2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(42)

海幸彦は「漁労」、山幸彦は「狩猟」を生業としており、『(天照大神は)粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。』と日本書紀にも書かれているように(8/11,NO.29)、縄文の伝統を象徴している神なのである。 事実、邇邇芸命は天照大神より、高天…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(41)

猿田彦が天孫降臨を導いているが、「国譲り」でもフツヌシを案内していることから、フツヌシと猿田彦は緊密に関係し「息栖神社」に祀られている神は猿田彦の家系であろうとしても辻褄が合うものである(P114)。 このようにして、無事に鹿児島の霧島近辺に上…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(40)

邇邇芸命たちは、次のようにして海にこぎ出でていったものである。 『彼ここに天の日子番(ホ)の邇邇芸命、天の石位(イハクラ)を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、陵威(イツノ、勢いよく)道(チ)別(ワ)き道別きて、天の浮橋に、浮きじまり、反り立たして、筑紫の日向…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(39)

「アマ(メ)ノトリフネ」の神は、「鳥之石楠船神」(とりのいわくすふねのかみ)と言われている神で、古事記の「伊邪那岐」之神と「伊邪那美」之神が生んだ35柱の神々の中の一柱の神様です。 鳥が飛ぶように早い、固い楠材でつくった船の神で、神の乗る船…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(38)

上の地図によると、薩摩半島の西の出っ張りに「笠沙崎」と言う地名がある。これが古事記に言う「笠沙の御崎」である。当然韓国Koreaなんぞが近くにあるわけではなく、ここは不毛の「空国」なのである。 古事記によれば、日向の高千穂のくじふる峰に降りて か…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(37)

『その前に邇邇芸命が天孫降臨を次のように記して(2018.10.01,NO.35)、韓国はKoreaの韓国ではない、と記した。『かれここに天の日子番ひこほの邇邇芸ににぎの命、天の岩位いわくらを離れ、天の八重多那雲を押し分けて、稜威いつの道ち別わき道別きて、天の…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(36)

太陽神である天照大神と日高見国のリーダーである高御産巣神タカミムスヒノカミ の関係は、邪馬台国の「卑弥呼」とその「男弟」の関係に、なんとなく似ているように小生には感ずるものであるが、 それはともかくとして、ニニギノミコトは天降ってゆくと「天の八衢(や…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(35)

「天孫降臨」の事の次第は、「古事記」によれば次の通りである。 田中英道著「天孫降臨とはなんであったか」(勉誠出版)のP73~74による。 『ここに天照大御神高木の神の命もちて、太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命に詔りたまはく、「今葦原の中つ国を平け…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(34)

もちろん「高天原」とされる関東地方、なかんずく常陸の国を中心にたくさんの旧石器時代の遺跡は存在している。その書のP50には、「常陸伏見遺跡」他2、3の遺跡の名前が載っている。 先に指摘しておいた「鹿島神宮」や「香取神宮」のある辺りは、この高天…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(33)

実際に、富士山麓に縄文や弥生の連続した遺跡が、見つかっているのであろうか。不勉強ながら小生は、そのような話はそれほどはっきりと聞いたことはないのである。だから高天原の神域としての象徴として、富士山を指定するのであれば納得は出来るのであるが…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(32)

そしてこの東日本を「日高見国」と、当時は呼んでいたのである。 関東で遺跡数の多いところは、現在の東京、千葉、茨城、埼玉南部、そして千葉の加曾利貝塚のあったあたりであるので、ここら当たりが「日高見国」の中心であったと書かれている(P27)。 そし…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(31)

それが何時の頃からの話かは定かではないが、1万6,500年前の土器が青森県津軽郡外ヶ浜町の大平山元Ⅰ遺跡で発見されていることからも、日本列島では、相当古い時代から一定の組織化がなされていたものと思われる。 朝鮮半島には、旧石器時代の遺跡が50箇所程…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(30)

事実、イザナキとイザナミは「天の浮橋」に立たれて眼下を見下ろしていたわけであるので、高天原は天上世界のこととして国生み神話は進行している。 しかしながら、高天原では、稲作や畑作、機織り、馬の飼育など、さらには川も流れており、全く地上の世界と…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(29)

そのため高天原も葦原の中つ国も、災いごとがあちこちで起こってきたのである。慌てた八百万の神々は、天の安の河原でどうしたものかと喧々諤々議論を始めたのである。 その結果、天の宇受売(ウズメ)の命の神憑(がか)りした踊りと、天の金山の真金を鍛えて作…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(28)

イザナキがその理由を尋ねると、スサノウは「妣ハハの国の根の堅州の国」に行きたいと答える。イザナキの鼻をすすいだ時に生まれたスサノウであるので、死んだ母の国は、厳密には存在していないのであるが、この書ではスサノウはもともと根の堅州国を領有する…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(27)

イザナミ・・・あなたの国の人草をひと日に千頭チガシラ絞クビり殺します。 イザナキ・・・われは、ひと日に千五百チイホの産屋ウブヤを建てよう。 このため人は年をとれば、死んでゆくことになったのである。 このようにして這う這うの体で黄泉の国から逃げ帰ったイ…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(26)

だから高天原とはどこかの具体的な社会組織(国家)が、そのモデルとして存在したことが記憶にあったものと思われるのである。 さて話を元に戻す。 「イザナキ」と「イザナミ」の2人は「オノゴロ島」でめでたく結婚して「国生み」を成してゆくのである。 先…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(25)

倭国(邪馬台国)を含む日本列島全体としてはまた別の話で、先にも話題にした奈良県桜井市の纏向遺跡当たりが、当時としては日本国の中心地であったようだ。 「漢委奴国王」の金印や、この魏志倭人伝に「邪馬台国」の記録が残っていたので、「邪馬台国」と「…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(24)

となると、魏使は ・帯方郡-→狗邪韓国-(始めて一海)→対海国(対馬)-(南一海・瀚海=対馬海 峡・東水道)→一大国(壱岐)-(一海)→末羅国(松浦川沿い)-(素通り→古代糸 島水道)→不弥国(主船司・上陸、周船寺)-↓ (郡使往来常所駐、糸島市)伊都国←(…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(23)

しかし8/21(NO.9)で述べたように、伊都国は福岡県糸島市辺りで平原遺跡周辺と考えられるが、反対に奴国は春日市中心の福岡平野一帯で須玖岡本遺跡辺りが中心と考えられる。とすると須玖岡本遺跡は平原より20kmも離れているので、全く上記のこととつじつまが…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(22)

『7.不弥国の謎、筆法の確認 同書202頁より、不弥国の謎、として「六つの筆法」が隠されている、と解説している。それを次に羅列してみる。(1) 先の分析でもわかるように、不弥国の「百里」は宙に浮いている。これを含めると「郡より女王國に至ること萬二…

纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(21)

さて女王が居城していた奴国の南には狗奴国があり、男王の卑弥弓呼(ひみくこ)とは仲が悪かったと記されており、たびたび戦火を交えていたようだ。 卑弥呼(ひみこ)と言い卑弥弓呼(ひみくこ)と言い、なんとなく馴染みにくい名前となっているが、卑弥呼は…