さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真
意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主
義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。
http://datas.w-jp.net/theImperialCovenantOfFiveArticles.html(Eternity)に、
納得の行く解説がある。それを紹介しよう。
「広く会議を開催して、政治上の全ての事柄は公の議論を通じて決めようではな
いか」と言う意味と小生は解釈するが、この思想は、古くは聖徳太子の「十七条
の憲法」に既に盛り込まれていると言う。
「十七条の憲法」の第十七条がそれである。「現代語訳」が記載されているので
それを引用する。
[十七にいう。物事は1人で判断してはいけない。必ずみんなで論議して
判断しなさい。些細なことは、必ずしもみんなで議論しなくても良い。ただ
重大な事柄を論議するときは、判断を誤ることもあるかもしれない。その時
みんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。] と言うものである。
ここで言う「道理にかなう結論」と言うモノは、現代の多数決の民主主義とは
大いにその趣をことにしている。今の民主主義は、個人の意見をぶつけ合うもの
であり、個人の意見を押し通すこととなる。そのために多少の妥協や修正も行わ
れるかもしれないが、結局は多数決となり強いものの意見が往々にして通ること
となる。従ってその場合には必ずしも「道理にかなう」モノにはならないこともあろ
う。
この「万機公論に決すべし」とは、「もっとも理を得た結論を出すための、各人が
知恵を出し合って最良の道を共に探る公議(社会全体の議論)公論(公平な議
論)」なのである。要するに、議論は個人の利害から離れて、社会全体に対し
て理にかなったやり方を求めよ、と言っているのである。そういう意味では、
利己心をはなれて”公おおやけ”にとって最善と思われる策を論じ合うと言う、
現代民主主義を更に発展させたと言うか超越したところに基準を置いているの
である。
なお、聖徳太子の「十七条の憲法」の第十条には、この民主主義の考えも述べ
られていると言う。
(続く)