2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

第2次上海事変(11)

南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去2008年12月21日 | news南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去2008.12.17 21:04 中国・南京市にある南京大虐殺記念館が、信憑(しんぴょう)性が乏しいと指摘されていた写真3枚の展示を取りやめたこと…

第2次上海事変(10)

南京大虐殺は本当か その5~証拠写真を検証する~深谷隆司 2012年04月06日 09:26http://blogos.com/article/35953/ 同じ本多勝一の「中国の日本軍」に、農民婦女が一団になって日本兵と歩む写真を載せ、「婦女子を駆り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪…

第2次上海事変(9)

だから「ライフ」などに載せられた写真やそれに関する動画などは、明らかに偽造されたものである。戦後王小亭(H.S.ウォン)のChinese babyの写真は、トラックで逃げる家族が駅前で爆撃に会い、母親は即死して父親は年上の子供を運び妻の死体を引きずってい…

第2次上海事変(8)

『日本はこの1枚の写真によって「悪」のイメージを、対外的に特に米国において決定づけられたといっても過言では無い。 この写真が発表されて以降、日本人というのは、残虐であるというイメージが世界中に蔓延していったのである。 この裏にはもちろん当時の…

第2次上海事変(7)

上海からの中国軍の退却先は、直線距離で約270km西北西に位置する南京であった。当初日本政府は和平交渉を行うため南京への進撃は禁止していたが、中国各地での日本居留民への殺害や日本権益に対する妨害などのため、結局は南京攻略を進めざるを得なかった。…

第2次上海事変(6)

第2に、北上途中の国民革命軍(蒋介石軍)は、1928年5月1日に北軍軍閥を駆逐して済南に入城した。済南には2,000名近くの日本人居留民が住んでいたが、南京事件を恐れて日本に出兵を依頼、日本は第六師団を済南派遣軍として邦人保護に当たらせていた。済南派…

第2次上海事変(5)

その後「尾崎秀実(ほつみ)」は、1934(S9)年10月に東京朝日に移り、1936年に中国問題の専門家として太平洋問題調査会に参加する。1938(S13)年7月に東京朝日を退社して、第1次近衛内閣の嘱託となり1939年1月の内閣総辞職までその職に留まる。尾崎は嘱託とな…