2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

日韓併合100年(184)

『よくぞ言ってくれた(http://www.tamanegiya.com/nonbee15.5.html)5月31日土曜日雨 ×××http://www.sankei.co.jp/news/030601/0601sei002.htm 自民党の麻生太郎政調会長は今日の東大・五月祭での講演で、支那や朝鮮から批判される歴史認識問題について「…

日韓併合100年(183)

「創氏改名とは何か」(http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai) によれば、次のような説明が載っていた。 「 朝鮮人の姓は、周知のように結婚しようが何しようが変わることがない、というのが古来の慣習である。それは朝鮮の「姓」が父系の血縁…

日韓併合100年(182)

朝鮮では、朝鮮の近代化のために学校建設に邁進した初代統監の伊藤博文、初代朝鮮総督として寺内正毅はハングルを広め、目賀田種太郎は朝鮮の財政と貨幣の整理や近代的土地調査を実施し、農業をはじめ朝鮮近代化の基礎を作り、第7代朝鮮総督となった宇垣一…

日韓併合100年(181)

ここら辺の話しは、NORTH KOREA TODAY 「帝国の遺産」~日本のゼネコンと北朝鮮をむすぶものhttp://www.pyongyangology.com/index.php?Itemid=2&id=354&option=com_content&task=viewを参照願う。 赴戦江発電所(1929年,S4完工)の工事が軌道に乗ると、野口…

日韓併合100年(180)

黄文雄氏によると、朝鮮総督府は、営林署を設立して、森林保護令、幼齢林育成、造林補助、病害虫駆除、森林組合や林業試験場の整備、地方官庁職員の増員などを次々と実施していった。そして1924(T13)年には、国有林区の調査事業が完了している。そしてその国…

日韓併合100年(179)

一寸長くなるが、朝鮮に渡った日本農民の苦労を語っているものを、「韓国は日本人がつくった」の中から、次に引用したい。 「朝鮮には数千年の歴史があり、土地には固定した地主がすでに存在していたため、新田開発はかなり困難であった。それもあって、日本…

日韓併合100年(178)

何はともあれ、上表でもわかるように、朝鮮の人口は1906年980万人→1940年2,295万人と34年間で2.34倍と、倍増どころか、2倍半近くも増えているのである。人口が増えるということは、朝鮮が日本のために飢餓状態にあったなどと言うことが、如何にひどい捏造で…

日韓併合100年(177)

黄文雄氏の「朝鮮は日本人がつくった」によれば、「宇垣総督のこの農村漁村運動は、総督を始め各地方官署、学校、金融組合、企業諸団体などの全統治機構を総動員した一大運動であった。それは、苦境にある個々の農家を対象とした指導、啓発運動であり、農民…

日韓併合100年(176)

ついでに次のURLも面白く、ためになります。http://www.youtube.com/watch?v=pq4ZOhiCqOwhttp://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-1198.html 昔から朝鮮では、李承番などと言う超極悪な人非人が排出しているので、こういう頓馬な朝鮮人が出てく…

日韓併合100年(175)

台湾は、中国と同じ漢民族の国であるが、中国人よりもずっとずっと心が広く、快活な民族である。1895年末から、台湾は日本の統治下におかれたが、日本は中国人がやったような収奪型の統治ではなく育成型の統治を行い台湾の近代化を図った。台湾人も勤勉によ…

日韓併合100年(174)

上記に引用されている慶南とは慶尚南道のことであろう、朝鮮半島の地図を見ると対馬海峡側に釜山があるが、そのすぐ北西側20kmのところに金海(きむへ)がある。多分この地区のことであろう。このインタビュー記事には「未申告地が発生しないよう綿密な…

日韓併合100年(173)

さて読者諸氏は、この土地調査が果たして公明正大なものだったのか、と幾分疑問を持っておられるかもしれない。事実、頓馬な朝鮮人は、これまた超頓馬な朝鮮の為政者の作った次のような法螺話を、信じているかもしれない。 黄文雄氏の「韓国は日本がつくった…

日韓併合100年(172)

李朝末期ではこのように社会的、経済的混乱が常態化していたため、民族意識の高揚、進取の精神を阻害し、民族の自主独立精神は完全に消失してしまっていた。自暴自棄になった農民達はあちこちで暴動を起こしていたのだ。農民自身の積極性の無さは、大問題で…

日韓併合100年(171)

近代国家となるには、税金の徴収が円滑に行われていなければならない。そしてその基礎となるものは、土地制度が成立していなければならない。李朝末期のこの体たらくでは、とてもじゃないが朝鮮は近代国家への脱皮は不可能であった。 黄文雄氏の「朝鮮は日本…

日韓併合100年(170)

ついでに紹介すると、そこには探検家「ペ・エム・ジェロトケヴィチ」が1885/12/6から1886/2/29にかけて、ソウルから北朝鮮を経てポシェートまで踏破した記録「朝鮮旅行記」のことが載っている。それによると、「朝鮮はどこまでいっても禿げ山と赤土ばかりで、…

日韓併合100年(169)

だから、日本の韓国併合は日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾するが、これは真っ赤な虚偽・捏造であり、如何に朝鮮人の「歴史を無視した身勝手な自己中心的な捏造」が、ひどいものであるかを示しているのである。朝鮮は日本人がつくったのである。こ…

日韓併合100年(168)

「歴史再検証日韓併合-韓民族を救った「日帝36年」の真実-」(祥伝社黄金文庫)によると、朝鮮の国家歳入は1907年度で748万円であったと言う。そして実際に必要な歳出は3,000万円以上だったと言う。 このころの台湾の歳入は2,542万円だったと言う(「かつ…

日韓併合100年(167)

1910/6/3、日本では「併合後の韓国に対する施政方針」が閣議決定され、1910/7/8には第三代統監の寺内正毅の設置した併合準備委員会の処理方針も閣議決定される。そして韓国首相の李完用に対して、1910/8/6、併合を提案する。韓国政府としても学相(文部大臣…

日韓併合100年(166)

李氏朝鮮は、高麗軍の武将・李成桂が明と図って高麗王を倒して自ら高麗王と なり、1392年に建国した国である。明の協力があったため、当初は明からは朝 鮮王の代理としか認められていなかったが、1401年にようやく朝鮮国王として 冊封を受けた国であった。 …

日韓併合100年(165)

こんな状況の李氏朝鮮に、目賀田種太郎は財政顧問として赴任したのである。目賀田の苦労が目に浮かぶと言うものであるが、彼は次々と改革を実施して言った。次に重要な財政経済に関する治績を説明しよう。 先ず第1に「皇室関係と一般行政関係」との金の流れ…

日韓併合100年(164)

さて話を 「4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮、http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html#1」 に戻そう。外国人が見ても、当時の李氏朝鮮はひどい国であった。伊藤博文や目賀田種太郎が如何に苦労し、朝鮮の建…

日韓併合100年(163)

「4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮」の内容の説明の前に、もう一つ紹介しておきたい。 それはNHKなどが盛んに放送した韓流ドラマの、あまりにも史実と違いすぎる、という事である。まあドラマだから当然創作は付き物だ、と言ってしまえばそれまでだが、…