2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

日本近代化の流れ(39)

1935(S10)年になると日本人に対するテロ事件が頻発するようになる。これは蒋介石に対立する共産党軍の第十九路軍配下の活動家が、日本軍の矛先を中国軍(蒋介石軍)に向けさせるためのものであった。このおびただしいテロ攻撃に対しては、日本は徹底的に中国…

日本近代化の流れ(38)

ここら辺の動きを年表にまとめてみると次のようになる。(小生のブログ「支那事変の真相(15)」(2013.2.25)より引用する。) 1931.9.18 関東軍の柳条湖事件発生、満州平定作戦開始 1931.9.22 関東軍満州領有計画を独立国家案へ変更 1931.9.24 反張学良…

日本近代化の流れ(37)

(7)満州事変 奉天(藩陽)郊外の柳条湖付近で、1931.9.18の10:20頃、南満州鉄道の線路 が爆破される事件が発生する。今まで述べてきたように中国側の数々の日本人に対する妨害、暴行、虐殺などのために、関東軍は張学良の東北軍の排除を計画せざるを得な…

日本近代化の流れ(36)

1925.8月に国民党軍は国民革命軍に編成替えされ、そしてコミンテルンの援助を受ける中国共産党の勢力拡大に対しては、蒋介石は不信感を募らせている。このため1926.1.1蒋介石は北伐(中国統一)を主張したが、共産勢力に拠り却下されている。 1926.3.20、「…

日本近代化の流れ(35)

(6)清国から中華民国へ、中国内乱 中国では1912.1.1の辛亥革命により「中華民国」が、名ばかりであるが成立している。そして清朝の重臣であった袁世凱が、革命派と結託して清朝の宣統帝を退位させ、1912.2.12に清朝滅ぼし、中華民国の臨時大総統となって…

日本近代化の流れ(34)

同じ年、英船「カメロニアン号」にドイツ潜水艦が魚雷を発射します。帝国海軍は発見が一瞬遅れますが、日本の駆逐艦はそこに果敢に全力で突入して、自らが魚雷の犠牲となって輸送船を守ったのです。 これらのことにより帝国海軍は大きな信頼を得て、輸送船の…

日本近代化の流れ(33)

そこら辺の状況を、小生のブログから少し引用しよう。 先ず「日本は侵略国家ではありません。」(2008.12.28,NO.8)より。 『第1次世界大戦の講和条件を討議した「パリ講和会議」は、1919年1月18日に開催された。日本は日英同盟の結果イギリスよりの…

日本近代化の流れ(32)

(16) 朝鮮総督府は1910/3月に土地調査局を開設し、全国的な規模での土地調査を始めた。この責任者が目賀田種太郎であった。この土地調査は、1910(M43)年から1918(T7)年にかけて、当時のお金で200万円の予算で実施されたと言う。そして土地所有者、価格、地形…

日本近代化の流れ(31)

(11) 依然としてロシアは満州の北半分を監理しており、何時ロシアから復讐戦を吹っかけられるか判らなかったわけで、その押さえのためにも日露協約が結ばれ、日本はいち早い韓国の近代化を急いで進める必要があった。韓国国内にも李氏朝鮮のままでは近代化は…

日本近代化の流れ(30)

(7) 1907.6.29~7.1韓国皇帝の高宗はハーグの第2回万国平和会議に、3人の密使を送り露、米英独、蘭の代表に、この第二次日韓協約(日韓保護条約)の無効を訴えようとした。 当時の韓国はまだ国家として認められていなかったため、「外交権がない」と言う理…

日本近代化の流れ(29)

日本と朝鮮との関わりを紐解いてみよう。先ず日清戦争である。 (1) 1895.4.17の日清講和条約(下関条約)で、「朝鮮国は完全無欠なる独立自主の国」であることを清国に認めさせ、貢献典礼を廃止させ属国としての貢女などの朝貢を禁止させたのである。 (2) 19…

日本近代化の流れ(28)

(4)日韓併合 日露戦争は、満州と朝鮮をめぐる日本とロシアの戦争であったが、勝利した日本は満州と朝鮮に関する日本の要求は、満額回答を得た。しかし賠償金などは、ルーズベルトの策略もあり、得ることはできなかった。 講和全権大使の小村寿太郎は、講…

日本近代化の流れ(27)

これらの事態に直面したセオドア・ルーズベルトは、日本人のすごさを知り将来太平洋とアジアで覇権をめぐり戦争となることを直感したと言う。そしてハワイに星条旗を掲げて大艦隊を配置して、日本の脅威に対処しなければならない、とオレンジ計画を遂行して…

日本近代化の流れ(26)

日露講和条約(ポーツマス条約)の概要は次のようなものであった。 (1)日本の韓国管理(絶対的条件) OK (2)満州撤兵(絶対的条件) OK (3)満州の清国への還付(絶対的条件) OK (4)満州に置ける機会均等(付加条件) OK (5)樺太の割譲(比較的必要…

日本近代化の流れ(25)

(7)ユダヤ系アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトと言う人物 そして日本は朝鮮と「日韓議定書」を結び、ロシアとの戦争に関して朝鮮に仁義を切ったのであるが(2011.1.20,NO.60~)、日露の小競り合いはすでに始まっていた。仁川沖海戦である(2011.1.14,N…

日本近代化の流れ(24)

何はともあれ、シフはユダヤ系アメリカ人としてロシアにおけるボグロムを止めさせたかったことは確かではあるが、金貸しは彼の商売でもあった。日本はシフから調達した資金で、彼らの企業から武器、弾薬、戦艦などを購入して、ロシアと戦い勝ち抜くことが出…

日本近代化の流れ(23)

(6)ユダヤ系アメリカ人ジェイコブ(ヤコブ)・シフによる資金援助 1904年1月12日、御前会議では、最終的に、日本の要求が受け入れられなければ開戦することを確認する。そして必要な金を工面するために日本銀行副総裁の高橋是清を、イギリス・アメリ…

日本近代化の流れ(22)

(5)無鄰菴会談と満韓交換論、そして日露開戦 そして1903年4月21日、対露交渉の方針を打ち合わせる会談が、京都にあった山縣の別荘の無隣庵(正式には、無鄰菴むりんあん)で開かれた。出席者は総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎、枢密院議長山県有…

日本近代化の流れ(21)

(4)ロシアの満州植民地化(1900.11月)と日英同盟(1902.1.30) この北清事変で次の平和への脅威が発生している。それはロシアによる満州の占領と言うモラルなき軍事行動である。ロシアは不凍港を求めて遼東半島へ進出した。三国干渉で旅順を日本から清国へ返還…

日本近代化の流れ(20)

1900年6月20日からは、清国軍は義和団と共同して、北京外交施設へ攻撃を開始する。そして「北京籠城55日」が始まる。「北京の55日」は映画にもなっているのでご承知の方も多いと思われる。 8カ国は、連合軍を組織して北京を目指したが反撃されて…

日本近代化の流れ(19)

(2)三国干渉 日清戦争の講和条約である下関条約については、先に述べた。その2条に「清国は次の土地の主権とその地方にある城塁、兵器製造所や官有物を永久に日本の物とする。・遼東半島、台湾、澎湖諸島及びそれらの付属諸島嶼」とあり、満州の喉元にある…

日本近代化の流れ(18)

(3)日露戦争 (1)アロー号事件 ことの起こりは、1857年~1860年に起こったアロー号事件に始まる。 アヘン戦争(1840年)の講和条約として締結された1842年の南京条約により、清国は香港をイギリスに割譲し、広東(広州)、厦門(アモイ)、福州、寧波(ネイハ…

日本近代化の流れ(17)

(17) 幸いにも日清戦争は、このような経過をたどりながら日本の勝利となったものの、もしも日本が負けていたとしたらどんなことになっていたであろうか。南西諸島や場合によっては鹿児島県などは、清国に割譲されていたかもしれない。尖閣諸島どころの問題で…