2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

日本近代化の流れ(58)

この第2次上海事変では、1937(S12)年8月9日夕刻、日本軍・上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉とお付の運転手の斉藤與蔵一等水兵が、上海共同租界の国際的自由通行路である記念通り(モニュメントロード)を走行中において、中国保安隊多数に囲まれ…

日本近代化の流れ(57)

1937(S12)年8月9日夕刻、日本軍・上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉とお付の運転手の斉藤與蔵一等水兵が、上海共同租界の国際的自由通行路である記念通り(モニュメントロード)を走行中において、中国保安隊多数に囲まれて機銃掃射を受けて殺され…

日本近代化の流れ(56)

これで南京大虐殺などは作り話で虚偽のものであったことが、更にお分かり頂けたことと思う。しかし「通州事件」は現実に存在した、中国人による大虐殺事件なのである。 また、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)では、「通州事件アーカイブ設立…

日本近代化の流れ(55)

それによると、 『五月三十一日、「通州事件」をユネスコの世界記憶遺産(「世界の記憶」)に登録申請した。この方針を決めてから七ヵ月目に、念願が実現した。尽力いただいた関係者の皆様に感謝したい。以下、簡単に申請に至るまでの経過を示す。・・・・・…

日本近代化の流れ(54)

このように日本の近代化の過程では、多くの日本人が特に支那人に虐殺されている事件が多発している。 例えば、 尼港事件 1920(T9)年3月~5月 には、アムール川(黒竜江)河口のニコラエフ(尼港)を占領中の日本守備隊(シベリア出兵中)と居留民700余名が、…

日本近代化の流れ(53)

このような事実があるにも拘わらず、この手の支那人の極悪非道な行いを、日本軍が行ったとした漫画を描いて、得意になっている非国民がいる。 この漫画は中沢啓治と言う輩が書いた「はだしのゲン」というものだ。 この漫画は、佐々木テンさんの目撃談を読ん…

日本近代化の流れ(52)

近水楼の池を真っ赤に染める-⑧その近水槽(楼)の近くに池がありました。その池のところに日本人が四、五十人立たされておりました。あっ、またこんなところに来てしまったと思って引き返そうとしましたが、何人もの支那人がいるのでそれは出来ません。若し…

日本近代化の流れ(51)

頭皮を剥ぎ、目玉を抉(えぐり)取り、腸を切り刻むそれはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。私はあんな残酷な光景は見たことはありません。これはもう人間の行為ではありません。悪魔の行為です。悪魔でもこんなにまで無惨なことは…

日本近代化の流れ(50)

旭軒で起こった凌辱と惨劇日本人居留区に近付いてみるといよいよ異様な空気が感ぜられます。旭軒という食堂と遊郭を一緒にやっている店の近くまで行ったときです。日本の女の人が二人保安隊の兵隊に連れられて出て来ました。二人とも真っ青な顔色でした。一…

日本近代化の流れ(49)

日本人だと気取られなかった理由私は立っていることが出来ない程疲れていました。そして身体は何か不動の金縛りにされたようで動くことが出来ません。この残虐行為をじっと見つめていたのです。腹を切り裂かれた娘さんのおなかからはまだゆっくり血が流れ出…

日本近代化の流れ(48)

通州事件の惨劇03 通州事件の惨劇03201009222229208c9 T s5nk 七月二十九日未明 銃撃戦始まる 七月二十九日の朝、まだ辺りが薄暗いときでした。突然私はTさん(沈さん)に烈しく起こされました。大変なことが起こったようだ。早く外に出ようと言うので…

日本近代化の流れ(47)

警告の投げ紙もむなしくそれが、昭和十一年の終わり頃になるとこうした支那人達の日本に対しての悪感情は更に深くなったようです。それは支那のあちこちに日本軍が沢山駐屯するようになったからだと申す人達もおりますが、それだけではないようなものもある…

日本近代化の流れ(46)

日本の悪口を言いふらす朝鮮人 ところが昭和十一年の春も終わろうとしていたとき、Tさん(沈さん)が私にこれからは日本人ということを他の人にわからないようにせよと申しますので、私が何故と尋ねますと、支那と日本は戦争をする。そのとき私が日本人であ…

日本近代化の流れ(45)

通州で日本兵と語る楽しみ長い船旅でしたが、支那に着いてしばらくは天津で仕事をしておりました。私は支那語は全然出来ませんので大変苦労しましたが、でもTさん(沈さん)が仲を取り持ってくれましたので、さほど困ったことはありませんでした。そのうち…

日本近代化の流れ(44)

(16) 何故通州事件の目撃証言が載っているのか。 「因通寺の住職であった調寛雅氏は、大分県にある西本願寺の別府別院で講和を担当する機会がありました。そこに熱心に通ってこられたのが、通州事件の目撃者である佐々木テンさんと言う女性でした。「あると…

日本近代化の流れ(43)

すると、女の子は「お父さん」と呼ぶのです。多くの人たちは、言葉無く佇みます。新聞記者までが、言葉を無くし一緒に涙を流したのです。孤児院から出られるとき、子ども達が陛下の袖を持ち、「またきてね、お父さん」と言います。陛下は、流れる涙を隠そう…

日本近代化の流れ(42)

子どもへ伝える大切なもの 先祖代々伝えられそして培ってきた文化と心 我々の世代で失くしてはならない、大切なモノ http://ameblo.jp/hoshusaisei/ 昭和の日 「天皇さまが泣いてござった」 2011-04-29 00:30:59 http://ameblo.jp/hoshusaisei/entry-1085748…

日本近代化の流れ(41)

(9) 七月二十九日早暁、通州保安隊は先ず殷汝耕(インジョコウ)を拉致して、通州の日本兵を攻撃してこれを全滅させる。 それから日本人の大虐殺を始めたのである。 その無類の残虐さは、米国人ジャーリストが「日本人の友人であるかのように警護者の振りを…

日本近代化の流れ(40)

明けましておめでとうございます。さて、続きを始めますか。 (8)通州事件 第二次上海事変に話題を移す前に、通州事件に触れなければならない。 さてその通州事件とは一体どんな事件であったのであろうか。 通州事件とは、1937(S12)年7月29日に中国の通州…