さてそろそろ「魏志倭人伝」の記述に従って、帯方郡から「邪馬台国」までの行程を明らかにすることにする。
⑦として、この「歴史人、NO.154」では「帯方郡から「邪馬台国」までの行程」が分析されていない。 これは致命的な欠陥である。
これはすでに小生のブログ「邪馬台国とはなんぞや?」(2018.08.08~)で明らかにしているのでご承知のことと思うが、ここではそれを簡単に解説してみよう。
先ず「魏使倭人伝」に沿って帯方郡から邪馬台国までの行程をたどってみることにする。
次の様な行程となる。
帯方郡
水行南 | 水行東
4000里 | 3000里
|__ 狗邪韓国に到る
|
始めて一海 |1000余里
|
対海国に至る (卑狗・卑奴母離、方四百余里、千余戸)
| 方四百里ばかり
又南一海|1000余里 , 瀚海
一大国に至る (卑狗・卑奴母離、 方三百里、三千家 )
| 方三百里ばかり
又一海 |1000余里
末盧国に至る ( 四千余戸、 →官の記載なし )
\
東南陸行 \ 500里
伊都国に到る (爾支・泄謨觚、 千余戸 )
\
東南\ 東行
奴国に至る100里( 二万余戸 )--不弥国に至る100里( 千余家 )
(兕馬觚・卑奴母離) |(多模・卑奴母離)
南のかた |( 五万余戸 )
投馬国に至る 水行二十日
|(彌彌・彌彌那利)
( 七万余戸 )
| 郡より女王国に至ること万二千余里。 邪馬台国に至る 水行十日、陸行一月
女王の都するところ(伊支馬・彌馬升・彌馬獲支・奴佳鞮)
その南、狗奴国有り(狗古智卑狗)
と言ったところが、先に示した魏志倭人伝の帯方郡から邪馬台国に到る行程地理となろう。すると不弥国から邪馬台国までは、水行三十日と陸行一月(三十日)と言う行程となる。孫栄健氏の邪馬台国の全解決(以後゛同書゛と表現する。) 163頁によれば、水行一日は120里・歩行の三倍、陸行一日は40里だとしているので、
不弥国から邪馬台国までは、水行(20+10)日×120里=3600里となり、これにさらに陸行一月(30)日×40里=1200里を加えれば、4800里となる。
これに帯方郡から不弥国までの行程、10,700里を加えると(4800+10700=)15,500里となり倭人伝の言う「郡より女王国へ至ること万二千余里。」の12,000里とは全く異なってしまう。
従って
この不弥国から邪馬台国までを直線的に計算することは、間違いとなる。
明らかに倭人伝は、(郡より女王国に至ること万二千余里。)と言っているので、何かが間違っているのである。
さてこれより一寸した推理をしてゆくことになる。以下断りが無ければ「」内は魏志倭人伝に書かれている文である。
(続く)