太陽神である天照大神と日高見国のリーダーである高御産巣神タカミムスヒノカミ の関係は、邪馬台国の「卑弥呼」とその「男弟」の関係に、なんとなく似ているように小生には感ずるものであるが、
それはともかくとして、ニニギノミコトは天降ってゆくと「天の八衢(やちまた、八つ辻)」で、猿田毘古(さるだひこ)が守っているので通れずにいる。天照大神とタカミムスビの神は、あの天の岩戸から天照大御神を誘い出すのに成功した天の宇受売(ウズメ)の命を派遣して、事なきを得る。
こうして安全が確認されたので、
『ここに天児屋(アメノコヤネ)命、布刀玉(フトダマ)命、天宇受売(ウズメ)命、伊斯許理度売(イシコリドメ)命、玉祖(タマノオヤ)命、併せて五伴の緒オをあかち加えへて天降らしめたまいき。
ここにその招おぎし八尺珥勾玉(ヤサカニノマガタマ)、(八咫)鏡、草薙剣また常世思金神、手力男(タジカラノオ)神、天岩門別を添え賜ひて詔りたまはくは、「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が御前を猅いつくがごと(ヌカズクガゴトク)、斎祀(イノリマツ)れ。次に思金神は、御前(ミコタチノ)の事を取り持ちて、政(マツリゴト)をしたまへ」とのりたまひき。』
このお供の五部族は、夫々
中臣連ナカトミノムラジ(天児屋命)
忌部首オインベノビト(布刀玉命)
猿女君サルメノキミ(天宇受売命)
作鏡連カガミツクリノムラジ(伊斯許理度売命)
玉祖連タマオヤノムラジ(玉祖命)
の祖神となっている。
この五柱の神のほかにも三柱の神が共に天降りされているが、いずれも天の岩屋で活躍されていた神々達である。この三柱の神は、五十鈴の宮(伊勢神宮)に祀られている。
そして「三種の神器」と言い、「八咫鏡を自分(天照大御神)と思って祭祀を執り行え」と言ったご指示は、日高見国が「祭祀を中心とした国」であることを示し、法律を作り軍隊を持って国を治めるという趣旨の国ではまだなかったことを示している、とその書の83頁には書かれているが、これこそ「日高見国」の縄文時代のことを背景としていることであることをしっかりと示しているものであろう。
三種の神器の現在の所在場所は次の通りである。
八尺珥勾玉(ヤサカニノマガタマ)、皇居御所 剣璽野の間
(八咫)鏡、伊勢神宮内宮
https://classicstudies.jimdofree.com/古事記/上巻-第五部/三種の神器/
このようにニニギノミコトは天照大神の孫であり、日高見国の統治者の地位にあり、更には西日本も統治することを意図したもので、日ノ本の正当な統治者であることを表現したものである。ニニギノミコトの四代目、アマテラスからは五代目の「神日本磐余彦尊」(かむやまといわれひこのみこと)、神武天皇の統治の正当性を形作ってゆくことになるのである、とその書のP85には書かれている。
先に猿田毘古(さるだひこ)と天宇受売(ウズメ)命のやり取りを述べたが、その時に猿田毘古が、ニニギノミコトたちがの行く先を「筑紫の日向の高千穂の槵触峰」 (つくしのひむかのたかちほのくしふるたけ、霊力ある尊い峰)と伝えている。
『彼ここに天の日子番(ホ)の邇邇芸命、天の石位(イハクラ)を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、陵威(イツノ、勢いよく)道(チ)別(ワ)き道別きて、天の浮橋に、浮きじまり、反り立たして、筑紫の日向の高千穂のくじふる峰に天降りましき。
(そして天の忍穂の耳の命と天久米命の二人が大刀や弓を持って先導した。)
ここに詔(ノ)りたまはく、「此地は空国(カラクニ)に向ひ笠沙の御崎にま来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照国なり。かれ此地いと吉き地」と詔りたまひて、底つ岩根に宮柱太しり、高天の原に氷ぎ(千木の事)高しりてましましき。』
(ここに仰せになるには、「ここは痩せた所なので更に笠沙の岬まで来た。ここは朝日も夕日もよく照るところで、よい所だ」と仰せになり、地に石の土台を作り立派な柱を立て千木を高く上げて宮殿を建てた。)と言ったところか。
上記のものは、下記のURLを参考にしているが、
https://classicstudies.jimdofree.com/古事記/上巻-第五部/天孫降臨/
カラクニは、「韓国」となっているが韓国Koreaでは話が合わないので「空国」とした。
この件は小生のブログ「邪馬台国とはなんぞや?(57)」(2018.10.31)などを参照されるとよいが、次に念の為そのNO.57を載せておく。
(続く)