2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(7)

伊都国は邪馬台国の政治の中心地だったのである。そのため、「大率」が伊都国にいたのである。そして文書や賜りものなどをしっかりとチェックしたのである。これが「皆津に臨みて捜露(そうろ)し、文書を伝送して賜遺の物を女王に詣るに、差錯(ささく)す…

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(6)

(1)次の文によれば、女王国は最も南に位置している。 「女王国より以北、その戸数、道里は得て略載すべきも、・・・・・」 「女王国より以北には、特に一大率(すい)を置き、諸国を検察せしむ。・」 奴国(と不弥国)までは戸数・道里が判明している。 …

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(5)

さてそろそろ「魏志倭人伝」の記述に従って、帯方郡から「邪馬台国」までの行程を明らかにすることにする。 ⑦として、この「歴史人、NO.154」では「帯方郡から「邪馬台国」までの行程」が分析されていない。 これは致命的な欠陥である。 これはすでに小生の…

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(4)

すべての鉱物中にはウラン(U)とトリウム(Th)が含まれており、時の経過とともにそれらは放射壊変により鉛の同位体へと変化してゆく。この鉛の同位体の比率は地域によって異なる値を示すもので、夫々の産地の固有値となるものである。これらの値を次の…

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(3)

この項の著者(監修・文)は駒澤大学の歴史学科の教授である瀧音能之氏だと記載されているが、きっと部下の学生などが担当したものであろう。それにしてもチェックも甘すぎると言うものであり、160人を107人と書き間違えたり平原遺跡を平所遺跡と間違えるな…

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(2)

そしてP25には、末尾で、③「卑弥呼の墓かともいわれる箸墓古墳」との表現があり、あたかも最古の前方後円墳である箸墓古墳が卑弥呼の墓であるかのような書きっぷりであり、しかも確信がないが卑弥呼の墓であると断定的に言っている様な感じもするものである…

『歴史人・邪馬台国論争』の大間違い(1)

これは雑誌・『歴史人』のNO.154(2023年10月号、ABCアーク発行)に掲載されている次の論考 「邪馬台国論争の現在地」Page20 「卑弥呼の「真説」」Page30 で記載されている中にみられる「間違い点」を、以下説明してゆきい。 なおこのテーマは、小生のブログ…