2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

支那事変の真相(18)

中国にとっては何でもかんでも「そこはもともと中国のものだ、絶対不可分の固有の領土」などと言えば、何でも自分のものになるとでも思っているようだが、そうは問屋が卸さないのだ。 中国 満州の国名 の国名 漢 匈奴魏 鮮卑・扶余・高句麗隋 高句麗唐 渤海国…

支那事変の真相(17)

日本としては、中国共産党員(中国コミンテルン)による日本人や日本居留地に対する虐殺、略奪、攻撃が軽く扱われており、何の対策にも言及されていないことには、強烈な不満を持っていた。それを満州国の独立と言う手段で達成しようと考えていたため、中国…

支那事変の真相(16)

(1)中共コミンテルンに迫害された日本人 この危惧は1937.7.29に通州事件として起こってしまう。北京の東、通州にて日本居留民が260名が暴行を受け虐殺された。残りの居留民約120名は暴行を受け負傷した。居留民全380名全員が死傷したのだった。(http://pose…

支那事変の真相(15)

まあ日本もお人よしであった。溥儀なんぞを安易に担いだことが大いなる間違いであったかもしれない。やるんなら、しっかりと謀反を起こされないように歯止めを作っておくべきであった。ここら辺が日本人がお人好しであることの証拠である。と言っても戦争に…

支那事変の真相(14)

満州事変(1931年)http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1931_manshu_jihen.html 中村大尉殺害事件で昭和6(1931)年9月18日になって、やっとシナ側が中村大尉の殺害を認めたわけだが、その日の夜の午後10時半ごろ、満州に…

支那事変の真相(13)

満州地域における我が国の被害事件一覧大正8(1919)年より昭和6(1931)年(満州事変)まで(項 目)尼港事件 大正9(1920)年(事件の内容) 大正9(1920)年に、樺太対岸の尼港(ニコライエフスク)にいた日本人居留民、日本陸軍守備隊、日本海軍通信隊、…

支那事変の真相(12)

(6)リットン調査団報告(1932.3~1932.6)と国際連盟脱退 「国際連盟日支紛争調査委員会報告書」(Report of Commission of Enquiry into the Sino-Japanese)は、1932.10.2に公表された。 報告書の概要は次の通り。 ・満州は不毛の地であったが日本の開発によ…

支那事変の真相(11)

(10)柳条湖事件から満州事変 この柳条湖事件から満州占領までを満州事変と呼ぶ。 (1)関東軍の自衛のための派兵 この鉄道爆破を張学良の仕業と発表し、満州平定の軍事行動に移ったのである。 1931(S6).9.19、07:00陸軍省は「関東軍今回の行動は全部至当なり」…

支那事変の真相(10)

(10) 中国の歴史・蒋介石の統一から柳条湖事件まで 1928.12.29 張作霖爆殺後、後を継いだ息子の張学良が蒋介石の国民政府に降伏し、満州 も含めて蒋介石が中国を統一する。これを易幟(えきし)と言い張作霖の北 洋政府の五色旗から蒋介石の晴天白日満地紅旗…

支那事変の真相(9)

(8)中国の歴史・蒋介石の北伐宣言から張作霖爆殺事件まで 1926.7.1 蒋介石は国民革命軍総司令に就任し、共産党員やソ連軍事顧問団に拒否され ていた「北伐宣言」を行い、北伐を開始する。 1926.11.22 コミンテルン第七回拡大執行委員会をモスクワで開催。北…

支那事変の真相(8)

(7)中国の歴史・中国内乱から中山艦事件まで 1919.5.4 このパリ講和会議で、山東半島などのドイツ権益を日本が継承することが承 認されると、北京の学生たちが天安門広場から「ヴェルサイユ条約」反対の 大規模なデモ行進をおこない、反日運動を起こす。やが…

支那事変の真相(7)

(6)中国の歴史・辛亥革命から第一次世界大戦まで 辛亥革命により中国には中華民国が成立していたが、中国の政治状況は各地に軍閥が群雄割拠しており、北京などは軍閥の抗争の舞台となっており全く安定したものではなかった。中国での政治状況を検討するには、…

支那事変の真相(6)

中国巧みな外交戦術 村山元首相ら利用?“安倍孤立化”狙う2013.1.30 19:59 北京空港に到着し、木寺中国大使に支えられて歩く加藤元自民党幹事長(左端)。村山元首相(右から2人目)も足取りがおぼつかない=28日(ロイター) 【北京=矢板明夫】中国を訪問…

支那事変の真相(5)

(3)頓馬な鳩山由紀夫 それから、もっと頓馬な奴らがいる。鳩山由紀夫だ。こいつは全国民に愛想をつかされてしまったので、今回の選挙前に引退している。鳩山は山口那津男の訪中(1/22~25)の前の1.15~1.18の日程で中国に招待されていたのだ。 習近平政権の狡…

支那事変の真相(4)

まあ公明党の母体となっている「創価学会」の池田大作は、中国とべったりだ(2007.9.6~の同ブログ「創価学会と中国共産党」を参照のこと)。だから公明党や山口那津男が中国におもねることになる。これでは困るのである。だから自民党は公明党何ぞとの連立は…

支那事変の真相(3)

(2)公明党・山口那津男代表の言動 なぜ山口と習の会談をこのテーマの最初にもってきたかというと、山口は当初「尖閣諸島の棚上げ」に言及していたからだ。 棚上げ論と言うのは、現在尖閣諸島は日本が実効支配しているが、中国も領有権を主張している。そのた…

支那事変の真相(2)

(2007.7.4の「日中戦争は中国共産党が惹き起こしたものだ。」からの続きである。) http://blog.goo.ne.jp/atlas_centaur/e/875233024f0a35289130fec0cbe921d5 2007-07-12 01:32:10 かくして(1937年)9月2日、日中の戦争は一括して「支那事変」と改称され…

支那事変の真相(1)

2013.1.25午前、中国を訪問している公明党の山口那津男代表は、北京の人民大会堂で習近平総書記と会談した。 その時習近平は日中関係について 「歴史は直視することが重要だ。これまでの教訓を生かして慎重に対応してほしい。」 と言っている。 これに対して…