纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(37)

その前に邇邇芸命天孫降臨を次のように記して(2018.10.01,NO.35)、韓国はKoreaの韓国ではない、と記した。


かれここに天の日子番ひこほの邇邇芸ににぎの命、天の岩位いわくらを離れ、天の八重多那雲を押し分けて、稜威いつの道わき道別きて、天の浮橋に、浮きじまり、そりたたして竺紫つくしの日向ひむかの高千穂の霊くじふる峰たけに天降あもりましき。
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ここに詔たまわく、「此地ここは韓国に向ひ笠沙の御前みさきにま来通りて、朝日の直ただ刺す国、夕日の日照ひてる国なり。かれ此地ここぞいと吉き地ところ」と詔りたまいて、底つ岩根に宮柱太しり、高天の原に氷椽ひぎ高しりてましましき。


ここでもう一度、韓国(からくに)がKoreaの馬韓国ではないことを記したいと思う。

これも「先の書」の126頁からその解説があるので、説明してみよう。

ここは韓国に向かい、笠沙の御崎に真っ直ぐに道が通じていて、朝日のまともに指す国であり、夕日の明るく照る国である。ここは真に良い所だ。」が、その口語訳であるがどうも韓国の意味が解らなかった。

先の書では、日本書紀を引用して次のように述べている。

日向の襲の高千穂の峰にお降りになった」、「痩せた不毛の地を丘続きに歩かれ、良い国を求めて吾田国の長屋の笠沙御崎にお付きになった

日本書紀にはこのように書かれているとしている。即ち「韓国」は「痩せた不毛の地」なのである。

更には(岩波の日本書紀には)「そ宍シシ空国を、頓丘ヒタオから国まぎ行去トワりて」と書いてある、と言う。

その意味は「もともと少ない背中の骨の周りの肉すらないような、荒れて痩せた不毛の地をずっと丘続きに良い国を求めて歩かれて」と言う事であった。

火山灰土のシラス台地は農地に適さない何もできない「カラの国」と言う意味なのであり、そのため「邇邇芸命は笠沙御崎に行った」のである。

この古事記の「韓国」とは「空国むなくに」がもともとの意味(字)であり、「空」を「むな→から」と呼んだ結果、いつの間にか「からくに韓国」と当て字されていってしまったのである。と当時に「韓国岳」は「空国岳」がもともとの意味(漢字)であり、「不毛の土地にある山」という意味が本来のものである。

北九州の向かいに朝鮮半島があり、現代では韓国が存在しているので、その韓国と向き合っているとあさはかにも理解してしまったものと思われる。

当時は朝鮮半島の南岸には韓国は存在していなかった。狗邪韓国と言う倭人の国がが存在していたのであるから、このことは以前にも述べておいたのでご承知のことと思うが、「韓国」とはKoreaではなくて「からくに空国」が正解であり、これだと正しく意味が通ずるのである。

まあ、丁度今の韓国はまさに「からくに空国」であるので、その昔からKoreaのことを「空国からくに」とはよく言い当てたものである、とは言い過ぎでもなかろう。

次に神武関連の九州地図を掲げる。
 

 




 

(続く)