2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(20)

ここで一つ東京新聞に連載されている「よもやま邪馬台国」なる続き物に触れてみよう。 当然この続き物にも鏡の製作地論争の話は載っている。2021.8.10のNO.58には元福岡市公害課職員だった藤本昇氏が、このレーダーチャートを考案したと書かれている。このレ…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(19)

さて、藤森昇氏の論考に戻るが、これらの鉛同位体比は科学機器の発達によりやく40年前から測定できるようになったと言う。 208Pb/206Pbを横軸の左、207Pb/206Pbを横軸の右側に、207Pb/204Pbを縦軸の上に、206Pb/204Pbを縦軸の下にプロットする四軸のレーダー…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(18)

鉛同位体比法の原理地球の誕生時には、中性子数の異なる同位体組成は元素毎に一定の値で、地球上どこでも同じであり、時間の経過による変化はほとんどないとされています。しかし、例外としていくつかの元素は変化します。鉛(Pb)は、そのひとつです。鉛の…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(17)

『 8.銅鏡百枚と三角縁神獣鏡魏志倭人伝には、後半の終わりから1/4程戻ったところに「今、・・・銅鏡百枚・・・賜う。皆装封して難升米・牛利に付さん。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(16)

この平原遺跡を発掘した考古学者の原田大六氏によれば、この平原遺跡にて発掘された大型内行花文鏡が、八咫鏡そのものであると言う。次の鏡が、「http://inoues.net/ruins/itokoku.html」から借用した大型内行花文鏡である。 まあ卑弥呼は、この内行花文鏡を…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(15)

先に言ってしまえば、卑弥呼はそこの平原遺跡に葬られているのである。 しかも徇葬者のある墳墓は、日本国中探しても、この平原遺跡にしかないのである。 ここらあたりのことも、小生のブログ「邪馬台国とは何ぞや?(12)」 (2018.8.23)から転載しておく…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(14)

卑弥呼の墓説に不利? 航空レーザー測量では、「卑弥呼の墓説」に関わるデータも得られた。後円部と前方部が、一体で築かれたことが分かったことだ。 箸墓古墳をめぐっては、前方後円墳でありながら、後円部を先に造ったという「後円部先行説」が根強くあっ…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(13)

先の高橋忠平氏の説とこの武光誠氏の説とは、全くの正反対であり、それが同一の書籍に前後して載せられていることには、少なからず驚いた次第である。 であるならば、どこかにその旨の解説を載せて頂けたら、もっとわかりやすくなったのではないのかな(素人…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(12)

(1)倭国は北九州の30カ国ほどの国のことを指す言葉であり、厳密には、日本国全体を意味するものではない。倭国=日本列島とするのは間違い。日本列島を言うのであれば、日本国とすべきものである。 だから「旧唐書」には、 「或いは云う、倭国みずらかその名…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(11)

ここに卑弥呼がいた しかし平成21年、ついに大型建物跡が見つかった。箸墓古墳から約700メートル北で、3世紀前半の大型建物跡など3棟が並んだ状態で確認された。卑弥呼は2世紀末に女王となり、248年ごろ死去したとされ、時期もぴったり。大型建物…

安倍元総理暗殺、朝鮮韓国の反応は?(完)

韓国では、「安倍元総理暗殺」事件よりも、自国内のスキャンダルの方がより重要な問題となり、それどころでないようだ。 与党「国民の力」の若き代表の李俊錫(イ・ジュンソク)代表(37才、1985年生)の党員資格停止6か月の懲戒処分で大荒れに荒れている。…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(10)

だが、纏向地区で2009年(H21年)に大型建物跡が見つかり、一躍「卑弥呼の宮殿か」と邪馬台国畿内説が盛り上がってしまったのである。 次にお示しする論考も、間違いの一つであることをご認識いただき、ご一読願う。 https://www.sankei.com/article/2021102…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(9)

小生の先のブログ「邪馬台国とは何ぞや?(6)」(2018.08.15)から引用しておくので、ご一読願う。 『 従って「郡より女王国に至ること万二千余里。」の本当の距離は、十分の一にして1200里なのである。先に、「当時の一里は434mだと言うので、帯方郡から…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(8)

ここらあたりはすでに小生のブログ「邪馬台国とは何ぞや?(4~)」 (2018.08.13~)で詳細に説明しているので、そちらも参照願いたい。 しかしながら「魏志倭人伝」には次の文言がある。これをどのように理解すればよいのか。 『南、邪馬壱国に至る。女王の…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(7)

この魏志倭人伝(上記)の『』内の部分が、中国の出先機関の帯方郡から邪馬台国までの道のりであるが、この通りに進めば正確に「邪馬台国」に行き着くはずではあるが、ご存じのように「魏志倭人伝」には章・節の区切りはもとより句読点などもなく、続けて読…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(6)

その会同の坐起(集会の立ち居振る舞い)に、父子男女の別なし。人の性は酒を嗜む。【魏略に曰く、其の俗、正歳・四節をしらず、但だ春耕・秋収を計りて年紀と為せり、と】(抜けているので追記する。) 大人を見て、敬する所は、ただ手を搏(たた)き、以っ…

警護不備、奈良県警、安倍元首相を葬る。(完)

2022年07月08日、午前11時30分頃、安倍晋三元首相が、奈良市近鉄「大和西大寺駅」北口前で暴漢に銃撃された。参院選の自民党候補者への応援演説中のことであった。 応援演説中に、背後から忍び寄ったと言うわけではないが、普通に歩み寄り3~4mの至近距離…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(5)

ここで古代史レポート(https://www.eonet.ne.jp/~temb/index.htm)からの「魏志倭人伝」を借用して次に載せるので、ぜひご一読願う。 魏志倭人伝 解説は「魏志倭人伝から見える日本(https://www.eonet.ne.jp/~temb/1/index_1.htm) 百衲本(原文、書き下し…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(4)

と言った話はさておき、なぜ「邪馬台国は東遷していない」と断定できるのか、と言うと、中国の史書にそのような記録が残っているからである。 その中国の史書とは、旧唐書の巻199上 列伝第149上 東夷 の中に、倭国伝と日本国伝の2つの並立している記…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(3)

桜井市は、纏向遺跡から見つかった「宮殿跡の柱」は、「卑弥呼の宮殿跡」ではないかと、盛んに宣伝して柱跡に目に見える柱まで立てているが、残念ながら「卑弥呼の宮殿跡」ではない。宮殿ではあるが卑弥呼のそれではない。 まあ、地方自治体としては、その活…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(2)

ご当地の桜井市では、2017年12月始めから2018年2月末までの期間で、「卑弥呼の宮殿」のような建物遺構を目に見えるような工夫をすべく、その費用の寄付金を募るプロジェクトを行った。 そのプロジェクトは、建物遺構の柱を立てて見える化するものである。 纒…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(1)

纏向遺跡は、奈良県の桜井市の三輪山の北西山麓の一帯にあり、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡で、国の史跡に指定されている。3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地であり、邪馬台国の中心地ではないかと言った説もあり、箸墓古…