的・経済的圧力に対抗する為に、天皇を中心と した中央集権国家の構築を目指し、矢継ぎ早に改革を断行していった。 1869年7月25日(明治2年6月17日)、274の諸大名から天皇への領地 (版図)と領民(戸籍)の返還…

ヨーロッパと日本(26)

16.明治、惟(これ)新(あら)たなり 1867年11月9日(慶応3年10月24日)徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜が 明治天皇に統治権の返上を上奏し、翌日1867年11月10日(慶応3年10月 25日)に大政奉還の勅許の沙汰書が下り、大政奉還…

ヨーロッパと日本(25)

中国では「易姓革命」と言う文化があるため、中国の歴史の継続性はないに等し い。易姓革命とは、「天命を革(あらた)めて、姓が易(か)わる」と言うことで、中 国の歴史は前政権(前王朝)の否定・打ち壊し、そして現政権(現王朝)の成立と なるのである…

ヨーロッパと日本(24)

この詔書は、1946年(昭和21年)1月1日に官報として発布された。此の官報 の原本は墨書であり、天皇陛下の力強い御名と御璽がある、実際の官報そのも のは印刷物であったが。上記に引用したこの詔書の赤字に修飾した部分が、 自らの神格性を否定した…

ヨーロッパと日本(23)

[新日本建設に関する詔書 ここに新年を迎う。顧みれば、明治天皇、明治の初、国是として五箇条の御 誓文を下したまえり。 曰く。 1.広く会議を興し、万機公論に決すべし。 1.上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。 1.官武一途庶民に至るまで、お…

ヨーロッパと日本(22)

15.新日本建設に関する詔書(1946年1月1日、年頭の詔書) 以下はWikipediaの引用となる。 昭和天皇裕仁ひろひと陛下はこのことを深く理解されていたため、戦後1946 年(昭和21年)1月1日の「新日本建設に関する詔書」(年頭の詔書)に、 こ…

ヨーロッパと日本(21)

さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真 意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主 義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。 http://datas.w-jp.net/theImperialC…

ヨーロッパと日本(20)

ちなみに、奉答書とは、群臣が天皇の意思に従うことを表明した文書であり、 Wikipediaによると、公卿と諸侯は総数で544名、その他が288名が署名して いる。なお当日署名できなかった者は後日署名している。署名者は公卿・諸侯 のほか、天皇に直属する…

ヨーロッパと日本(19)

次に坂本龍馬の「船中八策」を列記してみる。 一策、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事 二策、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議 に決すべき事(上下両院を設置し、議会政治を行え) 三策、有材の…