2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

日韓併合100年(120)

8/17、第6回本会議。(9)日本の戦費の「払い戻し」(比較的必要条件)がテーマである。いわゆる賠償金問題である。(5)樺太の割譲問題(比較的必要条件) とならんとで日本にとっては「絶対的条件」に近いものである。しかしロシアにとっては、「(9)賠償」「(…

日韓併合100年(119)

1854年には日露和親条約結び、樺太は両国の雑居地と定めたが、1875年(M8)の「樺太・千島交換条約」で、日本は千島を日本領とし樺太はロシア領となった。しかし元はというと樺太は日本領と言ってもよい領土であった。しかもこの交換条約はロシアに脅迫され…

日韓併合100年(118)

15:07会議再開。各条毎の討議に入る。 (1)日本の韓国管理、これは露側は認めるが、1露人への最恵国待遇、2韓国皇帝の主権、3露国国境への脅威となる軍事上の措置をしない事を条件とした。韓国はすでに実質日本の保護国となっているため、日本は韓国皇帝の主…

日韓併合100年(117)

このことを見ても「日露戦争」は、日本の独立戦争であったことが良くわかる。 ロシア側は、賠償金の支払いの拒否、領土の割譲の拒否、そして清国における露国の権益を守ることが、最優先事項であった。日本が韓国を管理することに対しては、それほど拒否する…

日韓併合100年(116)

事実、全権委員ウィッテは、随員の一人に「日露友好協定」案の作成を指示している。しかしこれは物になっていない。そしてホテルに帰着後、米国通信社「AP」に日本側の条件をこっそりと洩らしている。「AP」通信は親露的であった。ロシア全権団が7/17、…

日韓併合100年(115)

ロシア側の考え方は、ロシアの「名誉と尊厳」に関する項目は絶対に譲歩しないが、それ以外は譲歩し、もし談判決裂した時は日本側に責任を押し付ける、と言うものであった。 この考えで日本の提示した講和条件を分類してみると、先の箇条書きの項目の末尾に、…

日韓併合100年(114)

1905/8/10、日露講和談判初日。10:15第1回会議開始。まずは両全権が、夫々の君主が「穏和和協の精神」であることを述べ合って、話し合いを始める。日本側君主は天皇陛下、ロシア側君主はニコライ2世皇帝である。結局このニコライ2世は、1917/3/3に皇帝を…

日韓併合100年(113)

(注)ウェントワースホテルというものは、現在はニューキャッスル島には(グーグルマップを見る限りでは)見当たらないので、マリオットホテルがそれであろうと小生が推測したものである。 そしてポーツマスへ向かう船ではロシア側はメイフラワー号で、日本…

日韓併合100年(112)

記念写真も、期せずして、大統領の両横に両国の全権団が並ぶ形となった。そして日本全権団は日章旗の降下と礼砲に送られて汽艇に移乗し、ポーツマスへの乗艦である巡洋艦「ドルフィン」向かった。しかしながらロシア全権団は、そのまま「メイフラワー」号で…

日韓併合100年(112)

記念写真も、期せずして、大統領の両横に両国の全権団が並ぶ形となった。そして日本全権団は日章旗の降下と礼砲に送られて汽艇に移乗し、ポーツマスへの乗艦である巡洋艦「ドルフィン」向かった。しかしながらロシア全権団は、そのまま「メイフラワー」号で…

日韓併合100年(111)

7/31、昼過ぎ北部樺太のロシア軍が、全面降伏している。日本側には一人の死傷者もでなった。7/7~7/31間の、わずか24日間で樺太攻略作戦は終了した。これで、講和を有利にする四つの条件のうち二つが達成されたことになる。しかしロシアにとっては少しも痛痒…

日韓併合100年(110)

7/26、金子は小村より、日本軍の切羽詰った事情を聞き愕然とする。日本はすでに全勢力を満州に注いでおり、新兵力は望むべくもなかった。そして先ずは、賠償金や領土の割譲を主張して、ロシアが拒否し談判が不調になれば、日本は一旦引上げて、ルーズベルト…

日韓併合100年(109)

7/23、小村寿太郎は記者会見で、日本戦勝の理由を解説して見せた。 その一、日本にとってこの戦いは「正義の戦い」であった。だから日本の力は3倍となった。その二、日本の官界・軍界には腐敗が無く、国力の全力が発揮できた。その三、国民が質実剛健であり…

日韓併合100年(108)

7/10、樺太(南部)攻略部隊は豊原(ユジノサハリンスク)に到達し、本格的戦闘に遭遇する。そして7/11,12、密林戦で雨で苦戦するが、ようやく敵陣に突入して敵を壊走させる。俘虜約2百、野砲4門/6門中、機銃1挺/3挺中を確保する。日本側損害戦死14、負傷63…

日韓併合100年(107)

[絶対的条件]--政治的条件 (1)韓国を全然我が自由処分の任させる。(2)一定期間内に日露両軍の満州撤兵。(3)遼東半島租借権及びハルビン、旅順口間鉄道の譲渡。 [比較的条件]--経済的条件 (1)軍費の賠償。ただし、最高額を「十五億円」として、談判の…

日韓併合100年(106)

戦艦「ポチョムキン」は1898/10に起工、計画より2年遅れの1905/5/20に竣工しているロシア黒海艦隊の一等戦艦である。 1905/6/27(ロシア暦6/14)、Wikipediaによるとテーンドル湾にて射撃試験をしていた。テーンドル湾はオデッサ湾とクリミア半島の西側・カル…

日韓併合100年(105)

これに桂首相も同調した。結局(2)と(3)の実施が決まる。 長岡は大いに面目を上げたが、6/16に海軍が前言を翻し(2)に反対したため樺太島の占領だけが実施されることとなった。北韓作戦とは、朝鮮の図門江(門にはにんべんイが付く)を超えて進入しているロシ…