2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

日清戦争開始120年に考える。(39)

安倍晋三首相の場合は、(お馬鹿な)オバマが「失望した」などと言う横槍を入れた来た事が、一つ小泉純一郎の場合と異なっている。アメリカに日本を守ってもらうことになっているから、いくら(お馬鹿な)オバマでもこれは一寸厄介である。 しかしこれも「心…

日清戦争開始120年に考える。(38)

【質問】 去年、参拝した際は、昇殿をせずに、記帳もしませんでした。今回の参拝では、モーニング姿で、内閣総理大臣と記帳して、昇殿もしたということなんですけれども、その理由についてお聞かせください。【小泉総理】 今、お話したようにね、今日は戦没…

日清戦争開始120年に考える。(37)

さて、小泉純一郎元首相が靖国神社を参拝し続けた事は、まことにすばらしい事であったが、安倍晋三も小泉純一郎氏に(学んではいるであろうが)是非学ぶべきであろう。 アメリカの(お馬鹿な)オバマがなんと言おうが、靖国神社を参拝すればよいのである。 …

日清戦争開始120年に考える。(36)

■各国取込み機関の「対外友協」会長が来日 中国側が強硬な姿勢を崩さず、対話どころでなくなっているのは、日本側が「解決すべき領有問題は存在しない」とするからだが、これは事実その通りなのだからやむを得ない。 「歴史と現実を直視」せよと要求されても…

日清戦争開始120年に考える。(35)

『・・・・・・日中関係改善が第1の外交課題 「当面の外交の優先課題としては、日中関係をどこまで進められるかが第1。北朝鮮からの拉致被害者などの再調査報告を受けての対応が第2。対ロシア関係をどうするかが第3といったところだ。日韓関係は相手の出方次…

日清戦争開始120年に考える。(34)

同協会の章程には「本会は民間外交のための組織で、中国人民を代表し、国際社会、世界各国と広く深く友人として交わり、中国と世界各国との友好関係の社会的基礎を築き、中国の特色ある社会主義事業のため、広範な国際的支持を勝ち取る」とある。このように…

日清戦争開始120年に考える。(33)

尖閣諸島の国有化に関する記述もあるが、それを小生なりに解説すると次のようになる。 2011.3.11の14時46分18秒に、東北地方太平洋沖地震が発生した。いわゆる東日本大震災だ。その一年半後、2012.9.11に、尖閣諸島の地権者である栗原國起氏は、石原都知事に…

日清戦争開始120年に考える。(32)

以上のことの理解を助けるために、念のため7月26日付けの「東洋経済オンライン」を次に紹介する。 中国で沸騰、「なぜ日清戦争に負けたのか?」120年前を起点に語られる民族復興のストーリー西村 豪太:週刊東洋経済記者 2014年7月26日1895年、日清戦争の勝…

日清戦争開始120年に考える。(31)

そんな事もあろうかと、仔細にこの日清戦争の原因を、当ブログで探っていたのである。明らかに日清戦争は中国に非がある。これは当時の国際社会も認めていた事である。(豊島沖海戦や 高陞号事件など) 今日の視点(http://mkitajima.blog.ocn.ne.jp/blog/)…

日清戦争開始120年に考える。(30)

日本は朝鮮への兵員や物資の輸送のため制海権の確保に躍起となっていた。と言うのも清国の北洋艦隊は持久戦を狙い戦力の温存をはかって、なかなか威海衛から黄海へ出てこなかったからだ。 威海衛は山東半島の先端に位置し、渤海海峡に面しており、丁汝昌率い…

日清戦争開始120年に考える。(29)

(13)高陞号を撃沈されたイギリスの対日世論は沸騰し、東郷艦長の処罰と日本政府への損害賠償を要求したきた。 (14)しかし当時イギリスを代表する国際法学者のジョン・ウェストレーキとトーマス・アースキン・ホーランドの両氏がタイムス紙へ「東郷艦長の取っ…

日清戦争開始120年に考える。(28)

8、明治27年1894年3月29日、朝鮮に甲午農民戦争(東学党の乱)が勃発、そして日清戦争へ 1890年頃には、朝鮮からの輸出先はほとんどが日本で全体の9割を占めていた。その中身は米穀がその30%以上であった。そして1889年(明治22)、朝鮮での…

日清戦争開始120年に考える。(27)

7、明治19年1886年8月1日、清国の日本威嚇と長崎事件勃発 清国海軍の北洋艦隊は、ロシアのウラジオストックを訪問した後、艦艇修理を名目に1886年(明治19年)8月1日に長崎に入港させている。定遠、鎮遠、済遠、威遠の4隻である。定遠と鎮遠は、…

日清戦争開始120年に考える。(26)

4、明治15年1882年7月、壬午軍乱勃発 江華島条約を結んだ閔妃(びんぴ、高宗の后、開化派)は、日本から軍事顧問を招き新式軍隊を育成していたが、大院君(高宗の父)ら守旧派は不満を募らせていた。そして1882年7月23日に、大院君らに扇動された旧軍兵士…

日清戦争開始120年に考える。(25)

2、明治6年1873年、牡丹社事件と琉球処分 琉球と日本との関係については、豊臣秀吉の文禄(元年)・慶長(3年)の役(1592年、1598年)では、秀吉軍に食糧を提供しているが、なかなか日本には馴染まなかった。1609年(慶長14年)薩摩藩の島津氏が琉球に侵…

日清戦争開始120年に考える。(24)

何故日清戦争を、戦わざるを得なかったのか。 「純粋に偶然だ」と言わせているが、これこそが純粋に意図して日清戦争120周年記念式典に、日本人を殺して喜んでいるのである。だからわざわざ偶然だなどと言わせているのである。これは、「人民よ、中国共産党…

日清戦争開始120年に考える。(23)

それに「日本人は中国に憎しみを抱いていないし」などと能天気な事を言っているが、大半の日本人は中国に対して、かなりの憎しみを抱いている事をこいつはわかっていない。又は分かっているが読者を騙そうとしているのであろう。 そして遼東半島は、あの三国…

日清戦争開始120年に考える。(22)

日清戦争から120年、中国の日本専門家に聞く 「不平等条約ではなかった」ByOlivia Geng and William Kazer2014 年 8 月 1 日 18:50 JST歌川小国政「暴行清兵を斬首する図」(1894年10月、ボストン美術館蔵) Museum of Fine Arts, Boston via Wikimedia Comm…

日清戦争開始120年に考える。(21)

日清戦争は日本の侵略戦争であるなどと、日清戦争(甲午戦争)勃発120周年記念シンポジウムで、臆面もなく言わせている。日清戦争は中国(清国)の朝鮮への侵略を防ぐ戦いであり、ある意味日本の独立戦争でもあった。 甲午戦争120周年の記念イベントが北京で…

日清戦争開始120年に考える。(20)

先に習近平は胡錦濤と結託して周永康を追い詰めたと書いた(2014.8.20、NO.10)。その故錦濤は中国共産主義青年団(共青団)出身である。だから習近平と共青団はどちらかと言うと仲良しだと思っていたらそうでもなく、習近平はその共青団潰しを企てている、と…

日清戦争開始120年に考える。(19)

検閲から透けて見える党の不安 北京で今月、党大会が開催される期間中、世論を統制し、批判を封じ込めようとしている中国共産党にとり、確かにネットは邪魔な存在だ。今回の指導部交代は、ソーシャルメディア時代の幕開け後初めての経験となる。 中国でツイ…

日清戦争開始120年に考える。(18)

習近平は“虎”も“ハエ”も一緒に叩くと明言した以上、中央の大物も地方の小物も一緒に叩かなければならない。これも2年前の記事であるが、本当に習近平は更なるトラを叩けるのか。先の解説では、もうこれ以上叩かないから静かにしていろ、と大物達に約束させ…